Devil's Own

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『ブレックファスト・クラブ』(ジョン・ヒューズ)

"The Breakfast Club"1985/US

 かねてからジョン・ヒューズの影響を指摘されていた『仮面ライダーフォーゼ』だが、第7、8話ではヒューズの代表作『ブレックファスト・クラブ』にストレートにオマージュを捧げたエピソードが登場した。ジョックス(体育会系いじめっこ)の大文字隼が主人公らの仲間になるまでのエピソードで三条陸のシナリオ構成が光る好編だったとおもう。本格的にスクールカーストを描いた初めての作品として(厳密には『アニマル・ハウス』などもあるが)映画史に燦然と輝く『ブレックファスト・クラブ』は制作からは既に四半世紀。私ももちろんリアルタイムでは見ていない。最近リリースされたBDを『フォーゼ』に合わせて何度か見返したので書いておきたいとおもう。ちなみにこのBDには日本語吹き替えが収録されているのだが、これがすごくいい。DVDにはなかったし「きもい」「うざい」などのせりふがあるので比較的新しく作られたものだとおもうが、かなり新鮮な気持ちで見ることができた。かなりおすすめ。今回の記事でのせりふも吹き替え版に準じています。
 『ブレックファスト・クラブ』は所属するコミュニティの違いからこれまで互いの名前すらよく知らなかった5人のたった半日間の交わりを描いている。主要な登場人物は5人の高校生と教師、用務員の7人のみで図書室をほぼ全編の舞台とする密室劇。映画より演劇向きのシナリオで、じっさいアメリカでは演劇で本作を扱う高校が多いらしい。一見してシンプルな映画だが、登場人物の心理や関係性の力学が毎分のように更新されていく複雑な映画である。繰り返し見れば見るほど、細密に考え抜かれた構成の妙、レイヤーを幾層にも重ねたかのような人物造形に舌を巻く。ざっとネットで探してもこうした繊細な描写まで言及している人はさすがに少なかった。ここでは久々にキャプチャ画像を使いながら細かく書いていきたい。タイムラインに沿って説明していくがまずは登場人物の紹介をしておこう。
長いので閉じます。


ブライアン・ラルフ・ジョンソン(アンソニー・マイケル・ホール)。ガリ勉(Brain)。物理部、数学部、ラテン語部に所属。

アンドリュー・クラーク(エミリオ・エステベス)。スポーツ馬鹿(Athlete)。レスリング部所属。

クレア・スタンディッシュ(モリー・リングウォルド)。お姫様(Princess)。学校のアイドル。

アリソン・レイノルズ(アリー・シーディ)。不思議ちゃん(Bascket Case)。変人…だがそう見せたいだけなのか。

ジョン・ベンダー(ジャド・ネルソン)。チンピラ(Criminal)。補習の常連。
 冒頭はシンプルマインズの曲、デビッド・ボウイの詩の引用が画面に出た後ブライアンのナレーションが始まる。

バーノン先生、僕たちがせっかくの土曜日に登校を命じられたのは当然の報いだと思います。
僕たちは間違いを犯しました。
でも自分とは何かという作文を書けだなんてばかげています。
意味がありません。
先生は色眼鏡で僕らを見て、自分に都合よく何かを決め付けてるから。
僕らはガリベンに
スポーツ馬鹿
不思議ちゃん
お姫様
チンピラ
でしょ?
今朝7時まで僕らもそう思っていました。
そう思い込んでた。

03:16〜8:01 オープニング

 学校に集まる5人の様子を描いたシーケンス。

 まずはクレアがBMWで登場。どうして自分が補習に出なくてはならないのか、何とかしてくれてもよかったんじゃないかと駄々をこねるクレアを父親がなだめすかす。「授業中に買い物に出かけたからといってお前は不良ではないよ。必ず埋め合わせをするから」。どうやら授業をボイコットして買い物に出かけたことがクレアが補習を受ける羽目になった原因らしい。

 対照的にブライアンは母親になじられている。「これは最初なの?最後なの?」。ダサすぎるニット帽が絶妙だ。

 アンドリューは父親と登校。ブライアンと同じく小言を言われている。「男なら多少の悪さはするもんだが、まさか見つかるとはな」。適当に受け流していたアンドリューだったが「奨学金をもらえなくなるぞ」という言葉にはかなり苛立った反応を見せる。何も言い返さずに車を出るがドアの閉め方は乱暴だ。

アンドリューの父親の自動車が去ると画面奥からジョンが歩いてくる。5人の中で唯一1人で登校。道路を渡るタイミングで画面にもう1台自動車が滑り込む。
 
 自動車から降りたアリソンが運転席に話しかけようとすると車はそのまま走り去っていく。アンドリューが車を降りてからアリソンの登場まではワンカット。何度見てもほれぼれするようなオープニングだ。この一連のシーケンスに5人が抱える悩み、葛藤がすべて散りばめられている。

 5人が図書室に集まったところにバーノン先生(ポール・グリーソン)が登場。「自分とは何か」というテーマの作文を課題として与えて去っていく。クレアとブライアンが「自分は補習にでるような人間ではない」と訴えるが却下されてしまう。ジョンは先生を挑発し早くも来週土曜の出席を命じられる。

8:01〜15:45 軋轢1

 原則として『ブレックファスト・クラブ』では時系列や場所の変動はほとんど見られない。約8時間の補習を過ごす5人の様子を定点観測的に描出していく。ここでは彼らの関係性に着目し「軋轢」と「共犯」の2つのパートに分けて説明していきたい。5人はこの二つの関係性をほぼ交互に往還しているからだ。前者は主に会話を通して表現され、後者はノンバーバル(会話を排した)コミュニケーションやアクションで表現されている。単に「軋轢」と呼ぶのではやや語弊がある箇所も今後見られるとおもうので、ここでは「5人の異なる人生哲学や家庭環境が衝突し互いのアイデンティティがぐらつく様子」とひとまず説明しておこう。
 5人を紹介するときに最初に用いた画像はバーノン先生が図書室を去った後の場面から抜粋したものだ。見て分かるとおり人物の配置が左右のどちらかに偏っている。切り返しに多用される非常にオーソドックスなショット。会話中心の「軋轢」パートの基調となる構図でありもっともレギュラーなショットといってもいい。映画全体のトーンを決定付ける最初の会話シーンでは特に厳密に計算された編集が施されている。画像のようなショットが次々と連なっていくが人物の位置関係や視線の動きなどがうまく処理されており混乱が生じない。映っているのは一人だけでもそれぞれの登場人物が誰を見ているのかが一瞬にしてわかるようになっている。デヴィッド・フィンチャーは『ソーシャル・ネットワーク』を「ジョン・ヒューズが撮った『市民ケーン』」と表現していたが、青春映画的なモチーフだけではなく会話劇における撮り方や編集にもかなりの影響を受けたのではないだろうか。
 さて、この会話でポイントを整理すると、1.アンドリューがジョンに対し「お前は数にも入らない。早く学校をやめろ」と罵倒する。2.クラブについての話題でクレアが「勉強のクラブはほかのクラブとは違う」。物理部やラテン語部に入っているブライアンとクレアの「格差」が明らかになる。3.「クラブに入っている奴は嫌なやつばかり」というジョンにクレアが「どんな子たちも知りもしない」と吐き捨てる、などの動きがある。最も顕著に描かれているのはジョンとアンドリュー・クレアの対立関係だ。5人の中でアンドリューとクレアだけは同じ机に座っている。冒頭には図書室に入ってきたアンドリューが「隣りに座っていいか?」と指差すとクレアが微笑んで頷くというシーンがある。コミュニティの異なる5人の中で辛うじてつながりがあるのはアンドリューとクレアだけで、彼らは男女それぞれのスクールカーストの頂点に属している。アウトサイダーであるジョンが真っ先に彼ら二人を挑発するのは必然ともいえる。

15:45〜22:57 共犯1

 5人の「共犯」関係はバーノン先生の叱責を避けるという共通目的を持ったとき、なし崩し的に成立する。序盤では無意識的もしくは成り行きで協力し合うという展開が基本だ。「対立」の会話劇が厳密なクロスカッティングにより緊迫感をもって演出されているのに対し、こちらは幾分風通しのいい画面設計がなされている。コメディ演出やアクションも格段に増えてくる。最初の「共犯」は、ジョンが図書室のドアを細工して開かなくしてしまうことを端とする。ブライアン、アンドリュー、クレアはジョンを制止するが、さすがに告げ口はできない。バーノン先生がやってくるとブライアンが非常に小さなジェスチャーでジョンが犯人だと告げ口しようとするが未遂に終わる。アンドリューとクレアは連帯責任を恐れてかジョンを庇ってしまう。バーノン先生はなんとかドアを開放しようとするがうまくいかず、アンドリュー、クレア、ブライアンの顔に思わず笑みがこぼれる。バーノン先生はアンドリューに手伝わせてドアを開放しようと四苦八苦するが失敗し、「スポーツ特別賞も役立たずだな」と吐き捨てる。



 しかしバーノン先生の目も節穴ではない。ジョンの犯行だということをちゃんと見破ってはいる。減らず口を叩くジョンをバーノン先生は土曜日の補習を1日ずつ加算していくことで追い詰めていく。クレアに制止されたことでますます反抗的な態度を強めるジョンの態度もなかなかリアルだ。口論が熱を帯びるにしたがってカメラが二人の顔に近づいてくる。5人の共犯が初めて成り立つと同時に、バーノン先生が「大人の怖さ」を5人(と観客)に誇示する非常に見事なシークエンスになっている。バーノン先生のキャラクター造形も『ブレックファスト・クラブ』の優れた点のひとつだ。というよりもこの映画には薄っぺらいキャラクターは一人として登場しないんですよね。すべての人物が豊かな人間性を持って描かれている。だいたいの学園ドラマにおいて教師は高圧的な権威主義者か間抜けな道化役のどちらかと決まっている。そのほうがずっと経済的に物語を進められるのだ。しかしバーノン先生はそのどちらでもない複雑で血の通った人間である。

 おのおのが一人遊びに興じる5人。ぼーっとなにかを妄想しているクレア、タバコを吸い始めるジョン、絵を描いているアリソンなど一人遊びのバリエーションも楽しい。ふたたびバーノン先生が戻ったときには全員が眠ってしまっているが、「トイレに行きたい者」と問われていっせいに手を挙げる。ここでも無意識的に5人の行動が共振している。この「違うけど同じ、同じだけど違う」感じが『ブレックファスト・クラブ』の大きな魅力だ。

22:57〜30:17 軋轢2

 トイレ休憩後ふたたび会話劇に入る。それまではジョンとアンドリュー・クレアの対立関係が前面に出ていたが、ブライアンやアリソンも少しずつ議論に参与してくる。ここでは後々まで映画の主要テーマとして扱われる2つの話題が登場する。1つ目が両親の話、2つ目がセックス体験の話だ。
 両親のうちどちらが好きかというジョンの問いかけに「どちらも嫌い」と答えるクレア。両親は自分のことを夫婦喧嘩のきっかけに利用しているのだと愚痴をこぼす。これに対して唐突にアリソンが「ハッ!!」と叫ぶ。アリソンがはっきりと声を出したのはここが初めて。



4者4様のリアクションもいいですね。あからさまに苛立つクレア、意表をつかれて唖然とするジョン、「よくやった」とばかりにやつくアンドリュー、不審がるブライアン。アリソンはクレアのお嬢様らしい自己憐憫を批判したのだ。4人のうちアンドリューだけがその意図に気づく。アンドリューは学園ものに登場する典型的なジョックスと違い、表情や言動から人の気持ちを察する能力に実は一番長けている。どうしてなのかは後々明らかになってくる。
 アリソンにつっかかるクレアにアンドリューが「自分を憐れむのはよせよ」と補足する。これに対し意外にもジョンが「そういうお前はどうなんだ」とクレアを援護する。ふたたび対立するアンドリューとジョンにブライアンが割ってはいり、「僕だって親は好きじゃない」とこぼす。

 ここでのジョン(J)、ブライアン(B)、アンドリュー(A)の会話が傑作だから引用したい。

J:「お前は親の期待の星なんだよ」
B:「それが問題」
J:「まあ、お前が親をうざがるのもわかるよ。そんな服着せられりゃな。でもお前は救いがたいださい奴だ。頑張っていい子ちゃんになるしか方法はねえだろう」
A:「人を侮辱して楽しいか」
J:「俺は正直なだけだ。わからないかな」
A:「彼には名前がある」
J:「あー、そうか」
A:「そうだ。名前は?」
B:「・・・ブライアン」
J:「ご愁傷様」

 結局アンドリューもブライアンの名前すら知らなかったというオチである。日常における彼ら5人の断絶ぶりがよくわかるし、アンドリューが本質的にはブライアンを理解していないことが表れている。
 その後ジョンは「お前処女なんだろ」という質問を皮切りにセクハラまがいの発言でクレアを攻撃し始める。見かねたアンドリューがジョンに突っかかり、ついに二人は激突。

ナイフまで登場するが…

なぜかアリソンに奪われるというオチ。

30:17〜33:22 共犯2



 校内用務員のカール(ジョン・カペロス)が登場。本作に登場するもう一人の大人だ。カールに挨拶されるとブライアンは表情を曇らせる。これまで割とかわいそうな役回りばかりだったブライアンが初めて「嫌な奴」としての一面を見せる。おそらくブライアン自身、この時初めて、心の中でカールを馬鹿にしている自分に気づいたのではないか。今はスクールカーストの底辺にいるが、社会に出て成功を収める可能性が高いのは明らかにブライアンだ。少なくともカールのような大人になっている可能性は低い。5人にとってカールは社会の落伍者といえる。ジョンはカールに「どうやったらその仕事に就けるのか」と質問し「アンドリューが管理保守業務に興味津々だって」と口にする。おそらくアンドリューにとって耳が痛いせりふだ。アンドリューの取り柄はスポーツだけ。奨学金がもらえなければ役に立たないし、社会に出てスポーツだけで成功を収めることはかなり難しい。挫折したアンドリューがカールのような大人になっている可能性は高いのだ。それは冒頭で一瞬だけ映し出されるカールの高校時代が端的に示している。

"Man of the Year"―つまりカールはアンドリューと同じくスクールカーストの頂点にいたわけですね。これは2回目見たときに初めて気がついた。
 当のカールは子どもたちに小ばかにされていることも気にもとめず飄々とした態度を崩さない。「君たちはこの仕事をくだらない雑用係だと思っているかもしれないが、俺はこの学校の目であり耳。何でもお見通しなんだ」とおどけてみせる。カールが生徒たちのロッカーの中身を見ていると言った時、ジョンが反応を見せるのにも注目。さりげない伏線になっている。

その後、みんなで口笛を吹くシーケンス。大きな歩み寄りである。彼らの幼い一面がわかると同時に精神的なつながりの萌芽も感じさせるいいシーンですね。

32:22〜43:50 軋轢3


 ランチタイム。アンドリューとアリソンはバーノン先生に飲み物を買いに行くことを命じられる。「何を飲む?」というアンドリューの問いに「ウォッカ」とか意味不明なことを言って煙に巻くアリソン。「あんたは何をやらかしたの?」といきなり核心を突いた質問を投げかけてくる。アンドリューは「俺はコーチや親の期待に応えたいだけだ」と、これまた意味不明な答え。おそらくこの時点でアリソンはアンドリューという人間の空虚さに気がついている。
 一方図書室に残った3人の会話では先ほど登場した「セックス体験」のテーマが反復される。ジョンに童貞呼ばわりされたブライアンは「童貞じゃない。何回もやってるよ」と否定する。「誰とだよ」という質問に「カナダの子、ナイアガラで会った・・・滝でね」と答えるブライアン。もう完全に童貞の嘘ですねこれは。この童貞の描き方、実に正しい。童貞それじたいではなく、童貞を隠す行為がばればれなのが恥ずかしいのだよ。ジョンにしつこく追及され、結局童貞だと認めざるをえなくなるブライアンに「童貞でもいいとおもう」とクレアが手を差し伸べる。このときこっそり微笑むブライアンのリアクションも最高だ。後々わかるが、このときのクレアの言動はブライアンの擁護というより自己弁護なんですけどね。
 昼食のシーンは5人の違いが明確に打ち出されていて面白い。ここは明らかにコメディ的な効果を狙って誇張されているとおもう。


 大量の食べ物を机に並べるアンドリューやトーストに粉砂糖とスナック菓子をはさんでかぶりつくアリソンも面白いが、なんだかんだで一番クレイジーのはクレアの寿司ですね。だいたい5時間近く常温で放置してた生魚を食べるなんてどうかしてる。

 この中で一番まともなのはブライアンだと判断したジョンは昼食をたかろうとするが、出てきたのはスープとアップルジュースとピーナッツバターサンド・・・「完璧だな。すべての食品群が含まれている」。

そう言いながらジョンは「ジョンソン家の日常」と題してブライアンの家族像を即興劇で演じ始める。主要なテーマのひとつである両親の話へと移行していく。ジョンが演じる「ジョンソン家の日常」は家族の期待がブライアンに重くのしかかっている事実をカリカチュアしてみせる。

 注目すべきはアンドリューの表情だ。ユーモラスな即興劇を初めは笑いながら見ているアンドリューだが少しずつ表情を曇らせ始める。他人ごとだと思って見るうちに、自分にも思い当たるふしがあると気がついてしまったのだ。何度見ても胸がつまる。このカットを入れたジョン・ヒューズは天才だとおもう。

 もちろんブライアンの表情も暗い。アンドリューはブライアンの表情を見た上で(このシーンを入れるのもすごい)、「お前はどうなんだ」とジョンに仕掛ける。ブライアンを擁護するアンドリューの切実はさっきとは比べ物にならない。あの時は完全に他人事。なにしろブライアンの名前すら覚えていなかったのだ。今回、アンドリューははっきりとブライアンに共感している。

 家庭内暴力が横行する自身の家庭を紹介するジョンを見て、アンドリューは「イメージ作りのためのでっち上げ」だと言い放つ。この反応もすごく納得できるんだよね。ジョンのように父親に突っかかった経験なんてアンドリューにはただの一度もないのだとおもう。アンドリューに疑われたジョンは父親につけられた葉巻の火傷跡を見せる。ジョンの家庭環境が明らかになるこの場面の描写は決してスマートとはいえない。陳腐だと感じる人もいるかもしれない。これまでジョンは反抗的な態度をとりながらもその言動にはつねにユーモアを忍ばせてきた。ジョンのせりふはどれもウィットに富んでいるんだよね(「ボリューム上げてやろうか」など)。そんな彼がストレートに激昂する場面が本編中には2回ほどあって、ひとつがこの場面だ。ジョンが育っている家庭はほかの4人とは全く違っている。少なくともジョンはそう自覚している。いや確かに5人の中でジョンだけは一人で登校してきたし、昼食もない。つまはじきにされ生きていくことがほとんどあらかじめ決まっているような人間だ。どんなにもがいても飲んだくれで役立たずの父親と同じ人生を歩んでいることが目に見えている。持たざるものとして、周囲に唾を吐き中指を立てることしかできない・・・。この補習でジョンは何かをつかみとることが出来るのか。

ランチタイムパートの締めはコーヒーをこぼすバーノン先生。シリアスな場面の後のギャグシーンが映画全体を軽やかなものにしてくれている。高校生の群像劇なんてとかく重苦しくなりがちなのだが。「ミシシッピの川底から掻き出したみたいなコーヒーだ」というせりふもおもしろい。

43:50〜50:00 共犯3


 バーノン先生が席をはずした隙に図書館から脱出する5人。ジョンはロッカーの中からマリファナを取り出す。カールがロッカーの中身の話をしたときにジョンが反応を示す場面はここに対応している。

ファッションセンスにも5人の違いが示されているが、私は特に靴のセレクトに感心した。アンドリューは白いスポーツシューズ、ジョンはブーツの片方に赤いバンダナでアクセントをつけている。ブライアンは絶妙にダサいカラーリングのニューバランス、クレアのブーツはいかにも洗練されていて、アリソンは黒いコンバースだ。現代の日本と80年代のアメリカではファッションセンスにかなりの隔たりがあるのも事実だが、靴のセンスにはけっこう腑に落ちるものがあった。

 5人はアンドリューの判断ミスで図書室に戻れなくなってしまう。ジョンはマリファナをブライアンに預けると自ら囮になってほかの4人を図書室に帰す。アンドリューのミスをジョンが尻拭いするわけですね。そもそもはジョンがけしかけて外に出たのだから当然といえば当然なわけだが。

50:00〜51:55 軋轢4


 案の定バーノン先生を怒らせてしまったジョンは倉庫に閉じ込められてしまう。ここは「軋轢」パートと言っていいのかどうか。しかし全編を通しても、もっとも痛烈なアイデンティティクライシスが起こる場面なのは確かだ。バーノン先生はジョンの将来について偏見と悪意に満ちた、だか限りなく真実に近い言葉を投げかけてくる。バーノン先生の言うとおり5年後のジョンは誰からも尊敬されない惨めなろくでなしになってしまっているのだろうか。すっかり萎縮し、憎まれ口を叩くことも殴り返すこともできないジョン。この痛ましい敗北ぶり。ジョンが著しい成長を見せたのは実はこの場面なんじゃないかと思っている。確かにジョンの境遇は恵まれているとはいえない。しかし彼はシニカルでアウトローに振る舞うことで自分の生き方を固定してもいた。バーノン先生は完全な正論をもってジョンの偽悪性を喝破してみせるのだ。嫌な大人だけど、バーノン先生まじかっこいいわ。

51:55〜1:00:45 共犯5


 天井裏をつたって図書室へ戻ってきたジョンが天井を突き破って盛大に落下する。大急ぎでトイレから戻ってきたバーノン先生をほかの4人は咳をするなどしてやり過ごす。ここは先ほどの脱出シーンと対になっていて、4人がジョンを庇う展開になっているわけですね。ここへきて彼らの共犯関係は決定的なものになった。

 「私を馬鹿にするな」と言い放ち図書室を出て行くバーノン先生の後姿が・・・。もうこういうところ本当いちいちすばらしいですね。


 マリファナを吸ってみんなでハイになる。ジョン、アンドリュー、クレア、ブライアンの4人はかなり打ち解けた様子。マリファナを介して仲良くなるってどんな感じなのだろうか。日本人にはやや理解しづらいものがある。アンドリューが咆吼するとガラスが割れるというアニメのような描写が唐突に入ったりして驚かされるが、要するにこの場面は意図的に非日常として誇張されているのではないか。ここでの出来事を4人が改めて思い返したときに、現実に起こったとはにわかに信じがたい白昼夢のような出来事であるべきなのだ。この直後に5人がぶつかる重要な問題ともかかわってくる。
 さて、もうお気づきかとおもうがジョンが図書室に戻ってから一連の「共犯」にアリソンが登場していないように見える。

 バーノン先生からジョンを匿うシーンでアリソンも咳払いをしている。マリファナを吸っているシーンはないが一応画面に登場してはいる。アリソン以外の4人は同時に画面に収まる頻度が増えてくるが、アリソンが登場するカットだけは割られている。これはおそらくアリソンだけがほかの4人と距離を詰められずにいることの表れなのではないだろうか。
 そんなアリソンもついに行動を起こす。アンドリューとブライアンが仲良く話をしているところにかなり唐突にやってくるのだ。

 カットが変わりジョンはクレアの化粧品をクレアはジョンの電話帳(?)をいじっている。ガールフレンドを一人に絞らないジョン、化粧品を捨てられないクレアの対比でくすりとさせる場面だが、互いの持ち物を見せ合うという行為が相手に心を開く行為の表れにもなっているようだ。

1:00:45〜1:05:07 軋轢6

 ジョンとクレアの場面を反復する形で、次のカットではアンドリューとブライアンが互いの財布を見せ合っている。アリソンが「私のバッグの中も見る?」とつぶやくと、二人は同時に「いい」。お前らどんだけ仲良くなってんだ。思わず笑ってしまうと同時にアリソンに対する二人の無関心ぶりが浮き彫りになってもいる。

 二人にかまわずアリソンがバッグの中身をぶちまけると中からは日用品を含むさまざまながらくたが出てくる。「家庭生活が不幸だから家を出たい」と訴えるアリソンだが、ブライアンもアンドリューもまじめに取り合おうとしない。失望した様子でその場を立ち去るアリソンを不審に思ったアンドリューが後を追う。アンドリューに「消えて」と吐き捨てながら、彼がしぶしぶ戻ろうとするとその背中に「人の命令にばかり従ってる!」と投げかける。めんどくせー女だ!しかしその言葉は間違いなくアンドリューの本質を突いているのだった。

 アンドリューに話をするように促されたアリソンは自身が置かれおている家庭状況について説明する。彼女は両親に無視されているのだった・・・。ほかの4人が親とのコミュニケーションのしがらみにとらわれているのと対照的だ。ブライアンとアンドリューにかばんの中身をぶちまけるまで彼女は一度も他人に話し掛けていない(強いて言えばクレアに「ハッ!」と言っただけ)。冒頭で運転席に話し掛けようとした場面のみなのだ。後ほど話にも出るがアリソンには友達もいない。周囲とのコミュニケーションを完全に断絶された彼女にとって、かばんの中身をぶちまけることはとても勇気のいることだったのではないか。一緒に過ごした数時間を通してコミュニケーションへの淡い期待を彼女なりに抱いてSOSを発したのではないか。こんな孤独があるだろうか・・・両親のけんかのネタに利用されていると自己憐憫に浸っているクレアが彼女にとってどんなに妬ましく、また羨ましく映ったことか。いろいろと腑に落ちる展開だ。

1:05:07〜1:06:38 バーノンとカール


 ここで地下室で語り合うバーノン先生とカールの様子がブレイク的に挿入される。「年々子どもたちは生意気になってる」と嘆くバーノン先生にカールは「変わったのはあんたの方だ」と指摘する。カールはバーノン先生と5人の高校生を橋渡しする存在とも言えそうだ。この場面も本当に素晴らしい。短いシーンだがあるとないとでは作品の印象ががらりと変わるとおもう。原則としては思春期を過ごす若者たちの心に寄り添う『ブレックファスト・クラブ』だが、思春期をとっくに通り過ぎてしまった大人たちがかつてをなつかしく振り返るような視点が常にある。大人になって見ると特にこのシーンが響くんですよね。

1:06:38〜1:26:14 軋轢7


図書館の床に座って話をする5人。これから約20分にも及ぶ長い会話劇が「軋轢」パートにおける総決算である。これまで登場してきた議題が次々と俎上に載せられ、関係性がめまぐるしく変遷していく。重要な場面なのでさらに小節を設けて見ていこう。

1:06:38 100万ドルもらうために何をする?

 高校生らしい他愛もない話題でクレアとアンドリューを中心に盛り上がっている。重いテーマに移行する前の緩衝材のようにも見えるが、このときジョンが露骨に退屈そうな顔をしているところには注目したい。持てる者たちのファンタジーほど持たざる者にとって苛立つ話題はないのだ。

1:08:20 やったことある?


 そこにアリソンが「エッチなことなら何でもする」と唐突に割って入り、ニンフォマニアを自称し始める。この発言によって自然と話題が「セックス体験」へと移行していく。これは実を言うとアリソンが意図的にクレアに仕掛けた罠である。浮ついたファンタジーに淫してちっとも現実の話をしないクレアへの攻撃。発言をする前にアリソンは一瞬だけジョンの方に視線を向けているのは見逃せない。いつもならクレアを真っ先に批判しているジョンが無関心な態度に徹していることを確認しているのだ。露骨な拒絶感を示すクレアにアリソンは「あんたはやったことあるの?」ととどめの質問を浴びせる。さらにアリソンは「したことないって言えば堅物、あると言えばあばずれ。どっちも損をするからあなたは答えられない」「私はプライドのために人と寝ない」と追い討ちをかけ、セルフイメージばかりを気にするクレアの虚飾性を暴いていく。ジョンも加勢し追い詰められたクレアはついに自分が処女だと認める。しかしそんなことは、昼休みブライアンの童貞を肯定したことからもあらかた予想はついていた。重要なのはクレアが自分の内面をさらけだしたことだ。クレアの答えを引き出し満足したアリソンは実は自分もセックス体験がないと打ち明ける。クレアは激昂するがこのとき初めてアリソンはクレアに心を許したように見える。

1:10:34 親父なんて大嫌いだ

 クレアはアリソンを変人呼ばわりするがアンドリューは「俺たちみんな変だ」とアリソンを擁護する。「彼には自分がないの」と明かすアリソンに同意したアンドリューは、自分がどうして補習を受けることになったのかおもむろに話し始める。

 アンドリューが補習に呼び出された理由は「ラリー・レスターの尻にテープを貼った」こと。要するに映画におけるジョックスとして典型的な行動をとったことだったんですね。

 思わず吹き出してしまうクレアと動揺するブライアンの反応はとても対照的だ。ラリー・レスターはブライアンの友達だった。アンドリューの標的はひょっとするとブライアンだったかもしれない。相手は弱虫なら誰でも良かった。アンドリューの行動にはさらに根深い問題があった。若いころの悪行を自慢する父親へのコンプレックスがくだんの行動へとアンドリューを走らせたのである。

 過剰なマッチョイズムと競争主義を押しつける父親への不満をぶちまけ、ついには泣いてしまうアンドリュー。余談ですがこの場面は『フォーゼ』でも再現されていましたね。彼がこんな情けない姿を人前で見せたことがあっただろうか。おそらくふだんの友達に告白することはできない。まったく無関係のメンバーだったからこそアンドリューは自分をさらけだすことができた。ひとつひとつの言動に注目すると、ジョン・ヒューズが細心の注意を払いながらアンドリューというキャラクターの物語を紡いでいることがわかる。アンドリューはジョックスとしての典型的な振る舞い(「力」「勝利」への執着)を基軸としながらも、自分の意見が持つことができない弱い人間としても丁寧に描き込まれている。彼が人の表情を読み取ることに異常に長けていたのもそのためではないか。アンドリューの話を聞いたジョンは「俺の親父とお前の親父でボーリングにでも行けばいいのにな」とジョークを飛ばす。昼休みにジョンの家庭事情を作り話と決め付けたアンドリューへの「赦し」になっているし、ジョンとアンドリューの関係が少しだけ変わってきたこともうかがわせる。
 次にブライアンがアンドリューに共感を示す。アンドリューにとってのスポーツがブライアンにとっての勉強。のしかかるプレッシャーじたいに変わりはない。ブライアンは「馬鹿な奴らが取っているから」楽勝科目だと思っていた技工で赤点を取ってしまったことを明かす。ジョンもその「馬鹿な奴ら」の一人で、ブライアンの偏見が暴かれてしまう。ブライアンは「三角法も知らないで技工が成立するはずない」と言うが、ジョンは技工を落としてしまうなんて「逆に天才だ」と一蹴する。この発言はある意味的を射ている。紙の上の計算が実技では全く役に立たないということがけっこうある。ブライアンは初めてそのことを経験し、挫折を知ったのだった。正しい喩えなのかはわからないが頭が悪くても速いミニ四駆を作れるやつとかいましたよね。

1:14:33 おまえはお姫さまだが俺はゼロだ

 「どっちかが優れているとかではない」とクレアが二人の間に入り、話題はいつのまにか特技の話になる。

 クレアは手を使わずにグロスを塗るという特技を披露する。かなり打ち解けたムードなので全員で盛り上がるのだが、ジョン一人だけが「お嬢様イメージは失墜したな」と嫌味を言い出す。アリソンとアンドリューがジョンを批難するがジョンは「俺なんて数に入らないんだろ」(最初の会話の場面の反復)とはねかえす。ジョンの中のわだかまりは消えていない。ジョンはクレアへの攻撃の手をゆるめない。ジョンとクレアの世界はあまりに違いすぎた。たぶんジョンはグロスを塗って得意になるクレアやそれを無邪気に賞賛する空気にいやおうなく疎外感を意識してしまったのだとおもう。このシーンは本当痛ましいですね。確かにほかの4人に比べてクレアはなんだかふわふわしてるというか人間的にも薄っぺらくて感情移入しづらくはある。れでもこの5人のムードじたいに観客は惹かれているところがあるので、今になって歴然とした軋轢を見せられるのは切なくて胸が痛くなる。『ブレックファスト・クラブ』のすごいところってここなんですよね。5人が少しずつ理解しあうことはあっても絶対に馴れ合うことはない。むしろ近づけば近づくほど互いの違いを意識させられて傷つけあうことになってしまう。5人は少しずつ互いのことを好きになり始めている。だからなおさら彼らの本気のコミュニケーションには血を流すような痛みがある。

19:24 俺たちも親みたいになるのかな

 プレゼントにもらうのはダイヤモンドのピアスかタバコ1カートンか。クレアとジョンの格差の原因はたぶん両親の違いにある。お互いの間に深い溝があることは確かだが、5人とも両親という足かせにもがき苦しんでいることは共通しているようだ。5人の心の弱さを現時点で一番深く把握しているアンドリューが「自分たちも親みたいになってしまうのか」という疑問を口にする。

 真っ先に「自分はいやだ」と言ったのは意外にもクレアだった。ジョンが少し驚いた様子でクレアの方を見て微笑む。ジョンはこのときクレアにちょっとだけ救われたとおもうのだよ。ジョンとクレアにはまだまだ歩み寄る余地がある。ジョンとクレアの未来は決まりきっているように見えて実は全然決まっていない。クレアの言葉が魔法の言葉か何かのようにジョンの心に響いているのがわかって、このシーンにはいつもじんとしてしまう。これに対しアリソンはペシミスティックな態度をとる。「大人になると心が死んでしまう」。誰にもそれを止めることはできない。

19:57 月曜日に会ったらどうしたらいい?

 さて、ついに『ブレックファスト・クラブ』最大のテーマをブライアンが口にするときがきた。僕たちは友達になれた。でも月曜日も友達なのか。誰もが気になっていたこと。同時に少しだけ答えも見えていたこと。それでも目をそらしてやり過ごそうとしてきたこと。
 クレアが残酷な事実をブライアンに告げる。クレアはけっこう損な役回りだと思いますよ。最後の最後までクレアのことを好きになれないという人はけっこう多いとおもう。でもここではっきりと発言するところに私はすごく好感を持った。これもクレアの成長ではないだろうか。アンドリューとジョンに激しく批難されてもクレアは毅然とした態度ではねのける。「同じ体育会系の友達の前でブライアンが話しかけたらどうするか。きっとあなたは「やあ」と返事をしたあと、友達と思われないようにブライアンの悪口を言うわ」。「あなたはアリソンを不良の集まるパーティに連れて行く?ブライアンを昼休みにマリファナに誘える?私が話しかけてきたら?きっとあなたは「あいつはやらせてくれるから付き合ってるだけだ」っていうはずだ」。たぶん図星だ。あまりに正論だからアンドリューもジョンも言い返すことができない。クレアの「正直」な態度をジョンは批判するが、その実この「正直」はかつて彼自身がブライアンに対してぶつけてきた態度でもある。「俺のダチのことを何も知らないくせに悪口を言うな」というせりふももかつてクレアがジョンに対して言ったせりふの反復である。登場人物間の言動や態度の交換性は他にも探せばたくさん指摘できる。5人それぞれが鏡像関係になっていて無意識的に互いの言動を模倣しあっている。

 クレアとジョンの言い争いを聞きながら思わず涙をこぼしてしまうブライアンの表情にも胸が締め付けられる。自分は月曜日にもみんなを無視したりしないと言うブライアンにクレアは「私と友達だと自慢できるからね」とまで言ってしまう。ブライアンの高潔な気持ちを踏みにじるようだ…。すごく気の毒に見えるのだが、これも実はブライアン自身の行動のはね返りでもある。ブライアンが校内用務員カールに話しかけられたときにとった行動を思い出そう。この映画の中ではどの人間も等しくいい奴で等しく嫌な奴だ。心地よい予定調和は一切ない。互いが本気で理解しあおうとしたときの軋轢が冷酷なまでに描かれている。
 

23:50 僕がここに来たわけ、わかる?

 「あなたには私たちのプレッシャーを理解できない」というクレアにさすがのブライアンも激昂し「Fuck You」を連発する。そして自分がどうして特別補習に呼び出されたのかを吐露し始めるのだった。

 ブライアンが補習に来たのはロッカーに隠し持っていた銃が見つかったからだった。技工の赤点は自殺を考えるほど彼を追い詰めていたのだった。深刻さのレベルでは群を抜いているし、これにはほかの4人も戦慄してしまう。失望感と無力感に思わずいすを殴ってしまうブライアンのアクションが痛ましい。実際にはフレアガンだったわけだが、それでも追い込まれていたことには変わりないだろう。ロッカーで暴発した話を聞いて思わず吹き出してしまうアンドリュー。「笑えない」と制止するブライアンだったが、「笑えるね、象のランプ(技工の課題)はこなごなになったよ」と言って微笑む。たぶんこの瞬間にブライアンの苦悩も氷解したような気がする。なんか人に話しただけで解決することもあるよね。

25:50 アリソンが来たわけ

 少し空気が和らいだところでアリソンが自分が補習に来たわけを告白する。なんとアリソンは何も問題を起こしていなかった。ただ退屈だったからここに来たという。いっせいに笑いだす5人。

私はここでいつも泣いてしまう。全編を通して見ても、5人が同じフレームの中で一緒になって笑っているのは実はこのワンカットだけなのだ。月曜になればいつもどおり。5人がこんなふうにそろって笑う瞬間はおそらく永遠に来ない。彼ら自身もそのことに気が付いている。刹那的で夢のようなつながり。でも5人はそれぞれにここでしか得られない大事な何かを手にしたのだ。

26:14〜27:41 共犯6


 Karla DeVito「We are not alone」に合わせた5人のダンスのモンタージュ。ミュージッククリップ風に編集したダンスシーンはこの時代の映画にはよく見られる。ここが唐突だとする意見もたまに見かけるのだがそんなことはない。解放感と多幸感、そして少しだけのさみしさを伴う映画史屈指のダンスシーンだと思います。私の中では『ビートルジュース』のエンディングと双璧ですね。

27:41〜32:13 関係性の総括


 再び天井裏を伝ってジョンは倉庫へ戻っていく。クレアにおだてられてブライアンが5人の分の作文を書くことになる。

 このときのアンドリューとアリソンにも注目したい。わりとずっとアリソンのこと見ているんですよねアンドリューは。この二人の関係は初見では唐突な感じがしたものだが、実はていねいに伏線が張られていますね。


 終盤付近はいよいよ人物関係の総括に向かっていて、女子同士のつながりも描かれている。アリソンに化粧をしてあげるクレア。アリソンはモテガールに変貌を遂げるのだった・・・。ここは『ブレックファスト・クラブ』でいちばん賛否が分かれるところではないだろうか。アリソンは自分らしさを捨てクレア側の美意識に屈服してしまったように見える。私も当初はそう思ったが何度か見ているうちに考えが変わってきた。どうしてこんなことをというアリソンの問いに対しクレアは「Because,You're Letting me(あなたがそうさせてくれるから)」と答える。この場面は「クレアの思いやり」であると同時に「アリソンの思いやり」なんですよね。彼女たちにとっての別れの儀式にもなっている。
 土曜日の補習で1番心を救われたのは実はアリソンだったのかもしれない。友達もなく家庭でも無視される孤独な生活の中で「何もすることがなく」て補習にやってきたアリソン。心の底から他者とのかかわりを渇望していたのだとおもう。他者の葛藤にふれたり、共感したり、反発した経験のすべてがアリソンの心にかけがえのない経験として刻まれたのではないか。アリソンは月曜日にはまたいつもの恰好に戻っているかもしれないがクレアの思いやりを受け入れたことは彼女にとって今後も大きな意味を持つとおもうんですよね。

 クレアにもジョンにも心の変化のようなものがあって最も顕著なのがクレアのキスである。キスをされたときのジョンの戸惑ったような表情もいい。

 ブライアンがこういうロマンスから一人だけ蚊帳の外なのがちょっと気の毒なのだけど、作文を書き終えて自分の腕をぽんと叩くところは非常にキュートだ。代表で作文を書いたことはブライアンの自信の回復になっているとおもうし、ほかの4人が自分のアイデンティティの決定権をブライアンに託したともとることができる。

32:13〜 エンディング


 ブライアンにはもうひとつ変化があって、帰るときに自然にカールにあいさつをしている。歪んだうぬぼれが消えているんですね。これもクレアとの衝突を通じて得た成長だとおもう。

5人は月曜日からまた友達ではなくなってしまう。2組のカップルもそう長続きはしないだろう。だが私はそれが悲しいこととはもう思わない。
 少し前にツイッターid:vertigo-noteさんが「明日からいつもの僕ら。明日からちがう僕ら」みたいな(違ってたら本当申し訳ないのですが)フレーズでこの映画の余韻を表現されていてなるほどなと思ったことがある。
 『ブレックファスト・クラブ』が他の青春映画と一線を画しているのは彼らがついには離散してしまった、その痛みを描いているところにある。5人はこの1日でほんの一瞬だけ交わり、火花を散らして、またそれぞれの道へと帰っていく。では月曜日から彼らは先週と同じガリベンで、スポーツ馬鹿で、不思議ちゃんで、お姫様で、チンピラなのか。それは半分正解だが半分間違ってもいる。確かに月曜日の学校はいつもどおり残酷に彼らを迎えるだろう。だけど、もう先週と同じ自分には戻れない。そのことを「ブレックファスト・クラブ」だけが知っている。
 『ブレックファスト・クラブ』はアイデンティティについての物語だ。「個性」とか「人それぞれ」という言葉が乱暴に都合よく使われてるように思う。かつて金子みすゞは「みんなちがって みんないい」と書いた。しかしそれはみすゞが生きた時代において「違い」のすばらしさが保証されていなかったからだ。「みんなちがって みんないい」という言葉を最初からおまじないのようにつぶやいてしまうのが今の日本だと私はおもう。違った価値観を取り入れて吟味することを放棄するためのエクスキューズに成り下がってしまってはいないか。本来、違いを確認するプロセスは身を削り、血を流すような苦しみと痛みを伴うものではないか。そうしてぐちゃぐちゃに混ざり合って、信じていた「自分らしさ」なんて粉々に破壊されてしまって、その中で初めて誰にも奪われることのない自分だけの「ちがい」を見つけることが出来るんじゃないのか。『ブレックファスト・クラブ』の5人は、それぞれの肩書きを次々と引き剥がされ、もう何ひとつ残らなくなってしまうような激しい精神の揺らぎの中で本当の自分を見つけ出していく。自己は血を流してしか獲得できないのだ。We're not alone。あなたに、私に、個性と呼べるほどの自己はあるか。

バーノン先生、僕たちがせっかくの土曜日に登校を命じられたのは当然の報いです。
でも自分とは何かという作文を書けだなんてばかげています。
先生は色眼鏡で僕らを見て、自分に都合よく何かを決め付けてるから。
でも今日気づきました
僕らはガリベンであり
スポーツ馬鹿
不思議ちゃん
お姫様
チンピラ
答えになっていますか。
以上です。
ブレックファスト・クラブより