Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

掘る男への悼辞―「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」


 予定調和的な他者との関わりを排し、信仰をを殺し、家族への愛を抑制する*1プレンビューの姿こそが今日で最も理想的な映画人であって、こんな空虚さと絶望を引き摺って映画を撮る人が果たしてこの世界に何人いることか。この映画を評して「欲望の狂気に呑み込まれていく主人公」とか「金銭至上なアメリカ的価値観への〜」みたいな意見は表層的でしかない。映画を撮る人はみんなプレンビューを見習うべきで、彼の悪口を言ったり中途半端にメタ視している人たちは即刻業界から立ち去って欲しい。金を払って映画を観ている無責任な一観客としてそれだけは言わせてもらう。プレンビューを突き動かしているのは、カネでも人間不信でもなく「掘る」という行為そのものであり、主人公プレンヴューが他人を全く信用していないのは事実だが、だからといって彼がカネを頼っているというわけではない。羽振りが良くなったプレンヴューは豪遊するどころか、ますます掘ることに没頭し、成功後も過酷な労働現場から離れることがない。カネによって狂っていくのはキリスト系カルト神父のイーライ(怪演!)や弟と名乗って唐突に姿を現す男など利権に群がるハイエナのような人々であり、家族を犠牲にして・・という言い回しも適切ではなく、これほど「家族」というつながりに執着する成功者は珍しいくらいだ。息子を遠くに追いやったのも、息子を積極的に仕事へ介入させ危険に晒したこと聴覚障害を患わせてしまったことからの反省と見る方が自然である。プレンビューが息子を愛していないなら、十数年後、息子に去られたときの彼の慟哭をどうとるのか。
 プレンビューは、もはや21世紀からは消えてしまった人間像だ。最後の最後で、この映画が監督の最も敬愛する映画人に捧げられたものであることが明かされ、ラストの「終わった」という呟きは、一体何の終焉を告げるものなのかがおぼろげに見えてくる。
 音楽が少し饒舌すぎる。ブラームス以外は正直ない方が効果的だったと思う。あまりに傑作然とした佇まいに逆に引いてしまうところがなきにしもあらずだが、物語が大きなうねりに突入することを告げる中盤の油井炎上シーンなどは劇場でこそ体験しえる素晴らしい場面だ。あーでも僕は「パンチドランク・ラヴ」のが好きだよ。

*1:それでも零れ落ちる「家族」への執着がこの映画の最も主要なテーマのひとつ。