Devil's Own

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『アンナと過ごした4日間』


 「知られざる巨匠」として「知られる」イエジー・スコリモフスキ監督作。いろいろなところでいろいろな人たちが「スコリモフスキ、スコリモフスキ」言っているのでとても気になっていたのだが、スコリモフスキの作品を見ようとすると大雨が降ったり、隕石が落ちたり、恋人が妊娠したりするのである・・・というブニュエル映画のような展開はなくて単に面倒だったり、寝過ごしていただけなのであった。
 地下牢のごとき男子校で青春を過ごした人間としては、ここ最近の童貞ブランド化には違和感を隠せない。『俺たちに明日はないッス』とか『色即ぜねれいしょん』とかあんなん全然ぬるいから。そういうレヴェルじゃないからマジで。男子にとって童貞はもっと絶望的で切実な問題だとおもうのだが。本作はその意味で真の童貞映画といえる。病院の火葬場で働くレオン(アルトゥル・ステランコ)は、身体の弱った祖母とふたりで静かに暮らしている。この内気な中年男は、同じ病院で働く看護婦アンナ(キンガ・プレイス)に思いを寄せており、夜になると自室の窓から向かいにあるアンナの部屋を覗き見るのだ。陰湿な愛情/欲望は祖母の死をきっかけとして肥大化し、ついにレオンは就寝中アンナの部屋に侵入するのであった。前半部では説明的なせりふを廃しレオンの日常が禁欲的に綴られる。河を流れてくる牛の死体、切断された手、鈍重な斧など不吉なイメージが連鎖し、かなり作為的に不穏な存在として主人公を描いているのが興味深い。ふたつの時制を往来しながら、少しずつレオンの素朴な人となりと不運な過去が明らかになっていく、という語りの手つきに舌を巻いた。ロケーションも素晴らしく、曇天やぬかるんだ路面、煤けた建築物などが醸し出す閉塞したムードは、クロード・シャブロルのサスペンス映画を思わせる。実際この作品は「誰も死なないサスペンス映画」ともいえるかもしれない。レオンの人物造形や女性宅への覗き、侵入のプロットはどこか江戸川乱歩的だ。日本で実際にあった事件をモチーフにしているというのも納得できる。スコリモフスキは、レオンの周到な「犯罪」をときに滑稽に、ときに悲哀を込めて描き出す。アンナの部屋に侵入してすることといえば、床を拭いたり、ボタンのほつれを直したり、ペディキュアを塗ったりといった細やかな「親切」なのだ。彼女のはだけた乳房に触れようとするが結局断念してしまう場面やアンナに贈ろうとして床の溝に落としてしまった指輪を掻き出そうとする場面はおかしくも哀しい。終盤、レオンは皮肉な形でアンナに愛を告白することになるのだが、このときの驚きと嫌悪が入り混じったキンガ・プレイスの表情がいい。愛を狂気と呼ぶことは簡単だが、そこに身を投じた者たちはついに報われないまま朽ち果てていく運命にある。『母なる証明』と本作を決定的に隔てているのが、このような愛するものたちへの冷酷なまなざしではないだろうか。規模は小さいのだが順次全国で公開されるようなので必見の作品といってしまおう。