Devil's Own

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ウルトラマンダイナ再評価―初期1クールにおける原点回帰傾向

 長崎の5月連休は雨ばっかりだが、僕はお構いなしに家にこもって本読んだり、DVD見たりと非常に充実した休日を過ごしている。今日は子どもの日ということもあってか、CSでは一日中ウルトラマンを放映していて非常に幸福な気持ちだ。とりあえず前々から予告していた「メビウス」のボガール編総括を書こうかと思ったがこれは長くなりそうなので後にしておこうと思う。
 TBSチャンネルでは、98年〜99年に放映された平成ウルトラシリーズ第2作「ウルトラマンダイナ」を毎日4話ずつ、つまりDVD一巻ずつ集中放映していて、リアルタイム世代としては現在CSで盛んに放映されているウルトラシリーズコンテンツの中で一番楽しんでいるのが「ダイナ」だったりする。平成に入ってから、テレビシリーズのウルトラマンは「ウルトラマンティガ」から「ウルトラマンメビウス」までの全7作が断続的ではあるが比較的コンスタントに放映され続けている。昭和最後のウルトラマンとなった「ウルトラマン80」から「ウルトラマンティガ」までの暗黒の16年間を思えばいい時代だなと思う。僕はオタなので、どのシリーズには一応の思い入れがあるのだが、やはりリアルタイムで入れ込んだ「ティガ」「ダイナ」「ガイア」の通称平成ウルトラ三部作への思い入れは大きい。この時期僕は小5から中2で、自分のオタク的な属性を自覚し始める悪魔的なタイミングと言うほかないだろう。で、その3作中でも特に愛して止まない作品が「ウルトラマンダイナ」で、6月に出るDVDメモリアルBOXですらちょっと考えなくもないくらいだ。

 ただ一般的な「ダイナ」に対する評価は極めて低く、僕のようにリアルタイムど真ん中世代の個人的な思い入れを除けば平成三部作の中で「ダイナ」を一番に推す人にはなかなかお目にかかれない。V6の長野博演じる主人公ダイゴと吉本多香美演じる同僚のエースパイロット・レナの恋愛ドラマを主軸に据えた最終章が大いに盛り上がり感動を呼んだ「ウルトラマンティガ」、2人のウルトラマンの確執や正体不明の根源的破滅招来体の存在など斬新な設定を持ち込みさながらウルトラ版大河ドラマの様相を呈した「ウルトラマンガイア」がドラマ的にもよくできているし、シリアスで大人でも鑑賞に堪えうる非常に完成度の高いシリーズであることは認めるが、個人的には過大評価されてる感が否めない。これは僕の個人的見解で、先日田中登についてのエントリでも書いたことなのだが、ウルトラシリーズジュブナイルなのだから、第一の視聴者である子供達にとってリアルであり、わかりやすいものでなくてはならないと思っている。その点においては「ティガ」の恋愛ドラマも、「ガイア」の大河ドラマも児童層には理解しづらいものがあった気がする。あのドラマで素直に感動し熱狂したのは、当時小学校高学年から中学生である僕と同世代人のオタク予備軍であり、それが成長して今日における「ティガ」「ガイア」崇拝の風潮を形成しているのかもしれない。それと比較して「ダイナ」は主人公アスカ・シンを筆頭に能天気でふざけたノリのキャラクターで固められていたし、ストーリー自体もテンション重視、ノリ重視の比較的明快なものが多く、いい意味でも悪い意味でも「わかりやすい」作品だった。昭和で言えば「ウルトラマンタロウ」のようなポジションに位置するモノでシリアス志向のファンからすれば、軽んじられてしかるべきの作品であることも理解できる。最も徹底的なシリアス志向の下で制作された「ウルトラマンネクサス」が作品的にも視聴率的にも惨敗し、次作「ウルトラマンマックス」以降再び従来の「明快さ」を重視する路線へと転向が見られたことを鑑みるに、それに呼応する形での「ダイナ」の評価も期待しないでもないが、僕がひとつここで提言しておきたいのは「ダイナ」は決して「わかりやすい」だけの作品ではないということだ。主人公アスカ・シンと行方不明になったパイロットである父の確執は、第1話から最終話まで何度も描写され、それが最終回におけるひとつの伏線にもなっているし、最終章におけるアスカ・シンと同僚のユミムラ・リョウの絆は、もはや恋愛関係とかを超越した、もっと微妙で、それこそ子どもにはわかりにくい距離感覚で見事に演じられていた。更に特筆すべきは、第1話から登場し、半ば宿敵として設定されていた正体不明の知的生命体スフィアの存在で、その最終形態であるグランスフィアはブラックホールの中に潜む惑星そのものが一定の秩序と規律を共有する知性であり生命体であるという非常に抽象的で観念的なもので、謂わば究極の全体主義もしくはコスモポリタニズムの権化として描写されており、それに対峙するダイナの科白も併せて、実存主義的なヒーロー像を提示する非常に重厚な作りになっていた。この辺のレヴューはいずれ何かの機会に書こうと思っているが、とにかく「ダイナ」は世間で言われているほど明快なヒーロー番組ではないんだよ!!
 さて、そのことを踏まえたうえで「ダイナ」の明快さの魅力について、TBSチャンネルの放送分に連動して最初期1クール分を見つつ、書いていこうかと。しかし、リアルタイムで視聴していた頃は異色作品が多く怪獣も観念的だった後半が圧倒的に面白く感じていたが、今見てみると徹底的に明快なつくりの初期作品群も面白いなぁ。
 「ダイナ」は前作「ティガ」の7年後という時代設定を持った正式な続編として描かれる。時系列的にも設定的にも過去作品との明確な繋がりが示唆されている作品は実はこの「ティガ」と「ダイナ」のみで、他の作品でのそれは設定やストーリーのところどころに多くの矛盾を抱える謂わばパラレルワールドである。「ダイナ」の世界において人類は火星開発を進めるニューフロンティア時代を迎えており、ダイナの最初の戦いも火星上であるから、この作品のもうひとつの舞台は火星だと言っても過言ではない。*1複数の怪獣が登場する2部構成1、2話や、「ワンダバ〜」という独特のコーラス用いた防衛組織のテーマBGM、また第3話「目覚めよアスカ」における、自分過信したアスカがウルトラマンに変身できなくなるという「帰ってきたウルトラマン」へのオマージュと思しきエピソードは、*2第2期ウルトラを彷彿とさせるドラマ作りが目立つが、基本的にはこの作品(特に前期)はウルトラマンシリーズの第1作である「空想特撮シリーズ ウルトラマン」を意識した作品だと思っている。ウルトラマンダイナの必殺技であるスルジェント光線のポージングが初代ウルトラマンスペシウム光線と全く同じものであることは言わずもがな、腰を低くすえた前傾姿勢でのファイティングスタイルも初代を彷彿させるものだ。ストーリーがシリアス路線だろうがコミカル路線だろうが、ドラマ全体におけるムードが牧歌的でゆったりとしており、防衛組織のアットホームな雰囲気などは正しく「ウルトラマン」のそれである。具体的に例を引くと、第8話「遥かなるバオーン」における怪獣バオーンとダイナのやり取りは、「ウルトラマン」第35話「怪獣墓場」での怪獣シーボーズ初代ウルトラマンのそれを彷彿させるし、第11話「幻の遊星」の遊星の破壊者モンスアーガーと人類に味方するハネジローの関係性は、「ウルトラマン」第8話「怪獣無法地帯」でのレッドキングピグモンへのオマージュとしてとれるし、そのハネジローの再登場回でもある、第16話「激闘!怪獣島」も同じく「怪獣無法地帯」を追体験するものである共に「ウルトラマン」第10話「謎の恐竜基地」を彷彿させる。怪盗ヒマラの声がかつてザラブ星人を演じた青野武なのも嬉しい。
 そして、1クール目の作品群において「ダイナ」の初代ウルトラマンに対するオマージュ精神を端的に表しているのが、第7話「箱の中のともだち」だろう。ストーリー的には単純明快というよりも凡庸で、「ダイナ」作品中でも凡作に位置するものではあるが、戦闘シーンにおいてウルトラマンダイナが初代ウルトラマンと同じ八つ裂き光輪=ウルトラスラッシュを使用していたり、ソルジェント光線の光学合成も通常のカラフルなものではなく、スペシウム光線を意識したシンプルなものとなっていたりと、いつも以上に初代ウルトラマンを意識したシーンが散見される。そして、このエピソードにおけるダイス星人のスタンスは、ウルトラマン第1話における初代ウルトラマンに酷似していることにも注目したい。初代ウルトラマンも、逃走する凶悪な宇宙怪獣ベムラーを追跡する過程で、科学特捜隊のハヤタ隊員が登場する戦闘機に激突、心ならずも命を奪ってしまったハヤタの命を持続させるために、地球に留まることになるのだ。特筆すべきは、物語前半では、ギャビッシュは箱の中に入った愛らしい小型生物で、ダイス星人はその命を狙う不気味な宇宙人として、謂わば実際の立場とは逆転した印象を持つように描かれているという点で、ベムラーを追ってきた初代ウルトラマンにしても場合によってはそのような描き方も可能だったわけである。このエピソードの裏には外見上だけで判断すると恐ろしいことになっちゃいますよというアフォリズムが含まれており、それを「ウルトラシリーズ」において極めて原初的なウルトラマンベムラーの関係に類似したケースでやってみせたところにこの話の面白さがある。まぁ実際に脚本の川上氏が意図しているかどうかはわからないが、深読みはオタクの鉄則でしょう。
 と、愛すべき平成ウルトラ第2作「ウルトラマンダイナ」の擁護は今日のところはこの辺で結びとしとく。
 

*1:SF作品としてのウルトラシリーズで最も地球に近い太陽系惑星である火星が物語の舞台となることは意外に少ない。古くは「ウルトラQ」における怪獣ナメゴンの出身地であったり、「ウルトラマン」第2話「侵略者を撃て」において、バルタン星人の弱点が火星でしか生産されない物質スペシウムであったりと会話上での言及は度々あったが、実際に戦いの舞台として火星が登場するのは「ウルトラマンタロウ」第40話「ウルトラ兄弟を越えてゆけ!」において地球へ向かう暴君怪獣タイラントとそれを阻止しようとするウルトラマンAが一線を交える場面や、日豪合作シリーズ「ウルトラマングレート」の第1話くらいなものだと記憶している。

*2:帰ってきたウルトラマン第2話「タッコング大逆襲」。主人公がウルトラマンに変身できなくなるという展開は後に「ウルトラマンコスモス」(第3話「飛べ!ムサシ」)や「ウルトラマンマックス」(第3話「勇士の証明」)でも踏襲されており、ウルトラマンとしての責任を負う人間が最初にぶつかる障壁として、頻繁に描かれるようになった。