Devil's Own

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『海賊戦隊ゴーカイジャー』をふりかえる


 『海賊戦隊ゴーカイジャー』が終わった。スーパー戦隊35周年記念を銘打ち、過去シリーズに出演したキャラクターが「レジェンド戦士」として次々と登場する。『ゴーカイジャー』はこうした「お祭り」を演出する一方で、「海賊戦隊」としてのドラマもていねいに描ききったことで35戦隊の総決算にふさわしい傑作シリーズになった。個人的に『ゴーカイジャー』の勝因はこのふたつの要素の絶妙なバランスにあったとおもいます。「お祭り」に比重を置きすぎるとどうしてもドラマにひずみが生じたとおもうし「海賊」というモチーフだけでは人気漫画の模倣という批判を免れなかっただろう。主人公たちが「大いなる力」を集める過程でかつての戦士たちと出会い、「35番目のスーパー戦隊」としての自覚を深めていくという構成も子どもにわかりやすく、旧シリーズへのオマージュを無理なく盛り込むことができた。本当にどちらが欠けてもダメだったとおもいますよ。
 『ゴーカイジャー』放映前、「新しいスーパー戦隊は過去の34の全戦隊の変身能力を持っているらしい」と聞いたときは正直不安もあった。私にとってスーパー戦隊の戦士たちは変身者のキャラクターと分かちがたく結び付いている。どこの馬の骨とも知らん海賊どもが能力だけ完コピしたところでその戦いを素直に応援する気になれるものか!けしからんとかつてはおもいました。町山智浩が『僕はビートルズ』という漫画を批判するような感じで。ところが劇中のゴーカイジャースーパー戦隊が地球にとってどれだけ大きな存在であるかという「価値」に気付いていない、いわば「学ぶべき存在」として描かれていた。あらかじめ持っているハードウェア(スーパー戦隊の変身能力)だけでは不完全なので、ソフトウェア(精神性)を過去の戦隊との交流を通して学び取っていくという一貫した「継承」のドラマが中心にあったのだ。こうした「継承」はできるだけ多くのオリジナルキャストを出演させることで説得力を持たせている。歴代34のスーパー戦隊から最低1人ずつはオリジナルキャストを登場させたことは『ゴーカイジャー』最大の快挙だろう。今は若手の登竜門的な性格も強いですが、かつてはヒーローを演じるということは俳優にとってその後のセルフイメージをほとんど固定化してしまうくらいに大きなことだったんですよね。役者によっては専属事務所の方針などで特撮ドラマの出演を「黒歴史」にしてしまうこともある。特撮出身の俳優がさまざまな方面で活躍することは素直にうれしいですが、やはり番組を見ていた子どもにとってはいつまでたってもヒーローなんですよね。『ゴーカイジャー』にこれだけ多くのオリジナルキャストが出演したことで、かつての自分が子どもたちのヒーローであったことを忘れずに誇りを持っている役者がたくさんいることを教えられるようで素直に感動しました。

 さらにすばらしかったのはオリジナルキャストの客演があくまでも『ゴーカイジャー』という枠組みの中で有機的に働いていた点です。ゲストのためのドラマではなくドラマのためのゲスト。歴代スーパー戦隊の歴史をハードではなくソフトとしてしっかりと受け継いでいきたいという作り手の気概のようなものが伝わりました。たとえばギンガマン登場回の第20話「迷いの森」では、ゴーカイシルバー=伊狩鎧(池田純矢)の成長物語が『ギンガマン』本編でのギンガレッドのエピソードをなぞるかたちで描かれている。ダイレンジャー登場回の第33話「ヒーローだァァッ!!」では鎧が変身能力を失ってしまうが、これも『ダイレンジャー』本編の伝説的なエピソード「すっゲェ〜真実」(本編中で一度も変身がないっていう)を踏まえている。ライブマン登場回だった第30話「友の魂だけでも」ではかつての仲間と戦わなくてはならないゴーカイブルー=ジョー・ギブケン(山田裕貴)の葛藤に対し、同じくかつての友人たちを相手に戦ったイエローライオンこと大原丈(西村和彦)を登場させることでドラマに奥行きを持たせていた。このあたりのエピソードは過去作からの客演がある通称「レジェンド回」の中でも特によく出来ていたとおもいます。

それからカーレンジャー登場回の第14話「いまも交通安全」では浦沢義雄ジェットマン登場回の第28話「翼は永遠に」では井上敏樹というかつてのメーンライターを召喚していたのにも驚いた。両作品ともメーンライターの作家性が色濃い作品だけに彼ら以外が書くのは考えられなかったし、前者ではほぼ『カーレンジャー』のリメイク、後者は『ジェットマン』の正統な続編といっていい内容だった。結果として『ゴーカイジャー』にバリエーションをもたらしてくれたとおもう。
 私がスーパー戦隊シリーズを見るとき一番重きを置くのが悪役である。悪役がキャラ立ちしているシリーズはたいてい傑作なのだ。『ゴーカイジャー』の悪役は宇宙帝国ザンギャック。全宇宙で艦隊を配備し、数々の星を滅ぼしている大組織だ。『ゴーカイジャー』の第1話では、34のスーパー戦隊がザンギャック撃退と引き換えに変身能力を失ってしまったことが語られる。基本的に「量」で勝負するタイプだがなかなかの巨大組織です。帝国型の組織は私も大好きなんですよね。構成がしっかりしているぶん、政治や衝突などのドラマが生まれやすい。ザンギャックは大星団ゴズマ(『電撃戦隊チェンジマン』)や次元戦団バイラム(『鳥人戦隊ジェットマン』)あたりをほうふつとさせ、どちらも大好きな私としては期待値があがりました。『ゴーカイジャー』は1話が2話分くらいのカロリーを持った濃密なシリーズだったとおもうが、ドラマの比重で一番割を食ってしまったのがザンギャックだったとおもう。第1話のインパクトは絶大だったが、シリーズ終了後になってはたしてザンギャックは戦隊史上、最強最悪の組織だったのかといわれると疑問が残るところだ。尊大かつ卑屈な司令官ワルズ・ギル(J・エドガー・フーバー的な性格です)を始め個性的なキャラクターがそろっていただけにこの点は残念だった。動かし方によってはすごく面白くなったとおもうのだが。終盤に登場した皇帝アクドス・ギルなんかは全艦隊を統率する強さや凶悪さを印象づけることができず、特にもったいなかった。

 しかし、ザンギャックが悪役としての精彩を欠いてしまった最大の理由は第15話から登場したバスコ・タ・ジョロキア細貝圭)の存在だろう。かつてゴーカイレッド=マーベラスを裏切り、現在はザンギャック公認の私掠船という立場(必ずしも主従関係にはない)で完全な「第3勢力」として暗躍する。回によってはザンギャックはほぼ登場せずバスコとの戦いのみが描かれることもあり『ゴーカイジャー』のドラマにおいてかなり大きな役割を占めていました。「何かを得るためには何かを捨てなきゃ」という独自の哲学、細貝圭さんによる飄々としたキャラクター、なによりも終始ゴーカイジャーを圧倒しつづけた戦闘スキルなど絶大なインパクトで、個人的には戦隊史屈指の名悪役になったとおもいます。人間体を基本にした悪役で最期まで第3勢力という立場を変えず散っていったところもポイントが高かった。この手のキャラクターは終盤に悪の組織側のヘッドになったり、逆に戦隊側についてしまったりと立場を変えてしまうことも多いんですよね。第48話でのゴーカイレッドとの一騎打ちは死闘と呼ぶにふさわしい最高の盛り上がりを見せました。さらに「何かを得るために何かを捨てなきゃ」というバスコの哲学は「宇宙最大のお宝」をめぐってゴーカイジャーが迫られる選択の伏線にもなっていた。これにも感心しました。バスコさいこう!バスコありがとう!

 傑作ぞろいの『ゴーカイジャー』の中から私個人のベストエピソードをひとつだけ選ぶとしたら第41話「なくしたくないもの」だろう。このエピソードではかつてファミーユ星の王女だったゴーカイピンクことアイム(小池唯)とファミーユ星を滅ぼした張本人であるザツリグとの決着が描かれる。『ゴーカイジャー』のことを振り返ったときに、真っ先に浮かんだのが思い入れの強い戦隊ヒーローが登場したレジェンド回ではなかったことは自分でも意外でした。朝から恥ずかしげもなくぼろ泣きしてしまったんですよね。戦隊モノの戦闘スタイルはしばしば「フルボッコ」と揶揄される運命にあるわけだが、私は見当違いもいいところだとおもう。各人では不完全なメンバーが互いの欠点を補い合いながら力を合わせて戦うところに戦隊モノの醍醐味があるわけで、単純な数の暴力ではないですよ。だから私は戦隊モノの「1人はみんなのために、みんなは1人のために」という展開に弱い。第41話では、弱々しいお姫さまだったアイムが海賊に加わることになる回想を交えながらほかのメンバーにとってアイムがどんな存在なのかを描き出す。まさに「みんなは1人のために」。アイムがメンバーの一人一人とタッグを組みながらザツリグを撃破する、という戦闘シーンもこれまでありそうでなかった演出でめちゃくちゃしびれました。正直言ってこのエピソードは2話使ってもよかったんじゃないかとおもう。これに続く第42、43話ではゴーカイグリーンことハカセ(清水一希)のメーン回だが、今度は「1人はみんなのために」に比重を置いた物語が展開する。この3話は客演がなくとも『ゴーカイジャー』が十分に面白いことを証明した傑作群だったとおもう。
 個人的には思い入れのある『ターボレンジャー』や『ジュウレンジャー』でもレジェンド回をやってほしかったとか、最終回のエンドロールでこれまで登場した役者さんにも登場してほしかったとか(そのために撮りだめすることになるのだが)欲をいえばいろいろありますが、総じて作り手のスーパー戦隊に対する強い思い入れが伝わるすばらしい充実した1年だった。今後、アニバーサリー戦隊がこれだけの充実度で描かれることはおそらくないだろうし、そういう意味では『ゴーカイジャー』というシリーズじたいが「レジェンド」として後世に語り継がれることになるだろう。ゴーカイジャーさいこう!ゴーカイジャーありがとう!