Devil's Own

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「プレステージ」―千の偽り、万の嘘。幸福の魔法と不幸な真実

 仮面ライダー電王は久々にウラタロスの活躍が見れてよかった。ライダーキックを使うの彼だけだしね。
 後輩の撮影を手伝った。トイレでの密室型の一人芝居というもの。彼は劇部兼任なので、シナリオや演出はとても演劇型で、楽しんだ。トイレの個室も撮り方次第でスリリングなのだけれど、腕が疲れた。
 結局終わったのは夜になってしまい、でも1000円だしなぁと、近くの映画館の時刻を確認すると「ダイハード」には余裕で間に合うが、「プレステージ」はあと3分とかだったので、前者の主人公のように後者に滑り込んだ。ポスターにおけるスカーレット・ヨハンソンの悪女然とした佇まいが美しすぎて、てっきりヨハンソンを巡って二人のマジシャンが鎬を削って身を滅ぼす話かと思いきや、むしろヨハンソンは随分と悲劇的な役であった。
 映画は様々な時系列が錯綜し同時進行していくノーラン的精密機械のようなもので、複雑なプロット配置ゆえに前半間延びしてしまう印象もあったが、蜘蛛の巣のように張り巡らされた様々な伏線が後半で収束していくテンションの高さは圧巻で、とても良質なミステリーだった。
 この物語の結末を人に話さないで欲しいというクリストファー・ノーラン自身からのメッセージが冒頭に出てくるが、簡単に種明かしできるようなものではない。というよりこの作品が語ろうとするものはラストの種明かしそのものではなく、種明かしという行為の過酷さや残虐性のようなものである気がしてきた。二人のマジシャンが命がけのマジックの種は、最後の最後に観る者に明かされるが、トリックそのものの鮮やかさよりも、その残酷さや哀しさの方が重くのしかかる。マジックというのは人を騙すことで、誰かを騙すということはやはりそれなりに大きな業や運命を背負っているものなのかもしれない。人々の拍手喝采に突き動かされるように、前人未到の瞬間移動マジックに駆り立てられる二人のマジシャンの姿は、狂気とかストイシズムとかいうヒロイックなものではなく、むしろ虚無であるような気がしてならない。「秘密が僕の人生だ」というボーデンの科白が彼らの美意識の空虚さを最も端的に表している。種明かしの後になって、ナレーションでは、華麗な手品のトリックなど最初から知りたくもないのだし、知らないほうがいいと語る。知らなくてもいい真実を無条件にオーディエンスに吹っかける実に呪わしい映画だ。面白かった。

 がるぼるさんのとこで、エドワード・ヤンの死を知る。無念。「恋愛時代」の儚さと醜さが好きだった。