Devil's Own

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『ドラゴン・タトゥーの女』(デヴィッド・フィンチャー)

"The Girl with the Dragon Tattoo"2011/US

 デヴィッド・フィンチャーのキャリアについて話すとき「凡作と傑作を交互に撮っている」という揶揄がしばしば登場するわけだが、今作でフィンチャーはそうしたジンクスを見事打ち破ったといえるだろう。得意のジャンル映画の枠組みで大傑作『ソーシャル・ネットワーク』と拮抗できる傑作をものにした。156分の長尺だがおそらく余剰はひとつもない。強いていえば終盤の「投資」の場面があと1分、いや30秒くらい短くてもよかったが。フィンチャー節ともいえる凝ったカメラワークもストーリードラマの経済を損ねることなく収まっている理想の娯楽映画だった。以下作品の内容に言及しているので注意してください。
 フィンチャー人間性を信じない「叙事の作家」だということはここで繰り返し述べてきたとおもう。血族の呪わしい過去を解き明かしていくという横溝正史的なミステリーもフィンチャーの手にかかればあっさりしたものだ。スウェーデンの寒々しい風景もよるべのなさに拍車をかける。序盤で依頼主のヘンリック・ヴァンゲル(クリストファー・プラマー)が記者ミカエル(ダニエル・クレイグ)に自分の一族がいかに性根の腐った連中であるかを力説するのだが、じっさいは言うほど嫌な奴は登場しないんですよね。というより一族の人間性にそこまで深く迫ろうとしない。こうしたクールな立ち位置が評価の分かれ目にもなっているのも確かだ。
 ミカエルの助手として中盤から調査に協力する天才ハッカーリスベット(ルーニー・マーラ)はフィンチャー的なキャラクターの極め付きといえる存在だろう。コミュニケーションを拒絶する徹底した無表情、全身をタトゥーやピアスで埋め尽くす身体の否定、男根主義的な欲望/暴力との闘争。か細い身体の中にこれまでのフィンチャー作品で描かれてきたエッセンスが凝縮されている。さらに終盤に向かうにつれてフィンチャーは明らかにリスベットの「感情」を描こうともしている。リスベットの中に芽生え始める感情のゆらぎが、叙事から叙情へ引き寄せられていくフィンチャー自身の変化と見事にシンクロしているんですよね。これにはほんとうに驚いた。リスベットの心境変化のもっともわかりやすいポイントが粗雑なモザイク処理をかけられてしまったミカエルとのベッドシーンだとおもう。ミカエルの制止もきかずに室内でたばこをふかしていたリスベットがセックスの直後には「窓開けようか」と気遣いを見せたり、朝食を用意していたりと細かい変化がしっかりと示されている。直後に、猫の死体を冷静に撮影する態度は相変わらずフィンチャー的といえるが、事件解決後、涙を流して再会をよろこぶ2人を前にさっと背を向けてしまう態度には彼女自身も気付かなかった感情の萌芽が見え隠れする。とどめを刺すのは切なく胸締め付けられるラストシーンだろう。降りしきる雪と絵画的な照明設計もあいまって、これが本当にフィンチャーの映画かと疑いたくなるほどだ。こうした「つながりへの欲望」は『ソーシャル・ネットワーク』のラストで既に芽生えていたが今作ではより明確に打ち出されたのではないか。
 そのほか気付いたことをいくつか。デジタル機器を駆使した2人の調査過程がアナログ的な身体感覚を伴った「アクション」としてしっかり描かれているのにも感心した。『ソーシャル・ネットワーク』で編み出されたハッキング表現がうまく応用されている。ラップトップをかちゃかちゃ叩いたり、ファイルをぺらぺらとめくったり、地味なアクションがかっこよく撮られていてすばらしいです。日々のデスクワークが楽しくなりそうですね。
 殺人鬼のキャラクターには『セブン』を連想する向きもあるが、私個人は今作でフィンチャーは『セブン』的な世界観からはっきりと決別しているとおもう。だいたい私は『セブン』があまり好きではないんですよね。殺人に過剰な意味づけをしていて退屈に思えてしまう。フィンチャーの殺人観は『ゾディアック』での即物的な表現を経て、『ドラゴン・タトゥーの女』では独特の境地へと結実した。場違いなエンヤの楽曲やビニール袋の使い方、「帰っていい?」というミカエルのせりふなどちぐはぐな「笑い」の要素が逆に恐ろしい。このあたりはフィンチャーなりのジャンル映画に対する余裕の表れでもあるだろう。「信じられないことに人は自分が傷つけられる恐怖より他人を不快にさせる恐怖のほうが勝ってしまうんだ」というせりふにもはっとさせられた。これは原作にあるせりふなのだろうか。
 それから犯人が逃走劇のあげくあっけない最期をとげるシークエンス。自動車が横転し、リズベットのバイクが横滑りする。銃を片手に犯人の車に近づいていくリズベットを捉えたなめらかな移動撮影に続き、爆発炎上する自動車が絶妙なロングショットで映し出される。字幕と吹き替えで2回見ましたが運動、不意打ちが交錯するこの一連のシークエンスには本当にほれぼれした。