Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

「闇の子供たち」追記−メッセージだって商品だ

闇の子供たち」は日本ユニセフプロパガンダ映画になる危険性を有している。この映画についての感想をブログやポータルサイトで見ていると「目を背けないでください」や「考えさせられました」みたいな「誠実な」言葉にぶつかるが、某巨大掲示板*1で指摘されているように、闇を描いた映画が闇に利用されているという入れ子構造があることは意識しなくてはならない。レニ・リーフェンシュタールのオリンピック映画に胸躍らす一方、「生きるべきか死ぬべきか」に心の底から爆笑する。映画にはそういう矛盾を平気で起こさせる危険さある。但し、先日のエントリ*2でも述べたが、この映画は安易なヒューマニズムやドグマに回収される「メッセージ」の映画ではない。宮崎あおいが見せるヒステリックな演技は、ポーズとしての「ヒューマニズム」への作者の冷静な距離を感じることができる。ほんの少しのリテラシーがあれば、劇中に登場するペドファイル達が「醜悪なもの」として過剰にデフォルメされステレオタイプ化された表現であることに気づくだろう。映画におけるリアリズムが虚構性を浮き彫りにする、その逆説を作者は意図的に行っている。そうしたことに留意すれば、衝撃的なのは「メッセージ」ではなく*3豊原功補宮崎あおいに吐き捨てる痛烈な皮肉であり、佐藤浩市宅でのスリリングな長回しであり、方向感覚が欠落した広場での銃撃シーンであり、タイ人バイヤーが逮捕時に見せる笑顔であり、川辺でのラストカットであることがわかるし、そこに素直に興奮することが出来るはずだ。「闇の子供たち」を見て、思わずユニセフ基金してしまった「善人」には、映画がとても危険で罪深いメディアだと認識してもらわなくてはいけない。要するに「闇の子供たち」は素晴らしい映画だが、「闇の子供たち」に便乗した商売には気をつけましょう、ということだ。そしてもっと重要なのは、そうした「社会派」とは一切無縁だが、同監督の「カメレオン」も同等に価値のある映画だということだ。

*1:拙エントリが紹介されていたようだ

*2:http://d.hatena.ne.jp/DieSixx/20080806/p1

*3:勿論児童買春の現実から目を背けるという意味ではない。