Devil's Own

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おとうさんおかあさん、ありがとう!『片腕マシンガール』


 プロバイダへの料金を三ヶ月くらい滞納していたので見事にネットを止められ、更新が出来なかったんです。そんなことより、今月末ようやく話題の『片腕マシンガール』を見に行くことが出来たんだが、観た後に「あー面白かったー」と素直に言える映画を久しぶりに観た。迸るパトスの映画であり、この映画の潔いアティチュードを前にして、あれこれ小難しい理屈やレトリックをこねくり回して「レビュー」することは野暮でしかないだろう。映画は教科書であるよりマンガやエロ本であるべきだ。いい映画を観たときには、まずは言葉なんて失うはず。出来るだけ、大人数で観にいって、映画館を出た後は各々好き勝手に感想を述べ合うのが一番正しい反応だと思う。こんな正々堂々とした娯楽映画は他にない。というわけでいつもよりざっくばらんに語りたいと思うよ。

  • 文字通り出血大サービスの切株表現が目白押しだけど、所謂「B級映画」や「お馬鹿映画」だとは思わなかった。むしろ映画としては凄く生真面目で真っ当な作り。ストーリーは確かに破綻しているし低予算映画であることは確かなんだけどね、でもそれは井口が多大なリスペクトを寄せる往年の東映映画と同じで、映画の持つエネルギーや衝動が脚本の出鱈目さや映像の安さを凌駕してしまうことなんて珍しくない。
  • 要するに僕が強調しておきたいのは、「お馬鹿だから」とか「ツッコミどころ満載だから」という理由でこの映画が面白いと言っているのではない、ということだ。例えば昨今「B級」と呼ばれる映画は低予算故の映像表現の至らなさを、あたかも意図的な演出であるかのようにもっと言えばお洒落なモノであるかのように開き直る唾棄すべき風潮はある。タランティーノのようにA級の予算をかけてもB級的な映画を作る人だっている。でも『片腕マシンガール』の魅力はそうした「B級っぽさ」ではないということは明らかだし、タランティーノの映画を語るときに過去映画からの品のいいパスティーシュを指摘しただけでは不十分だ。このブログでは何度も言っているが、語り口が稚拙だからといってその中で語られる内容まで稚拙ということにはならない。『片腕マシンガール』で描かれる容赦ない残酷描写は、全て深くて温かい愛情に根ざしたものであり、それを僕は深い感動を持って受け止めた。
  • こと演出に関して言えばB級どころか、アクションシーンなどは近年の映画では珍しいくらい丁寧かつ堅実に作られている。せわしないカット割りやぶれまくるカメラで躍動感つけて誤魔化すような小賢しい手法は一切ない。
  • 主役の八代みなせを筆頭とした女優陣が凄くイイ。亜紗美、穂花は現役のAV女優だが、敢えて「脱ぎ」を封じ演技だけで勝負させている。そうした監督の心意気にも好感が持てたし、女優陣もそれにしっかりと応える形でそれぞれの役柄に根ざした好演を見せていた。
  • や、この3人の女優はマジで最近の邦画界で活躍している若手女優達*1のあの白痴のような棒読み演技を軽く凌駕していたよ。ちゃんと台詞読んでたし、それぞれ声も違ったトーンでいいよね。
  • まぁAV女優としては、穂花はエロ過ぎるし亜紗美は幼すぎるので好みではなかったんだけどね。ほんと二人ともよかったよ。
  • 主人公の弟達がイジメに遭うわけだが、なんていうかこのイジメがいい。現実のイジメみたいに陰湿じゃなくて、金とって殴って蹴ってみたいなわかりやすいイジメなんだよな。イジメられっ子にも抵抗の余地があるし。世の醜いいじめっ子達は、こやつらを見習い正々堂々としたイジメをやってほしいものだ。*2
  • 登場人物のほぼ全てがぶっ殺されるわけだが、みんな死ぬ間際に家族のことを呼ぶわけだ。血なまぐさくて派手なストーリーで見落としがちだが、この映画には温かくて切ない家族の絆や結びつきがある。みんな家族の為に人を殺し、家族の為に死んでいく。家族が家族を殺すことも珍しくなくなった現代において、この物語はもしかしたら失われたファンタジーかもしれないよ。
  • 逆に言えば、血縁以外のつながりはこの映画では驚くほど希薄に描かれている。アミの親友ヨシエが、アミの居所を知りたいヤクザに脅迫される場面がある。ヨシエは「アミなんて知らない」というような台詞を吐くが、これは善意と悪意両方から解釈することが出来る。
  • 家族を失った悲しみと失望はアミを復讐へと駆り立てる。憎悪や絶望といったネガティヴな感情が、復讐を遂げるまでは絶対に生き抜いてやるというポジティヴな情動へと逆説的に繋がっているのである。この映画では人がすごく死ぬんだが、どこか爽快で希望に満ちて見えるんだよね。決して、死を肯定しているわけじゃない、むしろ死に対して本気で抵抗するわけよ。ラスト、復讐を遂げたアミは自らの喉に日本刀を押し当て、自決しようとする*3が、何者かの殺気を感じて思わず身構える。死の直前にあってもなお、生きることへの強靭な意志が現れるのだ。この素晴らしいラストシーンに、人殺しと自殺が当たり前のように横行し、それに対する諦念と無関心が氾濫する世の中の暗く悲しいタナトスニヒリズムを超克するニンゲンの強かさと美しさを見た!
  • 特に最後、木村スミレ(穂花)と翔の母子が死ぬシーンとか感動的で泣きそうになった。冷酷非道な精神を貫きながらも母親の危機に思わず駆け寄り、命を落としてしまう翔。これってもう『杜子春』なわけじゃん。「親子の情愛が仇になったな」と吐き捨てるアミもいいし。
  • でもこうした家族愛は勿論、自分と自分の子どもが必ず正しいと考え周囲に責任転嫁しようとするモンスターペアレンツ的な独善性と履き違えられる危険性を有しているわけよ。そうした間違った家族愛を批評的に描いているところもこの映画の優れたところで、家族は大切なのは何もアンタだけではないんだよと、だから他の人の家族を犠牲にするとあなたの家族まで皆殺しにされてしまいますよ、というイソップ童話なみの教訓が入っているわけですね。
  • というわけで、この素晴らしい映画を母親の誕生日に見た僕は、帰りにしっかりと母親へのプレゼントを買ったのであった。

*1:長澤なんとかとか新垣なんとかとか

*2:イジメを肯定するわけではないぞ!

*3:八代みなせの美しさ!!