Devil's Own

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『Dr.パルナサスの鏡』


 呪われた映像作家、テリー・ギリアムの最新作。『ロスト・イン・ラ・マンチャ』の主人公が、今度は出演者の突然死に見舞われるというのも恐ろしいが、力技で完成にこぎつけた事実にも呆れてしまう。周知のとおり、製作途中で他界してしまったヒース・レジャーの役柄を、ジョニー・デップジュード・ロウコリン・ファレルの三人が演じているのだ。驚嘆すべきは、三人のギャランティーがレジャーの遺児へ贈られたという美談よりも、苦肉の策を弄してでも映画を完成させようとするギリアムの執念である。物語の辻褄を合わせようが、ヒース・レジャー不在の隙間は埋めがたい。どう見ても本作には「未完成」の印象がつきまとう。だが、オールスタームービーとしてより多くの人たちのアクセシビリティを獲得したのも事実。実際、ギリアムの珍妙なフィルモグラフィーの中でもとりわけ取っつきやすい作品となっている。「入門編」という言い方は傲慢なのでしたくはないが、気負うことなくギリアムの世界観に触れるには最適の一本といえるだろう。一方で、往年のファンでも納得の快作となっている。ギリアムのいびつな想像力は、「ファウスト」を主軸としながら、ギリシャ神話、エジプト神話、旧約聖書ニーチェ哲学などペダンティックな領域を自在に敷衍していく。英国人らしいブラックユーモアも健在だ。ヒース・レジャーは、こうしたどきついユーモアセンスを表現できる稀有な俳優(ジョーカー!)であり、改めてその夭逝が惜しまれる。別の俳優たちに代役をつとめさせるという苦渋の決断が、トニーという役柄の匿名性と、それを体現することの出来たレジャーの存在感をかえって浮き立たせた。そのことは実に皮肉であるし、呪いめいたものを感じる。レジャーが生きていて、全編の撮影を終えることが出来たとしても、トニーというキャラクターはここまで輝いたのだろうか。
 悪魔であるニック(トム・ウェイツ!)と契約を取り交わしたパルナサス博士(クリストファー・プラマー)は、幻想館と呼ばれるふしぎな空間のなかに人々を呼び込み、その人間性を試そうとする。鏡によって隔てられたこの空間は、招かれた人々の想像力を映し出すものらしい。その光景はCG技術によって再現されているのだが、グラント・ウッドの絵画を思わせる幻想館の光景はなんとも前時代的であり、チープですらある。もちろんこれは意図したものであり、驚異のビジュアルを推し進めた『アバター』の影で、寡黙にチープな表現をつづける姿勢は感動的だ。*1ギリアムの信仰は、テクノロジーではなく、つねに人間のイマジネーションへと向けられている。パルナサス博士は、ギリアムの作品でたびたび描かれてきた「想像するひと」の典型であり、監督自身の似姿でもある。そんなパルナサス博士が身を置いているのが、これまた前時代的な見世物小屋の一座であることも興味深い。ローテクなスペクタクルにしか宿らないこのまがまがしさ、いかがわしさはどうだろう!そこには人間を人間たらしめている、物語への欲望が潜んでいるのだ。なるほど『アバター』を、テクノロジー至上主義だと嘆く向きもあるかもしれないが、人間の想像力はそう容易く途絶えるものではないなとおもう。

余白

  • パルナサスの一人娘ヴァレンティナを演じたリリー・コールも素晴らしい。ギリアム映画におけるロリコンの系譜についてはまたの機会に考察したい。
  • トニーを演じた4人のスターの中で、個人的にいちばんぐっときたのはジュード・ロウだったりする。ジュード・ロウってあんまり役に恵まれてない気がするが、今回はトニーの偽善性にマッチしていた。デップが演じるといううわさもあったリドラー役とか意外にはまるのではないか。
  • エンドロール後にも、悪趣味なギャグが用意されている。ギリアムならではのひねくれた追悼とも読めてなかなか粋なのだ。最後まで席は立たないように!!

*1:僕は『アバター』も大好きなのでそこは勘違いしないように。