Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

『幸せへのキセキ』(キャメロン・クロウ)

"We Bought a Zoo"2011/US

キャメロン・クロウ7年ぶりの新作。待たされたー。アレクサンダー・ペインの『ファミリー・ツリー』の方がブランクとしては長いけど、それよりもずっとずっと長い間待たされた気がする。なにしろ私は変わった。映画もたぶん1000以上見たし、本も500冊くらいは読んだだろう。恋人も何度か変わってしまったし(すべて音信不通)、書く文章もずいぶん変化したとおもう。学生から社会人に変わった。仕事も1度変わった。今でもキャメロン・クロウの映画を素直に好きだといえるのか、ちょっと心配になるくらい、私は変わった。だいたいクロウの映画を思い出すと、恥ずかしくて思い出したくないような青臭い記憶まで蘇ってしまう。前作の『エリザベス・タウン』を見たときは上京したての大学1年生で、とにかく調子に乗っていた。おしゃれサブカル気取りの彼女と下北沢や高円寺を歩いてすっかり悦に入っていた。『バニラ・スカイ』や『あの頃ペニー・レインと』を見た(クロウの映画に初めて出合った)ときは男子校で鬱屈した青春を送る高校1年生だった。ロッキングオンスヌーザーを読んで田中宗一郎にかぶれた音楽評を大学ノートに書き散らしてた。中二病と童貞マインドをこじらせた本当にどうしようもないやつだった。クロウの映画には美男美女がいて、洗練されたポップミュージックがあって、甘酸っぱい青春があって、人生へのポジティヴなまなざしがあって、つまり私がつかめないでいるすべてのものがあったのだ。だから強く惹かれた。しかし先ほども書いたようにこの7年間で私は変わった。知恵がついたと言い換えてもいい。映画を見ながら腕組みをして「この編集のリズムが」とか「シナリオの整合性が」とか考えるようになった私である。ちょっとセンスのいい音楽やせりふ回しくらいで、やすやすと感動はしないぞよと思っていたのだが、冒頭で「Cameron Crowe」のクレジットが出た時点で既に目頭が熱くなっているのだった。ヨンシーの音楽とかもう本当ずるくて、パブロフの犬状態で泣きました。情けなすぎる。 
 ただ私の感動は、キャメロン・クロウの映画に共通するテーマと無関係ではないとおもう。クロウの映画を見ていると、ニヒリズムや知識で武装した心が少しずつ氷解していくようなふしぎな感覚がある。子どもに戻っていくような気がするんですよね。だからどんなに時間が経っても心を揺さぶられてしまうのだとおもう。ここ数日でクロウの映画はすべて見返したが、むしろ大人になった今のほうがずっと心に響いたように感じた。
 恋人の家の前でラジカセを掲げながら一途に待ち続ける青年(『セイ・エニシング』)、これまでの実績と地位をかなぐり捨てて青臭い理想に燃えるスポーツ・エージェント(『ザ・エージェント』)、15歳のイノセントな感性のまま享楽的なロックンロールの世界に身を投じる少年ライター(『あの頃ペニー・レインと』)…多くの主人公は、大人と子どもの間で揺れ動くマージナルな存在として描かれる。彼らは物語を通して成長する一方、どこか「子ども」のままでもある。むしろ子どもらしいイノセンスを捨てずにいることに真の成熟があるのだ(そのため彼の映画に登場する子役はどれも魅力的だ)。このゆるぎない人間観にクロウの真骨頂があるのではないか。
 『幸せへのキセキ』は妻を失った悲しみにとらわれた主人公ベンジャミン(マット・デイモン)が動物園経営を通してポジティブな姿勢を取り戻していく物語だ。劇中でベンジャミンが繰り返し用いる「冒険」という言葉も、彼の心に宿った少年性の象徴といえるだろう。一方で幼い妹のために急成長することを要請された息子のディランには父親の「少年回帰」が理解できない。当然のように軋轢が生じる。父親が妹をなぐさめている様子を寝室の外から見つめながらディランが人知れず涙を流す場面は特に切ない。こうした密かな涙をこれまでどのくらい流してきたんだろう。そうおもうと胸が押しつぶされそうになる。もはやディランは「大人」になってしまっている。父親と同じく彼にとってもイノセンスへの回帰が重要な課題なっているところは興味深いとおもった。
 もうひとつキャメロン・クロウの映画に共通して描いてるテーマに「ホットな人間関係」があるとおもう。決して効率的ではないし理にもかなわない、遠回りでうっとうしくて人間くさい、だからこそ血の通った人間関係がいつだって孤独とニヒリズムに勝利する。『幸せへのキセキ』でも人々がとても不器用に遠回りしながら、おずおずと関係性を築いていく様子が語られる。そのことがうれしくて、安心して、私は泣いてしまった。キャメロン・クロウの映画があることで私の人生はたぶん少しだけよくなっているとおもう。そう思える人が私のほかにもたくさんいるなら、クロウの映画があることで世の中もよくなっているだろう。