Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

『第9地区』


 公開前から傑作らしい、と鳴り物入りであった『第9地区』は、フェイクドキュメンタリー形式といういかにも今日的な体裁をとりながらも、どこかなつかしい感触すらある正統派のSFアクションであった。28年前ヨハネスブルク上空に突如巨大な宇宙船が出現する。宇宙船には衰弱しきったエイリアンが多数乗船しており、地球側はやむなく地上にエイリアン居住区「第9地区」を設置するのだが、ほどなくして「第9地区」はエイリアンと人間の犯罪・抗争が絶えないスラムと化してしまう。地元住民の強い批判を受けて、民間企業MNUによる大規模なエイリアン移住計画が実行されるのだった…と、ここまでの世界観はニュース映像や関係者のインタビューを交えながら語られていく。遠大かつ荒唐無稽な発想を、リアリティ溢れる映像で丹念に糊塗していく手つきはSF冥利に尽きるというべきか。軍需企業へのシニカルな眼差しといい悪趣味な人体破壊といい、真っ先に想起されるのは89年の傑作『ロボコップ』(あるいは同監督の『スターシップ・トゥルーパーズ』)だが、そのほか『ザ・フライ』や『エイリアン2』など、かつて人々を熱狂させたSFアクション映画の片鱗を数多く見つけることができる。ニール・ブロムカンプという珍妙な名前の監督は、南アフリカを出自としピーター・ジャクソンに発見された新鋭だが、まったく堂々としたアメリカ人ぶりである。人々がこぞって『アバター』と比較したがるのもわかるが、エッジの効いた物語はむしろ「ウルトラマン」や「怪奇大作戦」に代表される日本のSF観に近いのではないか。難民エイリアンが地球への移住を要求するというアウトラインは「侵略者を撃て」と酷似しているし、弱者として迫害されるエイリアンの存在は「怪獣使いと少年」を彷彿とさせる。フィクションであるはずの物語が実のところ現実社会のアナロジーとして読み解けてしまったり、善悪二元論では回収することの出来ない弱者へ目配せがあったりといった作劇は昭和日本のSFの大きな魅力だったとおもうが、こうしたマインドがどうしてまた南アフリカ出身のアメリカ人監督に継承されたのかはよくわからない。わからないが、『第9地区』は幾多の空想科学の山のうえに新たに屹立する傑作だということはわかる。