Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

PerfumeとThe Pipettes−ポップミュージックという「無」つまりはユートピア

一日おきに徹夜する生活が続いたせいで、完全に身体が馴染んでしまい、全く眠れず、4時近くまでごろごろしていたが、開き直ってコーヒーを沸かし、PCを立ち上げてしまう。近況を言うと、本当に忙しすぎて、ヴェーラに「徳川セックス禁止令」を結局見にいけなかったというのが悔やまれてならないのだが、USのアマゾンから「ローラ」のビデオが届いたので、テンションは何とか保てている。
 ところで最近サークル兼ゼミのお友達H君がPerfumeというガールズグループにハマっていて、これがとてもよい。女の子3人組という編成と、キュートで煌びやかなパーティーミュージックという点において、*1去年の暮れに僕自身が盛り上がっていたUKのガールズグループ・The Pippetesを彷彿させるなぁと思っていたのだが、奇しくも最近アンテナ先のブログ2箇所で、この2グループがそれぞれ言及されていた*2ので、僭越ながらここでは両者クロスオーヴァーした散文でも書いちゃおうかと思う。
Perfume「Chocolate Disco」

Perfume「Computer City」

Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付)

Perfume 〜Complete Best〜 (DVD付)

Perfumeテクノポップアイドルユニットというわけのわからんカテゴライズをされてはいるが、プロデュースを担当しているのはcapsule中田ヤスタカ、なるほど。capsuleヴィレヴァンなどでかかっているイメージが強く、いい意味でも悪い意味でも「お洒落ポップ」なイメージが定着してしまいアーティストとしてのアイデンティティーが記号化したことにより逆に没個性と化してしまっている感が否めない。perfumeは最初っからアイドルなのだから、そのような記号性や形式美がむしろ強みになっている気がする。というのもポップミュージックというものは最初から大衆に消費されることを前提にして存在するものであるから、むしろその音楽を消費する大衆の最大公約数の感受性に適応すれば問題ないわけで、アーティストサイドの個性だとかリアリティーだとかは単純に「購買活動」という面から見れば足枷にしかならない。perfumeの音楽では、「人間性」の排除が徹底されていて、ある意味では開き直りととれるくらいに即物的だ。この音楽にホンモノの女の子は必要ない。必要なのは女の子のヴィジュアルのみであって、もしこの歌を歌っているのがミュージッククリップに映っている3人でなかったとしても、騙されたと気づくまで、僕らは彼女達の音楽を愛しているに違いない。リスナーにとって彼女達の存在はまるでアンドロイドのように無機質で冷たいが、だからこそ聴くものは、容易にその記号化された世界観にコミットすることが出来る。ポップミュージックというものは元々大衆の感性を統合し理想化したユートピアであり、その本質は完全な虚無であり空洞である。ユートピアとは元々「無」を表す「ユー」と「場所」を示す「トポス」を繋げた言葉なのだから、理想的なポップミュージックの大衆に対するスタンスというものは最初からこういうものなのである。だから僕自身としては刹那的で錯覚に過ぎない「愛してる」だとか「一緒にいたい」などの感情を、大仰に歌い上げる胡散臭い純愛ソングよりも、圧倒的にperfumeの音楽を支持したい。個性を滅却し、徹底的に記号化した彼女達の音楽の中に極めてミニマルな形でのリアリティーは確かに存在している。「完璧な計算で作られた楽園で 一つだけ嘘じゃない愛してる」という「Computer City」冒頭のラインが、perfumeの音楽における意識的なスタンスを端的に表している。「Computer City」はダフトパンクの「Digital Love」を連想させる秀逸な歌モノダンストラックだが、「ロボットがハートを持つ」という歌詞における世界観自体もダフトパンクがこれまで提言してきた思想(というと大袈裟だが)を直接継承するものかもしれない。要するに単純明快に「君が好き」だけを伝える筈のラヴソングやコトバがこうも氾濫すると当然のようにコトバのデフレが起きる。そうなると「等身大の想いを綴った」だとか「不器用ながらも誠実な愛を謳った」とかいうキャッチコピーを貼り付けられた最低劣悪なオンガクが溢れ返るという仕組みだ。Perfumeの歌詞を見ると「結局「愛してる」なんかい!」とツッコミをいれずにはいられないが、そのミニマリズムにはやはり清清しさを感じずにはいられない。ゴダールのフェイクSF映画アルファヴィル」のラストカットでの「ジュテーム」が感動的かつ説得力を持って響くのも同じような理由からだろう。
The Pipettes「Pull Shapes」
We Are the Pipettes

We Are the Pipettes

 さて、ここまで書くとThe Pipettesに言及する必要もないじゃないかという気もするのだが、ピペッツの音楽にしたって、Perfumeと同じような「意味のなさ」は確かに存在している。但しピペッツの場合はもっと能天気で無防備、というより天然だ。だからこそPerfumeよりも数百倍恐ろしいポテンシャルを持っている。この音楽に第三者の説明が入り込む余地はないのだ。なにしろ、「Pull Shapes」は掛け値なしに完全無欠のパーティーチューンだが、「踊りたい踊りたい」みたいなこと以外全くもって何にも歌っていない。伝えることなんて何もないと言わんばかりだ。それでも、この音楽で踊り狂わずにいられない人間は不感症という他ない。またはよっぽど世の中を悲観しているかだろう。小難しいコトバとか理屈なんていらないじゃないか、このビートとコーラスとメロディーを聴いて「楽しい」と感じるその感性こそが音楽の素晴らしき魔法であるし、僕らがポップミュージックを愛してやまない所以でもある。そして、この場における僕の言説というものが、どんなに意味のないものか、もうお分かりだろうか。そう、このエントリは、まるでコーネリアスの音楽のように極めて自己矛盾を抱えた性格のものなのだ。だから、この文章を読んで、PerfumeやピペッツのCDを買ったとしたらすぐに忘れ去っていただいてかまわない。以上。