Devil's Own

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『スラムドッグ$ミリオネア』


 僕はインドに行ったことがないし、インドのこともよくわからないのだけれど*1この映画は、『ラスト・サムライ』がまったく日本でないのと同じくらいまったくインドではない、ということはわかる。これは決して作品を貶しているわけではない。ダニー・ボイルは、イギリス人監督が撮る「インド映画」での最高水準の仕事をしている。この映画におけるスラムの光景は、あくまで先進国側から見たフィクショナルなものであり、クランクアップした撮影スタッフも、エンドロールを見終えた僕らも、家に戻れば温かいコーヒーを飲んで心地よいベッドに横たわることができる。
 当然サウンドトラックにも、センスのいいインディーポップが並ぶ*2。少年時代のジャマールとサリームがインドを縦断する列車の中で一儲けする場面で、M.I.Aの名曲「Paper Plane」が使用されているが、M.I.Aの楽曲などはある意味この映画の立ち位置を象徴しているといえるだろう。『スラムドッグ$ミリオネア』は、インドの貧困問題やカースト差別、宗教戦争などにも一応言及してはいるが、そこに当事者としての切実さは見当たらない。この映画は、こうした諸問題をクリティカルに語ることなく、先進国から見たスラムをオシャレでキッチュな「第三世界」として描いている。だから、あくまでもハリウッド的な「通俗映画」としての佇まいを崩さない。登場人物が英語に堪能なのも、全員ダンスし始めるラストのボリウッド的演出もその証左だ。だから見る側も、安全圏に住む人間として「インドってクールだよね!」と楽しむのが正しい態度だろう。この映画をネタに、インドの諸問題についてもっともらしく語ったり、逆にこの映画がインドの内側に踏み込みきれていないと批判するインテリジェンスな言説は断固として拒絶しておきたい。
 この映画の魅力はもっと単純なもので、登場人物や列車の横移動、つまり「走る」という行為への熱烈な眼差しかもしれない。インドのスラム街も、「走る」という行為を肯定し輝かせるための舞台装置だといえるだろう。僕は、小学生の頃から「マラソン」というものが大嫌いで、「走る」という行為はある地点から別の地点まで短時間で効率的に移動するための手段でしかないのに、なぜ行為そのものを自己目的化する必要があるのか本気で悩んでいた。『スラムドッグ$ミリオネア』の登場人物は、みな生きるために走っている。いや、彼らにとって走ることと生きることはほぼ同義といっていい。原初的で不可解な「走る」という運動が、かくもドラマティックで映画的であることを気づかせてくれる作品だ。中でも、最終問題で行き詰ったジャマールのライフライン「テレフォン」に応答するためにラティカが必死で走る場面は、映画のハイライトとなっている。
 最初からアカデミー賞受賞作に期待していないので個人的にはむしろ大満足くらいの出来だったが、気になった点がひとつ。最終問題の答えが、電話に出たラティカにもわからず、結局直感に頼って答えて正解、というのはどうなのだろうか。なるほど、最後に「It Is Written(運命だった)」と示されるように、すべては神によって書かれた筋書き通りと理解することもできるだろう。ただ、だからこそジャマールが自分の未来に強い確信を持っているという描写が必要だったのではないか。ラティカが答えを知っていてもよかったとおもうし、直感に頼るとしても、自分ではなくラティカの直感に委ねてみるなどの演出がなければ、最後のテレフォンも活きてこない。*3
 「筋書き通り」というキーワードが、そのままジャマールとラティカのロマンスの「ベタさ」に連なっていくことが、この物語の秀逸なところだ。だからなおさら、ジャマールの直感にも納得できる説明が必要だとおもう。「ベタさ」の本質は、安易さではなく、逆に律儀な説明にあるのだ。そういう意味でも、ラティカとの会話は踏まえて欲しかった。
 または、最後の問題は敢えて間違いでもよかったかもしれない。というのも、ジャマールは最初からラティカに会うために番組に出演したのであり、ラティカと会話ができた時点でジャマールの目的は達成されていたともいえる。2000万ルピーでもかけがえのない愛を貫くことも十分感動的だったのでは。ここで引き合いに出すのが適当かはわからないが、インドを代表する天才、グル・ダットならばそんなふうに物語を結んでいたかもしれない。

*1:インド行った人ってどうしてみんな、「マジ人生変わるって」みたいになるんだろう?

*2:トレインスポッティング』なんて映画よりサントラが有名なくらいだもんな。

*3:これはしゃもじさん(id:goodbadnotevil-syamo)の指摘なのだが、最終問題の答えが選択肢Aとジャマールサリームという名前のアナグラムになっているそう・・・だと思ったらやっぱりなってなかったんだそうです(笑)