Devil's Own

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「平成へ帰りたい」―素晴らしき平成女子の感覚が見た「少女椿」の昭和的暗黒

 久々に故郷長崎へ帰省した。20歳離れた妹はまたも僕を見て号泣。あーあ。
 朝一の飛行機に乗るために昨日は一睡もしなかった。内田百聞読んで時間を潰していたが暇になったのでLast.Fmというサイトにレジストし、僕がPCで聞いた曲のリストが反映されるモジュールをブログ上に新しく追加した。似たような機能はmixiにもあって、僕は結構好きな機能だったのだが、こちらの方がリアルタイムに連動しているし、音楽好きな人間のソーシャルネットワーキングとしては圧倒的に面白い。皆様是非是非。

 さて、昨日の記事に寄せて、「地下幻燈劇画少女椿」に関してアナーキーな女子高生koshianさん(id:koshian2069)さんが、トラバ先でフィードバックを書いてくれている。Koshianさんのブログはシンプルで衒いのない言葉たちが携帯端末を用いて次々と投げ込まれていて、とても面白い。ダダイスティックな彼女の言葉に触れるにつけ、その頃の自分について色々思い出す。どうしてあの頃はあんなに自分の感性や皮膚感覚に忠実に行動できていたんだろうな。オトナになるって嫌なことだぜ。

 彼女はこの昨日の記事を読んで、「少女椿」に興味を持ったらしく昨日真夜中に早速YouTubeで全編視聴したようだ。その上で、非常に端的で本質的な感想を述べている―曰く「平成にかえりたい」。VIVA新世紀、素晴らしいね。
というのも、昭和(特に戦後間もない昭和)という時代が持っている暗澹として空虚なムードは、「少女椿」、引いては丸尾末広の作品群の世界観に密接に関わっているからだ。そしてそういった「昭和」的なイメージが見世物小屋という世界の中に集約されている気がする。例えば「少女椿」には、身体的なハンディキャップを負っているキャラクターが複数登場する。彼らは自らのハンディキャップを「見世物」にすることで生計を立てているが、その姿は戦後の日本人が持っていたであろう喪失感とどこか結びついている気がする。恐らく彼らのように身体にハンディを負った者は戦後の街には沢山いたのではないだろうか。手足のない亀男のコンセプトは間違いなく江戸川乱歩の「芋虫」に着想を得たものだろう。
 見世物小屋に関してだが、近代以降、人権擁護の動きが「見世物小屋」の存在そのものを否定する気運へと繋がり現在ではたった2件しか残っていない。だが、果たしてこの気運が真の意味での人権擁護として作動しているかは甚だ疑問だ。他者の身体的ハンディを見世物にするなどけしからんと言う立場から、頭ごなしに全てを消しさり「見えないもの」にすることが果たして平等主義の実践と言えるだろうか。
 「少女椿」から解りやすい例を引こう。物語の中心となる見世物小屋のメンバーの中で、不当な弾圧を受けているのは、五体満足で最も健常な身体と精神を持つ主人公みどりちゃんだ。みどりちゃんの世界は見世物小屋の中だけであり、パラダイムの変更があれば私達の「平等」の概念など簡単に転覆してしまう。
要するに今社会で公に掲げられている平等思想の殆どが、とんだ食わせ物だということだ。
 「少女椿」で描かれる世界観は、「昭和」という時代が持つ過酷さや喪失感からくるある種の薄気味悪さを醸し出しているにも関わらず、抗いがたい魅力も併せ持っている。それは、丸尾作品のおぞましくも美しい扉絵を初めて開くとき誰もが感じるであろう「怖いもの見たさ」の感覚だ。そしてその「怖いもの見たさ」が昭和の見世物小屋の魅力とそのまま共通している。僕らは自分と異なるものを異なるものとして認識し、時にはそれに驚愕し、反発しながらも同時に強烈に惹きつかれる。「怖いよグロいよと怯えながら全部きっちり見」ちゃうのは、形式化した空っぽの平等主義なんかよりもずっと健全な反応だと思うんだよね。そして非日常である「昭和」から日常である「平成」へ帰りたいと感じる。だけれどやっぱりたまに覗いてみたくもなったりするのは、素敵なことじゃないか。

 だから僕は「少女椿」という作品が、沢山の人々の「怖いもの見たさ」=「異世界を除くことへの願望」を満足させてくれる作品であって欲しいと切に願う。みどりちゃんの不幸譚は、僕らの隣にいつでもある異世界への扉であるから、これは残酷で美しい「不思議の国のアリス」なのですよ。

 関係ないのですが、先日神保町で改訂以前のヴァージョンでの「少女椿」を発見し購入した。アニメーションはこちらの初号版に準じて作られているが、現在店頭で入手できる改訂版「少女椿」は過激な描写がところどころ削除・改変されている。
 で、初号版には作者のあとがきとしてみどりちゃんのその後が、ちょっとだけ描かれている。やっぱり不幸だったみたい。
 表紙は現在までで3タイプあるが、だんだんみどりちゃん色っぽくなっている気がする。