Devil's Own

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『サンシャイン・クリーニング』


 ハリウッド的作劇のカウンターとして、ルーザー映画の系譜が古くから存在することは説明不要だとおもう。今年最上級のルーザー映画として多くの人々が『レスラー』を推すことも想像に難くない。時代に必要とされなくなったプロレスラーが、一度うまく行きかけた人生の再出発にも失敗し、痛切極まる自滅に身を投じていく物語は、ただしくルーザー映画の真髄を得ている。ルーザー映画において、サクセスは許されない。主人公は、徹頭徹尾負け犬のままで終わらなくてはならないのだ。是ルーザー映画の基本マナー也。
 『サンシャイン・クリーニング』の主人公ローズ(エイミー・アダムス)は、仕事選びにも恋愛にも失敗したシングルマザー。ハイスクール時代にはチアリーダーの花形としてヒエラルキーの頂点に君臨していた。この栄光の過去が、現状の惨めさを一層浮き立たせる。こうした設定は、先日ちらりと感想を書いたザック・エフロン主演の『セブンティーン・アゲイン』を彷彿とさせるのだが、本作はあくまで、主人公がアメリカンドリームのチャンスを逸してしまうルーザー映画としての文法を外さない。事件現場清掃業というややネガティブな職業を材にとりながらも、本作は徹底して陽性のヴァイブスに貫かれている。主役の姉妹を演じたふたり(妹役はエイミー・ブラント)のそれぞれが、キュートなコメディエンヌぶりを発揮しているところも大きい。女の子らしい言い争いをしながら血のこびりついたマットレスを運ぶ場面の軽妙さといったらない。彼女たちの仕事ぶりを活き活きと描き出す手つきは、社会的に忌まれる職業*1としての納棺師を描いていた『おくりびと』とは対象的だ。もちろん、彼女たちの仕事にはいやがおうにも死の匂いがまとわりつくが、この映画では「死」をいたずらに仰ぎ見るでもなく、かといってまったく見ぬふりをするでもなく、適度にドライな距離感で捉えており、好感がもてる。たとえばこの映画にはある一場面を除いて死体というものが一切登場しない。その一方で、粘着質を帯びた血液や体液の痕跡や、もげて落ちた指などはきっちりと映り込んでいるから油断が出来ない。「主役」たるべき死体が撤去された事件現場という特殊な空間が、かえって不在感を増している。そして、ふたりの姉妹にとって忘れることのできない過去として描かれる回想シーンに、ようやく「主役」が登場することによって、死は避けがたい厳然とした存在として立ち現れてくるのだ。
 あとは、事業者向けのクリーニング用品店を営む店長ウィンストン(クリフ・コリンズ・JR)も印象的だった。彼はごく当然のように、まったくもってナチュラルに片腕なのだけれど、こうしたハンディキャップの描き方も潔い。その上、主人公の息子オスカー(ジェイソン・スペバック)に「なんで片腕なの?」という科白を言わせたりもする。一方でオスカーは、なりふり構わず周りの人や物を舐めてしまう(!)問題児であり、そんなオスカーとウィンストンのコンビには始終にやにやさせられてしまった。しみったれた自己憐憫か押し付けがましい人生賛歌が蔓延する中で、久々に嫌味がなくまっすぐな希望を映画のなかに見た気がした。佳作。

*1:あくまでも一側面としてではあるが