Devil's Own

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『ソーシャル・ネットワーク』(デヴィッド・フィンチャー)

"The Social Network"2010/アメリカ

 『ソーシャル・ネットワーク』を見た人となら徹夜で語り合えるね。この映画には、コミュニケーション(=自分とは違う誰かとコミットすること)のうれしさとたのしさが詰まっている。同時に難しさや疎ましさでもあるのだが、その苦味さえも呑みこんで「もっと話そうよ」というポジティヴな気持ちにさせてくれる。こうした気持ちこそがソーシャルネットワークのシステムを支えているし、これまで多くの映画で扱われてきた普遍的な願いでもある。人は人とつながらずにはいられないし、胸の高鳴りに背を向けることができない。祈りのようなラストシーンには魂がふるえたし、コミュニケーションをめぐる希望と可能性がデヴィッド・フィンチャーによって描かれてたことに感動する。この先折に触れて見返すであろうかけがえのない作品になるとおもう。
 題材やプロットにおける『市民ケーン』との類似は既に指摘されているとおりである。facebookという現代的なテーマに取材しながらも、ここで描かれる物語はクラシックであり、端的に「アメリカンドリームを実現する男の栄光と喪失」についての物語といえるだろう。インターネット社会におけるサクセスストーリーのスピード感は驚異的だが、何度も見たような話ではある。ここ数年の作品で私が思い出したのは、ポール・トーマス・アンダーソンの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』だろうか。ダニエル・デイ=ルイスが演じた主人公を、やたらと資本主義と結びつける言説が多かったようにおもうが、こうした読み解きはいかにも図式的で退屈だ。真に恐ろしかったのは、彼の欲望が永遠に満たされないところにある。「お前のミルクセークを吸い取ってやる!」という異様なせりふが示すとおり、彼は他人の持ち物すべてを奪い去ろうとする。まさに欲望のための欲望であり、アメリカを回転させてきた上昇志向でもある。『ソーシャル・ネットワーク』の主人公マーク・ザッカーバーグジェシー・アイゼンバーグ)の欲望もまた際限がなく、それでいて確たる目標を持たない。彼はおそらく自分が何を欲しているかもわかっていない。ナップスター創始者ショーン・パーカー(ジャスティン・ティンバーレイク、すばらしい!)が、画一的なまでにわかりやすく成功者として対置されていることからもザッカーバーグの望みが富や栄光ではないことは明らかだ。サイトに広告を出すことで収益を得ようという提案を「ダサい」と一蹴し、facebookが完成することは永遠にないと言い切る。このせりふにはfacebookの理念とザッカーバーグの人生哲学が集約されているのではないか。終わりのない欲望と成長。このシンプルで純粋な上昇志向はときに人々を振り回し、傷つけるのだった。彼を突き動かす動機としてもうひとつ指摘出来るのは、コミュニケーションへの激しいコンプレックスだろうか。99回のテイクを重ねたという冒頭での会話劇は、ザッカーバーグと他者の軋轢を文字通り饒舌に物語っている。脈絡のない連想ゲームのように情報が投げ出される話法自体がどこか検索エンジン的でもある。支離滅裂な会話の内容だが、ザッカーバーグが大学の友愛会(自分を受け入れない排他的な社会階層)へのルサンチマンを抱いているらしいことも明らかになる。このルサンチマンが、いわゆる「リア充」としてキャンパスに君臨するウィンクルボス兄弟との関係において重要な意味を持ってくる。ザッカーバーグはアイディア盗用を主張するウィンクルボス兄弟を徹底的に嘲弄する。ザッカーバーグにとってインターネットこそが自己実現の場であり、リア充どもに利用されるなんてもってのほかなのだ。これはナードの復讐物語とも読めるわけだが、同時にザッカーバーグ自身に巣食っているエリート意識が示唆される点にも注目したい。このように多角的で細密な描写のレイヤーが、ザッカーバーグの人物造形に限らずすべてのキャラクターとシーケンスを支配している。ウィットに富んだ台詞と場面を積み重ねていくシナリオは精密機械のように無駄がない。ザッカーバーグを筆頭にどの人物もとにかく魅力的で、どの場面も本当におもしろい。アーロン・ソーキンの脚本はこの映画で最も賞賛されるべき仕事かもしれない。
 デヴィッド・フィンチャーの最新作としても触れておこう。ほぼ全編が会話劇である本作には、いわゆる「美学的」な映像表現はほとんど存在しない。そのためフィンチャーの刻印が消えているともっぱらのうわさであるが、そんなことはない。私はフィンチャーの作家性は『エイリアン3』から『ソーシャル・ネットワーク』に至るまで一貫しているとおもう。フィンチャーが基本的に人間を信じていないという点だ。登場人物の多くが抗いがたい運命に突き動かされ感情を高ぶらせていくが、フィンチャーの視点はつねに対象から距離を置いている。愛だの怒りだの恐怖だの得体の知れない感情に一切与すことのない冷徹な叙事性。劇中で唯一超現実的な手法で描かれるボートレースのシーンなどは最もわかりやすい例だろう。しかしフィンチャーの冷酷な観察眼は、コミュニケーション不全であり、だからこそ誰よりも他者を求めているマーク・ザッカーバーグという人物の造形において、これまで以上に劇的な効果をもたらした。私が、ひどく感動したのはこのためである。フィンチャーのキャリアは、愛に守られた人物(『エイリアン2』の少女ニュート)をあっけなく殺してしまうことから始まったが、本作ラストで初めて、情けないくらい他者とのつながりにすがりつく男の姿が描かれた。栄光をつかんだ自らを強烈に皮肉ったナンバー"Baby,You're Rich Man"をビートルズが歌いだす。完璧。

余白

映画パンフレットは装丁もキュートで読み応えもあり、おすすめです。個人的にはmixi社長のインタビューに笑いましたね。映画の中で広告収入のビジネスモデルを「クールじゃない」と一蹴されているにもかかわらず、「ザッカーバーグは時代が求めるニーズを正確に掴んだ人。それはまさしく同じ時期に、日本でmixiが立ち上がったことが証明しているんじゃないかな」と言ってのける能天気さ。それはまさしくmixiがとうの昔に大衆から飽きられていることが証明しているんじゃないかな。
追記:あとこの映画を見て、ネットビジネスに興味がある人にはおすすめとか、ネット世代の若者の空虚な人間関係とか書いている批評家はとりあえず無視してよろしい。ダサいね。The facebookなみにダサい!