Devil's Own

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龍馬の野望

 この5月連休で長崎の実家に帰った。今回は私の彼女もついてくることになったので、いつもなら実家でぼーっとDVDなど見ているところを案内がてら市内をいろいろと見て回ったりもした。私の実家はグラバーさん家やオランダ坂のすぐ近くであり、要するにわりと観光地にある。それにしても長崎市の龍馬への力の入れようはちょっととんでもない。右を見ても龍馬、左を見ても龍馬である。龍馬にこじつけた土産品は枚挙にいとまがない。亀山社中の設立された年とラムネが発売された年はおなじであり、好奇心旺盛な龍馬もきっと飲んだにちがいない、と主張するのは「幕末ラムネ」という商品である。幕末の当時、珈琲は南蛮と貿易していた長崎でしか手に入らなかった。だが龍馬は新しいものに目がないので、長崎を訪れた際珈琲はきっと飲んでるだろう、と語りかける龍馬珈琲ドロップもある。商魂たくましいというか、迷走しているというか。私はこうした一過性の流行に阿る地方観光産業の体質が小さいころはいやでいやで仕方なかった。私がみんなに知ってほしいのは福砂屋のカステラであり、岩崎本舗角煮まんじゅうである。福砂屋なんて300年近く昔からあるのに、たかだか一年しか放映しないテレビドラマにかこつけた商品が前面に押し出されているなんてなんだか悲しいし、ちょっと恥ずかしい。長崎が坂本龍馬ゆかりの地であることを宣伝することだって、これまであまりなかった。亀山社中跡もどちらかといえばマイナースポットだったとおもうのだけどな…。とはいっても私も大人になったので、長崎市のこういうところもかわいいと思えるようになった。これで、長崎が注目されるならいいじゃないか。ちなみに幕末ラムネも珈琲ドロップスもおいしかった。ところで、私が懸念しているのは、長崎県民や観光客にとって重要なのは、龍馬でなく福山さんではないかという点だ。長崎県民の福山さんに対する思い入れはここ数年で徐々に高まり、今年の「龍馬伝」にきてついにピークを迎えた。たぶん長崎市民はアクオスビエラに比べてレグザを購入する人の割合が他県よりすこしだけ多いとおもう。というか長崎の電気屋さんは予めレグザを多く入荷させているとおもう。県立歴史博物館の特別展に「龍馬伝」のキャストの衣装や小物を展示するのはちょっとどうかしている。これでは龍馬を売りたいのか福山さんを売りたいのかわからないじゃないか。しかし、長崎市民のなかで龍馬は福山さんであり福山さんは龍馬なのである。長崎の人は福山さんが好きだし大層誇りにおもっている。その人気は老若男女問わない。うちの伯母なんて福山さんが市長になったらいいわーとまで言っている。いや、確かに福山さんはナイスガイなのだ。私も小学生のころ彼のFMラジオ番組を聴いたことが何度かあるけども、たいへんお下劣で痛快な彼のトークを聞いているとなんだか友達のような気がしたものだ。数年前福山さんは稲佐山で凱旋ライヴをやった。その模様は野球スタジアムの大スクリーンでも同時中継されていたそうだが、福山さんは野球スタジアムの方にもわざわざ来たそうだ。まったくいいやつすぎる。そして長崎県外の人々にも、長崎と福山さんの結びつきは確実に定着しつつある。私が自己紹介のときに長崎出身であることを述べるとだいたい「ああ、ちゃんぽんですねー」という身も蓋もないレスポンスがかえってくる。そして、その次にくるのは、驚くなかれ、福山さんなのである。福山さんはちゃんぽんやカステラと変わらぬ長崎名物になりつつあるのだ。ある県名を出して、ぱっと人名が出てくるようなケースはそうそうないんじゃないか。さだまさしさんは長崎の歌や小説をたくさん書いたのに、「東京にもあったんだー」という福山さんになんなくアイコンの座を奪われてしまった。私は長崎を歩いていて、福山さんの写真を何度見たかわからないが、さださんはたった一回しか見つけることが出来なかった。もう長崎は一大福山帝国になりつつあるのだ。長崎市民は完全に福山さんに心酔してしまっている。きっといつか福山さんは、ゼブラシティ都知事よろしく長崎を独自の政治と秩序で統合してしまうんじゃないか。もちろん仲里依紗ちゃんも広告塔になるべく帰省してくるに違いない。福山さんはいい人だと思うが、福山さんが統治する故郷を残念ながら私はあまり好きにはなれない気がする。そんなとき、さださんは立ち上がるのだろうか。