Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

今日もニーチェを音読

「6っていつもテスト終わるの早い気すんだけど」と言われるが、確かにその通りで、3年連続余裕のフジロック参加なので、恵まれているわけだ。とはいっても、僕はいつも真面目に学習しているのですよ!
 それにテストが終わってもレポートはまだ6本もある。うち2本が消化できているが。そのうち3本は後期提出だけれど、1本がプラトンについて書けばよくて楽勝で、1本は例の「悪女文学論」なのであとは「椿姫」を熟読するだけでよいので行けそうで、もう1本は第三世界の映画リストから数本観て書くだけで、リストの中にはホウ・シャオシェンの映画が3本も入っていたので、やったという感じなので、夏休みは楽しいレポートばっかりだなぁ。あとはジャーナリズムゼミの自由研究と卒論の構想だけだ。
 というわけで、目下仕上げなくてはならぬレポートは記号学のみなのだけれど、それこそ「鼻血の記号学」をやるしかない!と思い、昨日から図書館を駆けずり回ったが、ちょっと見つからず諦めるしかなさそうだった。この間仕上げた比較文学のレポートは村上龍の「ラブ&ポップ」に見る女子高生の感受性とかいう、カルチュアルスタディーズっぽいことをやったのだが、この仕上がりが気持ち悪いくらい宮台っぽく、なんだか泣けてきた。もう90年代のことを書くのはやめようと思っていたけれど、鼻血のことを書けないとなると「淫靡の記号としての女子高生」をやるしかなくなってきて、あー僕本当に女子高生のことしか考えてないなぁとますます哀しい気持ちになる。本当に。
 哀しい気持ちのまま、図書館を出て、生協の本屋で買い物した。ついに本谷とジュネを買ったぜ。

葬儀 (河出文庫)

葬儀 (河出文庫)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

 あと圓田浩二のこれはもう相当前から読んでいて、今では図書館のどの棚にあるかわかるくらいだが、そろそろどこかで買おう。
誰が誰に何を売るのか?―援助交際にみる性・愛・コミュニケーション

誰が誰に何を売るのか?―援助交際にみる性・愛・コミュニケーション

 それにしても、お金がなくなってしまい困っている。カウリスマキの新作も放置しているし、爆音ゴダールもあるし、「石の微笑」は出来ればもう一度見たいとか思っていたが、しばらくは映画の自粛かもなぁ。でもヴェーラくらいならいいかなぁ。それから出来るだけ節約を心がけた自炊をしなくてはならず、そのためのレシピを数日分考えていると楽しくなってきた。僕もなんだかんだで、3年も一人暮らししているのですっかり料理のレパートリーが増えて、とりあえず少ない予算であと一週間はわりと美味しい晩御飯を食べられそうなので、よかった。「6はお家がお医者なのに、どうして親にお小遣いとかねだったりもっといい部屋にしてもらったりしないの?」と先日友達に言われたが、こうやって節約するのは楽しいし、あとは親にもらったヴィトンのバッグで登校してくるお医者の息子さんを見て、ちょっと吐き気がしたので、とりあえずそういう人間にはなりたくないなと思うし。というか僕だってお金ねだるのだけれど、くれない。僕が映画見まくったり、本買いまくってるのは、それなりに努力しているよ。映画観るためにゆで卵だけで過ごしたり、ドーナッツだけで過ごしたりするし。後輩にトリュフォー見ろよーっつってパンフとかあげたりしたけれど「お金ないっス」とか言って行かずに、でもスパイシーチキンとかぱくぱく食ってるじゃねーかお前!それ3回我慢すればトリュフォー2本見れただろうにっと思う。そんなんだからなぁ、彼はいい画を撮るがワンパターン化の罠を突破できないだろうなーきっと笑。
 節約して映画観ろよなーというお話を友達としていて、彼は私立の医学部に通っていて、多分お家はお金持ちなのだけれど、本当にいい奴で、別に彼がココを読んでいるから言うのではなく、本当にいい奴で、「ご飯にパルザンチーズかけて喰ったら結構うめーの」とか貧乏トークしだすくらいだからもう最高にいい奴だなっ笑