Devil's Own

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映画館への挽歌(長崎編)

 先述したとおりクリスマス頃から長崎の実家に帰っている。
 今月末から『トウキョウソナタ』がわが長崎にきていたので、時間もあったし、見に行くことにした。これで劇場3度目である。初めて見たときは言葉を失うほど心揺さぶられた作品だが、3度目にもなるとある程度の距離をもって見ることができた。傑作だという確信に変わりはないけれど、泥棒(役所広司)が関係してくるエピソードは確かに少し余計だったかもしれない。母親(小泉今日子)を非日常へと誘う役回りは確かに、ストーリー上必然性をもって見える。しかし、本当に必要だったのは役所ではなく彼が乗っていた盗難車ではないだろうか。あの屋根が開くカッコいい自動車こそ、小泉にとっての「逸脱」を象徴する存在だったとおもう。役所は狂言回しに過ぎない。父親(香川照之)の場合は札束の入った封筒として登場している。長男にとっては米軍入隊、次男の場合はピアノだろう。子どもたちが、自ら選び取った道を歩んでいくのに対し、大人ふたりは用意された逸脱のチャンスを捨て去って「家庭」に戻っていく、その諦念もこの映画の魅力だ。
 余談だが『トウキョウソナタ』は、長崎セントラル劇場というインディペンデント映画館で見た。今年になって長崎市内に二つ目のシネマコンプレックスが登場し、それに伴っていくつかの映画館は閉鎖した。いわゆる「街の映画館」はもうこのセントラルだけになってしまった。セントラルは、シネコンがかけてくれない映画、例えば最近なら『イースタン・プロミス』、『闇の子供たち』、『イントゥ・ザ・ワイルド』などの映画を都内より少し遅れて上映している。スクリーンはひとつだけなので大抵は3本くらいをローテーションでかけているが、それでも当然追いつかないから、長崎には『接吻』も『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』も『片腕マシンガール』もとうとう来なかった。映画を見ない人をむやみに馬鹿にしている東京の「映画好き」には想像もつかないだろう。ハッキリ言っていま、映画は都会人のものである。長崎で映画がかかるころにはすでにDVDが発売されていることもザラにある。「スクリーンで見るべき」なんて僕には口が裂けても言えん!浪人生のころはセントラルにもだいぶお世話になった。もちろんシネコンにも行っていたわけだから闇雲にアンチ・シネコンを標榜はしない。
 チケットを買うために学生証を出すと、いつもは隅に座っている映写技師のおじいさんが、『東京の学生さん。がんばってね。がんばって偉くなってセントラルを助けてください』と唐突に話しかけてきた。長崎市の映画館がシネコンだけになってしまう日が近づいてくる、ということか。偉くなるつもりはないけれど、セントラルにはがんばってほしい。
 今年も暮れですね。観賞メーター見てもらうとわかると思いますが、CSでゴジラ山口百恵ばっかり見ている。年間ベストなんとか、というか振り返るみたいなのを例によって書こうかと思います。