Devil's Own

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subterraneanさんのエントリに寄せて―言葉としての「パンク」の多義性と形骸化

躁なんですけど、体調崩しましたね。
昨日今日すっかりくたばりましたよ。
お陰で書くこと忘れちゃったよう。

あ、思い出した。
ゴスロリ・パンク談義だよ。
まぁ、ゴスというものがキリスト教的ドグマの影響下にないこの国の風土では、内面化されにくく、ファッションに特化していくのはごく当たり前のことなので、でも栗山千明は最高だよ。ってことで一応まとまったのだが。
パンク。
実はこれ過去にも一応取り上げてはいるのだが。
毎度お世話になったいるsubterraneanさん(id:subterranean)さんが、こんなことがあったよと過去書いている。

会社の後輩:「地下生活者さん(仮名)って、どんな音楽聴くんですか?」

地下生活者:「最近はクラシックやジャズが多いけど、パンクとか凄い好きだよ」

会社の後輩:「へーーー、パンクですか(驚)。意外ですねぇ。例えば、どんなバンドです?」

地下生活者:「最近のバンドで言えば…もう解散しちゃったけど、ナンバーガールとかブランキー・ジェット・シティとか。パンクっぽくて最高だよね」

会社の後輩:「えっ?!ナンバガブランキーなら、僕も好きですけど…。あれって「パンク」じゃなくて、「ロック」ですよね?」

地下生活者:「何言ってんだよ。あれがパンクじゃなくて、何がパンクなんだよ」

会社の後輩:「だって、パンクって、もっとメロディアスって言うか、爽やか系って言うか…。でも、ちょっとバカっぽいでしょ?(笑) なんか、僕の好みじゃないんだけどなぁ」

地下生活者:「それは違うよ!パンクってのは、何って言うかさぁ…アヴァンギャルドで刺激的で知的な音楽だよ。少なくともパンクの原点って言われてる70年代のNYパンクなんてそうだよ」

会社の後輩:「はぁ…。でも、それって、もしかして「オルタナ」のことじゃないんですか?ソニック・ユースとかいますよね」

地下生活者:「だ・か・ら、パンクってのは、もともと、そういうもんなんだってば」

会社の後輩:「・・・・。」

僕にも全く同じ経験がある。「パンク」という表現の齟齬を端的に表した一場面だ。
同ブログでは、ここでも挙げられているナンバーガールなどのアーティストにも影響を及ぼす偉大なNYパンクバンドのアルバムをいくつか紹介していて、このラインナップが結構いい。

僕の見解を述べさせてもらうと、ジョー・ストラマーが言ったように「Punk is Attitude」なので、もう音楽のジャンルとしては表現しないようにしている。あらゆる体制、束縛、不条理、既成概念、予定調和へのあくなき反骨精神。それがパンクだ。
そのため、パンクが音楽の1ジャンルとして定義されることはありえないと思っている。パンクであり続けるためには常に「裏切り」が必要となる。自身が確立してきた音楽性を常に刷新し続けること、これが「パンク」であり続けることに要求される正しい態度だ。
ピストルズのヴォーカル、ジョン・ライドンは後バンドPILでニューウェイブやダブへのリズム的なアプローチを見せ、後に「ポスト・パンク」というまたまたどうでもいいラベリングをされてしまうが、このように自らが築き上げた音楽的な方法論を自身の手で再び抹殺してしまうという所謂「子殺し」的な行為自体もパンクな態度だ。

Second Edition

Second Edition

ザ・クラッシュは、鋭角なビートにシンプルでキャッチーなメロディー、そして政治的問題意識の強い歌詞という所謂現在的な「パンク」のイメージを固定化するのに一役買っていた。が、その後はレゲエやロカビリーへの接近を見せ、歌詞にもビターなラヴソングが(これはとても秀逸なのだが)出現してくる。リズムやBPMの面で刺激的だった1、2枚目の支持者は、彼らの試みを原理主義的に批判し、こき下ろしたが、僕はクラッシュのこのようなアティチュードも含めて非常にパンクだと思っている。
London Calling

London Calling

両バンドはいずれもNYから派生したパンク・バンドにスタイル的にも精神的にも非常に影響されているといえるが、このように複雑化した「パンク」の本質と変遷を最も明快にかつ刺激的に提示してくれる格好のサンプルが、ドン・レッツの撮ったドキュメンタリー映画「Punk:Attitude」だと思う。
パンク:アティテュード [DVD]

パンク:アティテュード [DVD]

パッケージにはごらんの通り、英米を横断する伝説的なパンクバンドがずらりとクレジットされているのだが、その最上部にラインナップされているのはヴェルヴェット・アンダーグラウンド。もうこれでにやりだ。
ロンドンとNY、それぞれのシーンで勃興し過熱化していったパンクというムーヴメントの相乗効果と相違点、そして本質的な共通点を理解することできる。
僕的に最も痺れたのはフガジ。
ドラッグや煙草、アルコールといった所謂「ロック」的な象徴に完全なアンチテーゼを示したこれこそ最高のパンクだと頷く伝説的エピソード満載だ。
今のところの彼らの最新作とか、マジで最高だもんね。気持ち悪いけど。
Argument

Argument

模倣はパンクではない。

ギター壊したり、ドラムキットに突っ込んだりしてパンクしたつもりかい?ファック。

さてさて毒舌はこの辺にして、
日本人にとってのリアルなパンクといえば、音楽的には、subterraneanさんもおっしゃっていたように、シンプルなコード進行に乗ったメロディアスな歌メロを特徴とする「爽やか系音楽」というのが的確な見解。
またファッション的には唇や耳に安全ピンやピアスを刺しこみ、ホラータッチのおどろおどろしいメイクに、鮮やかな色の髪の毛を逆立たせ、黒を基調としたタイトなファッションに鎖をじゃらじゃらとぶら下げた人たちといったところ。

まず音楽面に関して言えば、これは90年代に一世を風靡したインディーズバンド、ハイ・スタンダードの功罪であるところが大きい。
音楽的にはクラッシュ、ラモーンズ、そしてグリーン・デイの影響下にある彼らのアルバムMaking The Roadは決して予定調和に走らないピース&ユニティーの考え方に根ざした今もって多くの人々に愛される名盤であることは認める。

メイキング・ザ・ロード

メイキング・ザ・ロード

DIY精神を尊重したマーチャダイジングと精力的ツアー活動により、彼らはたちまち「僕らのバンド」へと成長し、多くのキッズが主体性を持つきっかけにさえなったかもしれない。
しかしながら、ハイスタのこういった主体性や精神性は残念ながらフォロワーにしっかり継承されることがなかった。
メロディーやビートは画一化されていき、歌詞も必要以上に「楽しさ」だけにフォーカスしたバンドが量産され、巷では「青春パンク」と呼ばれる劣悪なパンクバンドがシーンに幅を利かすようになる。
最も最悪だったのが「贈る言葉」のカバーしてた奴と、テレビの企画でバンド・メンバーを寄せ集めたロード・オブ・なんとかとか言う人たち。
プライドないのかよ。本当に失望した。
ハイ・スタンダードが起こしたパンクムーヴメントは自己崩壊という最悪な形で終わってしまった。
現在の日本人のパンクに対する音楽的なイメージ形成は恐らくこういった経緯であるとおもう。

さて、でもってファッション的なパンク。これは、シド・ヴィシャスかなと思う。
矢沢あいの漫画「NANA」の影響もあるかもしれないが、日本ではことにパンク・アイコンとしてのシドが異常なまでに神格化・カリスマ化される傾向にある。
これは正直原因がわからない。でも別に使い分ける限りでは、問題ないしね。
ただ、ピストルズが有名になった頃、ヴィジュアル的なインパクトの噂だけが飛び火し、ライヴ会場には安全ピンを唇に刺しまくったキッズが氾濫し、非常に戸惑ったということを先の映画の中で、関係者のひとりが言っていた。
文化の形骸化というのは必ず起こることではあるようなので。

つうわけで今日は長々とここまでです。

ps subterraneanさん
  どうもトラバが上手くいかなくって。。なんででしょうね。