Devil's Own

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『贖罪(#3.くまの兄妹)』(黒沢清)

"Shokuzai(ep.3 Siblings of Bears)"2012/JP

 呪わしい事件に立ち会った4人の少女のうちのひとり、晶子(安藤サクラ)は前2話の2人とは対象的に今もって自宅に引きこもった生活している。自己評価が極端に低く、事件当日に親戚にもらった「身分不相応の服」を着ていたことが不幸を呼び寄せたのだと考えている。何の変哲もない一戸建てだが、悪い空気が醸成されているような閉塞感がある。いなかの保守的な中流家庭を絵に描いたような母親も息苦しい。私も小学生の頃は佐世保市に住んでいたので郊外に暮らす小さな小さな絶望感がよくわかる。そんな「いなか地獄」に東京に出て行っていた兄(加瀬亮)が結婚相手を連れて戻ってくる。結婚相手には連れ子がいて、しだいに晶子と打ち解けていくのだが・・・。
 今回は安藤サクラが過去の出来事を小泉今日子に話すというフラッシュバック形式が初めて取られている。予測のつかない方向へ話しが転がっていった1、2話と比べて、結果があらかじめ予想しやすくなっているがそれだけに、画面の端々からにじみ出る「嫌な予感」に眩暈がするようだ。先週は「おそらく2話が最高傑作だろう」と書いたがべっとりと張りつくような不吉さは回を追うごとに研ぎ澄まされていく。廃ビル、段ボール、ビニール袋と黒沢清的な意匠がそこかしこに登場し、最も作家性が爆発したエピソードともいえるかもしれない。巨大なテディベアにもぎょっとさせられた。それにしても安藤サクラが全身から放っている"不憫さ"をここまでえげつなくえぐり取った作家がこれまでいただろうか。つくづくサディストなんだからとおもってしまいました。安藤の実在感も素晴らしいが加瀬亮も怪演といっていいほどの突出を見せた。『贖罪』は女性たちを主人公にした物語だが男性キャラクターの描き方にも注目したい。これは湊かなえの影響もあるのかもしれないが、徹底した男性不信の傾向はこのドラマの通底音として指摘しておかねばなるまい。森山未来も、水橋研二も、加瀬亮も人畜無害な草食系男子のイメージが強いが『贖罪』では狂気と暴力を飼っている怪物である。このドラマにはまともな男はひとりも登場しませんね。ほかには少年時代の加瀬亮を『トウキョウソナタ』の井之脇海が演じていて、いい顔つきをしていた。