Devil's Own

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いもほりのおもいで

 id:syon_syonさんのブログを読んでいて幼稚園の頃のいもほりの思い出が急にフラッシュバックした。いもほりは僕の行っていた幼稚園でも毎年恒例のイベントであった。あれ、いま当然みたいな書き方しちゃったけど都会の幼稚園でもいもほりとかやってるよね?ね?
 好き嫌いを殆どしない僕である。好き嫌いの多い女性とは付き合いたくないという好き嫌いはある。そんな僕が唯一苦手とする食べ物がある。それが実は薩摩芋なのだ。あのもそもそした食感と独特の風味がどうにも我慢ならない。そういった特徴が緩和されるスイートポテトならある程度食べられる。でも焼き芋は、ダメなんだ。なぜか。
 さて、そんな焼き芋嫌いの僕にとっていもほりなんてワクワクイベントでもなんでもなかった。ま、基本イベント嫌いの僕ではあるが*1、幼稚園における憂鬱なイベントランキング1位がいもほりである。2位は勿論うんどうかいだが、昼食におやつが食べられるというメリットがあった。それに比べていもほりはどうだ。泥まみれになり体力を使って得たご褒美が焼き芋である。十二支をテーマに据えた創作物語の執筆に着手するほど早熟な幼稚園児であった僕にとってこんなに理不尽な体験はなかった。そして、火成岩と堆積岩の相違についてある程度理解することができるくらい早熟な幼稚園児であった僕は、いもほりのイベント中に「やきいもきらい」とカミングアウトすることが、先生達の心証を害し、ひいては「きく1組」における自身の立場を悪くしかねない、今風に言えばKY発言になることも十分に承知していた。そのため僕は、自分が焼き芋を食べれないことについて、一切こぼすことなく、いもほりというイベントを消化していたのである。だが、苦手なものはやはり苦手だ。前年のいもほりにおいて見栄を張って通常サイズの焼き芋を選んだことで随分苦い体験をしたことを踏まえ、その年は、ひときわ小さい、薩摩芋というよりは山芋に近い形状のかなり小さめのものを進んで手に取った。「ぼくこれでいいやー」。これなら、特に苦労することなくぽりぽりと消化することが出来るだろう。もっともあまり早く完食しておかわり希望者と思われてしまっては元も子もない。目立たない、集団の隅っこで少しずつ時間を稼ぎながらこの一本をクリアすれば、今日のイベントは終了だ。そうおもっていた。しかし、幼稚園の先生を甘く見てはいけない。いついかなるときも園児の行動に気を配っている先生に、あまりに小さい僕の焼き芋が違和感を残さぬはずはなかったのだ。
「あらだいくん、どうしたとね。もっとおおきかとにせんね」*2
そうして先生は、僕の細い焼き芋を通常より一回り大きいジャンボサイズのものと交換してくれた。交換し「やがった」ではない、交換して「くれた」のだ。早熟な僕には、先生のやさしさがわかったのだ。だから、もちろん、引きつった笑顔で、「うん」と言うほかなかったのだ。こうして僕は、いもほりというイベントを通じて、真逆の状況ながらもイソップ童話「金の斧」のコンセプトを身をもって実感したのであった。素晴らしい幼稚園だった。

*1:てかお前好き嫌いばっかじゃねーかと言わないで欲しい。

*2:あらだいくん、どうしたの?もっと大きいのにしなさい。