Devil's Own

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『プリンセスと魔法のキス』


 昨年の『ボルト』の健闘ぶりからもかなりの手応えを感じてはいたが、ディズニー久々のセル画アニメーションは、次なる黄金期の幕開けを告げる堂々の大傑作となった。マスカーとクレメンツのコンビは、80年代末にあのすばらしい『リトル・マーメイド』をものにしているが、本作は間違いなくふたりにとって新たなマスターピースといえるだろう。
 幼い少女ティアナが夜空の星に向かって夢を語りかける。それを見た父親は、「星は願いを叶えるお手伝いはしてくれるが、夢を叶えるには自分でもしっかり努力するのだよ」と優しく諭す。父と母はティアナにおやすみのキスをして部屋を出て行くが、窓際にいたカエルに驚かされたティアナも急いでふたりを追う。だれもいない子ども部屋の空ショットに「Walt Disney presents」のクレジットが現れ、つぎに部屋に入ってきたのは美しく成長したティアナである。この導入部分だけで涙がとまらなくなってしまうのだ。貧しいながらも愉快そうに音楽を奏でる黒人たちや、石畳の上を滑っていく路面電車など、あたたかい手書きアニメーションで再現された20年代ニューオーリンズの光景は、ディズニーアニメという枠組みを軽々と踏み越えて、ハリウッド映画黄金期のおもむきすらある。こんな芸当ができるのはイーストウッドくらいだろうと思っていたのだが、『プリンセスと魔法のキス』には、かつてのアメリカ映画にあった幸福な何かが確かに息づいている。
 ランディ・ニューマンのスコアも勿論すばらしいが、本作の成功はやはりシナリオにあるのではないか。ディズニーのプリンセスものには「ハッピーエンド」というある種の呪縛があるので、往々にしてどこかしらに綻びが見られるのだが、本作はこうした弱点を克服した稀有な作品といえる。有名な「カエルの王子」を下敷きに、最近の傾向に洩れず、いかにもメタ的なアレンジがなされている。専売特許であったシンデレラストーリーとの対比がなされていたり、かつてないほど明確に死のモチーフへ近接したりと、ビターテイストを増したあたりは「ピクサー以後」の作劇といったところか。それでも、徹頭徹尾「プリンセスもの」であるところには感心してしまう。自由気ままな性格だが、音楽のセンスと動物と仲良くなる才能だけはやたらとあるナヴィーン王子は、白雪姫やオーロラ姫(『眠れる森の美女』)など初期のプリンセス像を髣髴とさせる。一方で、自発的に夢に向かって邁進する主人公ティアナは、『リトル・マーメイド』以降90年代プリンセスの系譜として位置づけることができそうだ。互いの長所短所を補完しあうかたちで惹かれあうふたりのロマンスが、そのままかつてのプリンセス映画群の弁証法として見立てられるあたり興味深い。主人公の親友として、シャーロットという、シンデレラコンプレックスを地で行くようなキャラクターも登場するが、こちらもシニカルに走りすぎることなくあくまでユーモラスに描かれており、バランス感覚も絶妙だ。この種のプリンセスものでは、主人公たちの夢やロマンスが叶う瞬間がハイライトとなるとおもうが、本作では夢に背を向けるプロセスが強調されている。終盤、ほぼすべての登場人物がだれかのために自分の夢に背を向けているのだ。これは必ずしも夢を諦めることと同義ではない。一度機会を逃したくらいで叶えられなくなるほど、彼らの意志は脆弱ではないというべきか。このあたりの展開は、『カーズ』のクライマックスを思い出させたりもするのだが、本作では登場人物の行為が有機的に連なり、ミュージカルの狂騒のなかで溶け合っていくことで、さらなる多幸感を生みだす。上映後、席を立って拍手したくなること必至。必見ですよ。