Devil's Own

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オールタイムベスト映画

 あと数時間で私はまた年をひとつとる。25歳。25歳というと、もう結構な大人という感じであり、24歳と25歳の間には中1と中2くらい大きな隔たりがあるとおもう。いつまでも現実離れなことばかり口にしているとちょっと惨めで痛々しくなってくる頃である。見る人から見ればまだまだ若造だとはおもうのだが、折角生きてから4半世紀経つのでここは何か一筆したためようと思い立った。というわけで、極私的なオールタイムベスト映画をいきなり発表することにする。ここでオールタイムベストを書いたことはなかったとおもう。ゼロ年代ベストや、邦画のオールタイムベストはあったと思うのだが。実は、私はこういうリストづくりが大好きで、何か機会があればやりたいとおもっていたのだ。25歳の誕生日というのは、私の欲求と自意識に折り合いをつけるのにはなかなかいい口実だとおもう。というわけで、私の心のベスト映画は以下のとおり。

『怒りの日』(カール・TH・ドライヤー)
『ぼくの彼女はどこ?』(ダグラス・サーク
狩人の夜』(チャールズ・ロートン
ボディ・アンド・ソウル』(ロバート・ロッセン
『ふるえて眠れ』(ロバート・アルドリッチ
『ペイルライダー』(クリント・イーストウッド
『奇妙な女』(エドガー・G・ウルマー
『ギャロッピン・ガウチョ』(ウォルト・ディズニー
『暗黒街の顔役』(ハワード・ホークス
『ローラ』(ジャック・ドゥミ

これらの映画は、既に多くの識者、論者によって一定の価値を認められたものばかりであり、映画をよく見ているひとであればあまり真新しさはないとおもう。教科書的で退屈にもみえるが、私は25年しか生きていないし、その間にみることができた映画などせいぜい2000本いかないくらいだろうから、そのあたりはご容赦願いたい。それでもこの10本の並々ならぬ魔力については理解してもらえるとおもう。当たり前ではあるが、ラングやブレッソン、フォードや溝口をなくなく削り落とした結果の極めて強靭な映画たちなのだ。こういった題材について書くときに、必ずといっていいほど用いられるレトリックとして、「あくまで今の気分」とか「明日には変わっているかも」というエクスキューズがあるとおもうが、今回挙げた10本に関しては明日、明後日くらいで変化するようなことはない。見終えたその瞬間から、私の世界に対するまなざしを決定的に変えてしまい、見る前にはもう二度と立ち戻ることができないような、そんな呪いにも似た力を持つ映画たちである。順位というほどのものはないのだが、これらの10本の頂点に君臨しているのは『怒りの日』である。この映画はスリラーとも、サスペンスとも、メロドラマとも、ホラーとも呼ぶことができそうだが、私の場合特定のジャンルを好むというより、ひとりの女性(または男性)が世界と対峙し、欲望し、得体の知れない何かへと変貌していくといった物語に惹かれる傾向があるとおもう。『狩人の夜』、『奇妙な女』、『ふるえて眠れ』、『暗黒街の顔役』、『ボディ・アンド・ソウル』にも、常軌を逸した妄執に憑かれた者たちが登場し、私たちを戦慄させる。そのせいかこの10本の中にコメディ映画をあまり入れられなかったのが残念といえば残念。『百万両の壺』、『周遊する蒸気船』、バスター・キートンの諸作などの傑作コメディと迷いつつ、『ぼくの彼女はどこ?』、『ギャロッピン・ガウチョ』を入れた。前者にはメロドラマやミュージカルを代表させたい意図もあり、後者にはアニメーションを代表させたい意図がある。『ギャロッピン・ガウチョ』は、『プレーン・クレイジー』、『蒸気船ウィリー』と並ぶ最初期のミッキーマウス主演映画で、この3本は一応代替が可能なのだが、『ギャロッピン・ガウチョ』は世界で一番有名なカップルの世界で一番キュートなキスで終わるという最大の強みがある。三大喜劇役者というとふつうチャップリンキートン、ロイドが挙げられるとおもうのだが、私はチャップリンはどちらかというとメロドラマの資質のほうが強いような気がしている。代わりに初期のミッキーマウスを置くとなんだかしっくりこないか。怒られそうだけど。
 10本の映画群のなかでもっとも製作年が新しい映画は『ペイルライダー』であり、奇しくも私が生まれた1985年の映画である。意図したわけではないが、10本の映画すべてが私が生まれるまえに作られたものであり、そうした物語が心をとらえて離さなくなってしまうことはなんだか恐ろしい。というわけで、私は残り少ない24歳をたのしみたいとおもいます。