Devil's Own

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『エクスペンダブルズ』(シルヴェスター・スタローン)


 『ロッキー・ザ・ファイナル』あたりからシルヴェスター・スタローンの仕事がふたたび注目され始めた。私自身はといえば、前作『ランボー/最後の戦場』で完全に手の平を返した口である(てか、私と同世代の人間には多いと思うんだけどね)。少年時代からフィジカルなパワーに屈服してきた私にとってスタローンなどは天敵だったのだ。だいたい何なんだあの筋肉への異常な執着は。スタローンの映画は私が小さい頃から頻繁にテレビで放映していたが、『スペシャリスト』でのシャロン・ストーンとのラブシーンなど特に強烈だった。ストーンのおっぱいよりスタローンの尻の方が目立っているのもどうかとおもうが、エロティックとは程遠いアメリカ人の過剰な「肉体」露出嗜好。これには畏怖を通り越して、呆れ果てたものだ。なるほどこういう奴らが世界を牛耳っているのだと、幼心に私は理解したのである。しかし、今やアメリカ映画の主役はナードに取って代わられた。いくつかの戦争と恐慌を経て、「肉体」だけで勝利を収める時代は過ぎ去ってしまったのである。「肉体」の時代における栄光に縋りつき、自滅していく男を描いた『レスラー』のような傑作も登場した。かつての肉体派スターたちはいまや時代遅れの存在になってしまったのか。果たして、彼らは自らを「使い捨て」と名乗りながらアメリカ映画の中心に返り咲いた。己の肉体を信仰し、酷使してきたスタローンの自己批評性が『ロッキー・ザ・ファイナル』や『ランボー/最後の戦場』をかつてなく濃密なドラマへと昇華させていたが、おのおのがセルフパロディを演じているかのような『エクスペンダブルズ』は自己批評など通り越し、豪快な笑いへと突き抜けていく。シニシズムぎりぎりのユーモアセンスを背景としながら、スタローンはあくまでも「現役」を謳歌する。血沸き肉踊るカーチェイスと空中戦、文字通りスクリーンが「火の海」と化す本物の爆発を見よ。アクションシーンがガチャガチャして見づらいとの批判もあるとおもうが、ここでは脊髄反射的なスタローンの運動神経を買いたい。なにしろ、スタローンの瞳に炎が映りめらめらと燃えるという少年漫画のような表現まであるのだ。小賢しいロジックやテクニックなど通用しない世界である。ジェイソン・ステイサムがナイフを投げた瞬間、シン・リジーのギターリフへとなだれ込むエンドクレジットの射精感は筆舌尽くしがたい。その後で、途方もなくダサい日本人の曲に切り替わったような気がするのだが、映画館側のミスだろうか。