Devil's Own

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『シャーロック・ホームズ』


 ガイ・リッチー監督がロバート・ダウニー・Jrを主演に迎え、いまさら「シャーロック・ホームズ」を映画化するという。シャーロック・ホームズといえば、インバネスコートに鹿撃ち帽、大きく曲がったパイプといったアイテムが自然と連想されるとおもうのだが、そうした紋切り型の名探偵は勿論登場しない。ダウニー版のホームズは、無精髭に乱れきった頭髪、よれよれのシャツとジャケットを着込み、コカインを嗜み、賭博拳闘では屈強な男と殴りあう。こう書くと今回のホームズ像がひどく奇抜なものにも思えるが、その実ドイルの原作をしっかりと踏まえたものとなっている。といいつつも、その世界観が荒唐無稽であることには変わりなく、殆どロジャー・ムーア時代の007シリーズに近い。
 連続殺人鬼ブラックウッド卿(マーク・スロトング)を捕らえたホームズとワトソン(ジュード・ロウ)。しかし、絞首刑に処されたはずのブラックウッド卿は墓から甦り、棺桶の中には別人の死体が。奇怪な事件の裏には、黒魔術を使って大英帝国ひいてはかつての植民地アメリカをも支配せんとするブラックウッド卿の陰謀が渦巻いているのだった・・・。ね、すごいでしょう。このように、映画は探偵小説の枠組みから完全に逸脱し、少年漫画的な冒険活劇へと書き変えられている。シャーロキアンなら「こんなのホームズじゃない」とヒステリーを起こすかもしれない。ある意味で同感だ。だけれど、ときめかずにはいられないではないか。僕は同じ劇場に見に来ていた小学生くらいの男の子たちのために、この映画を擁護することにしよう。少年たちよ、『シャーロック・ホームズ』は君たちの映画なのだ!大人たちがこの映画の悪口を言おうと何も気にすることはない。敵の本拠地が見るからにおどろおどろしい屠殺工場なのはなぜなのか。建設中の橋の上に登ってまで格闘する必要がどこにあるのか。ブラックウッド卿が面倒なトリックを駆使してまで芝居がかった復活劇を演じようとするのはなぜなのか。世界を征服するのに黒魔術なんて回りくどい儀式にのっとる必要があるのか。そもそも世界を征服をしてどうしようというのか。こうした諸々の疑問点はとりあえず無視してもよろしい。くだらない辻褄あわせがどうだというのだ。屠殺工場で、豚と一緒に吊り下げられたヒロインに火炎放射器や電動ノコギリが迫ってくるのだ!ブラックウッド卿を撃とうとした男がなぜか人体発火して絶命するのだ!こうしたケレン味溢れる場面の数々が映画から失われていったい何が残るというのか。Boys Will Be Boys―これこそこの映画が全身で体現するマニフェストだ。
 あとは基本的にロバート・ダウニー・Jrジュード・ロウがいちゃついているだけである。このあたりが楽しめなければ、結構しんどい映画になってしまうかもしれない。この映画にはアイリーン・アドラーレイチェル・マクアダムス)というヒロインも一応は登場する。原作にも登場する女傑、いわばホームズ世界におけるイルマ・ヴェップとか峰不二子のような存在というべきか。そんな彼女すらも徹底して魅力に欠けるのだからガイ・リッチーの意図は明白だ。宿敵モリアーティー教授の影がちらついたりと、続編も期待できる。ぜひともシリーズ化してほしいとおもう。