Devil's Own

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『モンスターVSエイリアン』


 休日毎に見るほど『ヱヴァ』にはまってしまっていて、既に通算3度見ている。来週も恐らく行く。あとは基本的に神保町で成瀬を見ている状態なので、殆ど劇場公開新作を追う余裕がないのだけど、怪獣マニアとしてこれだけはと、見た。
 『妖怪巨大女』(1958)、『大アマゾンの半魚人』(1954)、『ブロブ』(1988)、『蝿男の恐怖』(1958)、『モスラ』(1961)など古今東西の怪獣映画から魅力的な「怪物」たちを召喚し、ユーモラスなキャラクターへとデフォルメしている。50年代のユニバーサル製モンスター映画を彷彿とさせるチープでおどろおどろしいタイトルバックを始めとして、SF映画からのパスティーシュがそこかしこに散りばめられていて、そこも楽しみどころかもしれない。ただし二次創作的、サンプリング的な方法論に依存するあまり、キャラクター造形やシナリオに粗雑さが目立つのはいただけなかった。このあたりのドラマツルギーはやはり日本の方がずっと先を行っているようにおもう。ドリームワークスのアニメ全般に言えることなのだが、パロディに終始するあまりキャラクターに人間味が感じられないのだ。人間味って・・・モンスターじゃねーか、と言われればそれまでだが、それならば『悪魔くん』を参照すべし。エロイームエッサイム。主人公スーザンがモンスター達に打ち解けるプロセス、人間達に受け入れてもらえないモンスターたちの心情などは物語の生命線ともいえる要素なのでもっと丁寧に描きこむべきだろう。ただ、半魚人の「ヌメヌメ」やボブの「ベトベト」、ムシザウルスの「フサフサ」などの手触りの再現度は秀逸だ。
 サンフランシスコの街を逃げ回るジャイノミカやゴールデンゲートブリッジを挟んだ巨大ロボとの対決などの場面は巨大特撮好きとしては無条件にぐっとくるものがある。被写体への適切な距離感やカット割などは、『トランスフォーマー*1よりずっとよく出来ている。これらの場面からは、昭和に量産された特撮ドラマからの遠い反響が聞こえてくるようで懐かしくもあるが、その一方で、スケールが大きくカタルシス富んだ場面の数々がもはやCGアニメーションでしか作られなくなってしまったことへの寂寥もなくはない。円谷英二本多猪四郎たちが培った視覚効果のノウハウはもはや無用の長物になってしまったのだろうか。多少滑稽に見えても、僕は「巨大フジ隊員」の方が好きである。
 相変わらず露悪的なドリームワークスのユーモアセンスも好き嫌いが分かれるところかもしれない。核爆弾の発射ボタンとコーヒーメーカーのスイッチが全く同じ形で隣同士にある、といったジョークも衒い過ぎている気がするがどうだろうか。文句なしのハッピーエンドを終えた最後の最後に「BNL」の企業アイキャッチを忍び込ませた『ウォーリー』でのクレバーさを並べて見るとわかりやすい。
 僕は吹き替えがあまり好きではないので通常の字幕版を見たけれど、この映画に関してはアトラクションムービー的な性格が強いので、吹き替えでも3Dで見たほうがよかったと少し後悔している。

*1:何かと引き合いに出してごめんよベイ!嫌いじゃないよ!