Devil's Own

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チャウ・シンチー「ミラクル7号」、そこまで笑わなくても・・・


 うーん、残念だ。宇宙犬ナナちゃんが出てきてダンスするシーンまでは傑作の予感がしたのだが。シンチーがいつもの自意識とサービス精神を押し殺すと映画のエッジはここまで鈍るものなのかと思った。「少林サッカー」にも「カンフー・ハッスル」にも「ありえねー!」的なキャッチコピーがついていたように記憶しているが、この映画はラストの展開も含めて全く以って「ありえる」お話だ。そういう意味で多くの人がチャウ・シンチーと聞いて連想する荒唐無稽な面白さはない。僕自身はむしろこの作品がそういった「ありえねー!」を抑えた作りであることを聞いて期待していたのだが、この映画はそういった観客にとっても物足りない結果になってしまったように思う。
 第一、主人公の少年ディッキーも父親もナナちゃんを粗末に扱いすぎだ。トイレにぶち込んだり、鍋蓋でぶっ潰したり。だから終盤の展開も説得力に欠ける。夢での話で無理矢理ギャグを盛り込んだりせず、しっかりドラマを描くことに腐心すべきだったと思う。パーティー感あふれるラストは、強引にいつものチャウ・シンチー映画に軌道修正したような印象があり、しかもそれが十分想定範囲内のものであるのでどうにもノレないし物足りない。あのラストは明らかに蛇足だ。終盤で動かなくなったナナちゃんを何とか蘇らせようと試行錯誤していたディッキーは最終的に机に向かって勉強するという行動に出る。勉強して科学者になればナナちゃんを蘇らせれるかもしれないという思いつきなんだろうし、それを台詞で説明しないとことは凄くいい。これは言うまでもなく、まことしやかに囁かれる「ドラえもん」の非公式最終話*1でもあり、ゆえにその後の展開の蛇足感は否めないのだ。因みに「ドラえもん」へのオマージュも随所に見られ*2、本作の雛形である「E.T」が「のび太の恐竜」に着想を得た作品であることを考えると頷ける。
 映画には関係ないが、単純に周囲の観客が必要以上に笑っているのがなんとも不愉快だった。笑うのが悪いとは言ってない。映画の笑えるシーンで会場がどっと沸く感じはむしろ好きだ。ただ今回はその笑い方が不自然というか、笑うために笑っているような状況が何度かあった。その取ってつけた感がバラエティー番組とかでの芸能人たちの笑いを想起させて気分が悪かったのだ。「ひどっ」とか「いやいやいや」とかツッコミ入れてる人とかいたし。ただやっぱりチャウ・シンチーの映画というのは多くの人にとって「笑うための映画」として定着しているんだなと思う。「大日本人」を劇場で見たとき、似たような思いをした。みんな松本人志が登場するファーストカットだけで笑っていた。それって映画が可笑しいってこととは違うと思うのだ。だから「ホット・ファズ」とか不必要に「笑える映画」だということを煽る宣伝ってなんかイヤなんだよな。見に行くけど。