Devil's Own

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『ネバーエンディング・ストーリー』(ウォルフガング・ペーターゼン)

"Die unendliche Geschichte(The Neverending Story)"1984/DE-US

幼少のころ、日曜洋画劇場を録画したVHSを繰り返し見ていた。夢中になったレコードを「擦り切れるまで聞く」とよく表現したりするが、『ネバーエンディング・ストーリー』のVHSは本当にテープが擦り切れてしまった。もっとも古い映像体験として私の心に刻まれた特別な一本がついにBlu-ray化された。もうあのころと同じくらいのいきおいで連日のように見ている。注目すべき点は一般公開版よりも7分長いドイツ版(エクステンデッド版)を収録したことです。長らく「幻」とされていたこのバージョンをドイツ本国以外でリリースしたのは日本が初めての快挙。さらにおなじみの日曜洋画劇場の吹き替えも初ソフト化。頭に刷り込まれたせりふの数々が再生されたときは、あまりのなつかしさに涙が出るかとおもった。
 Blu-rayは2枚組で、ドイツ版とインターナショナル版を各ディスクに収録している。特にドイツ公開版の画質、音質のクオリティは破格。バスチアンもアトレーユもロックバイターもファルコンもすぐそこにいるかのようなぴっかぴかのリストアです。もう何度も見たのに、初めて見たかのような新鮮な驚きがありました。ドイツ版は編集に細かな差異があるだけで物語じたいは変わらない。たとえば、冒頭で悪夢を見たバスチアンが目覚める場面が少し長い、バスチアンが書店に残すメモがドイツ語など。見慣れていることもあるが、インターナショナル版の方がテンポはいい印象。両バージョンでがらりと違うのはインターナショナル版にはジョルジョ・モロダーによる新たなスコアが加えられていること。象牙の塔が登場する場面でかかる荘厳で印象的な音楽はインターナショナル版にしかありません。そして、あの有名なリマールの主題歌がついていることです。これは超重要ですね。『スーパーマン』とジョン・ウィリアムズの音楽と同じくらい、この映画とリマールの主題歌は私にとって分かち難い。今回、初めて気付いたのですが、日曜洋画劇場の吹き替えはオープニング、エンディングのクレジットのほかに劇中2箇所ほどBGMをリマールの主題歌に差し替えてある。これだけ繰り返し聞かされれば、それは印象に残りますよね。確かに大人になってDVDで本作を見返したとき「あれ?ここ主題歌かかってなかったっけ?」って思った覚えある。刷り込みというのはおそろしい。

 主人公のバスチアン(バレット・オリバー)はいじめられっ子で、母親と死別した悲しみから物語の世界に閉じこもっている。どんな男に成長したのかときどき考える。正当な続編とはいえないがこの映画の3作目でバスチアンが快活な現代っ子になっていたときは、なんだか置いてきぼりにされたような気がしたものだ。私はいじめられっ子ではなかったが、この自閉的でマザコン気味の少年をとても身近に感じていたし、今でも共感してしまう。よく考えたらバスチアンは主人公なのに、劇中ほとんど本読んでるだけなんですよね。冒頭、バスチアンが書店の主人にお気に入りの本について話すシーンがある。このとき彼が挙げたタイトル(「オズの魔法使い」「ターザン」「海底2万マイル」など)を私はすっかり覚えていて、小学校に進級するとすべて読んでしまった。だから、とても影響を受けた人物ということになるかもしれない。吹き替えはソフト版、テレビ版ともに当時の洋画で数多くの男の子役を担当した浪川大輔氏が当てている。ソフト版とテレビ版で2年ほどブランクがあるので声に変化がみられるのにも注目。

 もう一人の主人公、勇者アトレイユ(ノア・ハザウェイ)。バスチアンが読み進める「はてしない物語」の中でファンタージェンを守るために旅に出る。超絶美少年です。アトレイユかわいいよ。撮影当時10歳だったノア・ハザウェイは、今はどんなイケメンに育っているんだろうと検索してみると両腕がタトゥーだらけのオラオラしたおじさんになっていてショックを受けました。2作目以降は別の俳優さんに変わっていますがこの美しさには遠く及ばず、ものすごくがっかりしたことも覚えています。愛馬アルタクスを哀しみの沼で失う場面は涙なしには見られない名演を見せます。

 岩食い男のロックバイター。登場シーンは意外に少ないのですが、絶大なインパクトです。岩でできた巨大な三輪車で移動し、岩をぼりぼりとダイナミックに食べます。でかいなりしてキュートなやつなんですよ。足の裏出してちょこんと座るところもかわいいし、「この石灰岩はおいしいから少し持って行こう。お弁当に」というところもかわいい。お弁当て。

 ロックバイターと共に登場するティーニー・ウィーニー(ディープ・ロイ)とナイト・ボブ(ティロ・プラックナー)。それぞれめっちゃ速いかたつむりとめっちゃ眠そうなこうもりを乗り物にしている。このかたつむりとこうもりもよくできててかわいいんだこれが。ディープ・ロイは『チャーリーとチョコレート工場』のウンパルンパ役で有名な小人俳優です。

 ファンタージェンが「Nothing(虚無)」の進出により崩壊の危機に瀕しているので、みんな女王様の指示を仰ごうと象牙の塔に集まっています。ここに登場するファンタージェンの住人たちもひとつひとつていねいな作りで見ていて飽きません。

 アトレイユが出会う巨大な亀モーラ。ずっとひとりぼっちなので一人称が「We(わしら)」である。画面にぬっと顔を出すときの迫力は忘れがたい。「若さアレルギー」のため、たびたびくしゃみをしてアトレイユを吹き飛ばす。「どうでもいいことさ」が口ぐせ。

 ファルコンです。犬じゃなくてラッキードラゴン。Blu-rayで見ると、身体の白いうろこがはっきりと確認でき、なるほどドラゴンなんだと感じました。東洋風の神秘的なイメージを想定していた原作者のエンデはこのデザインを気に入らなかったそうですが、いやいや、ドラゴンと聞いてこのデザインに行き着くって本当すごいとおもうんですけどね。当初はミニチュアで制作されていたそうだが、最終的には全長15メートル近くの巨大なクリーチャーとなった。アトレイユに耳の後ろをかいてもらうときに見せる豊かな表情は、操演技術の到達点ともいえる見事な出来栄え。

 虚無の使いグモルク。主に暗がりにいることもあり、VHSではほとんど闇に光る目だけが見えるという感じで怖かった。Blu-rayでようやく詳細なデザインがわかりました。ファルコンとは対照的な黒いオオカミ風のルックスです。ファルコンほどではないが、細かなギミックが効いていて表情豊か。劇中はつわもの感出しまくりでたびたび登場し、アトレイユにも大口叩きまくっているわりに、ものすごくあっけない最後を遂げるあたりが憎めないですね。
 ほかにもエンギウッグ教授夫妻とか南のお告げ所のスフィンクスとかいろいろ書きたいのですが割愛します。全編が豊かなイマジネーションにあふれていて、そのひとつひとつが私のお気に入りです。映画のビジュアルイメージやシナリオに関して、ワーナーと原作者のエンデの間にトラブルがあったのを知ったのは少し大人になってから。私も小学校高学年になって原作にあたったが、確かに映画で語られるのは原作のわずか半分に過ぎない。そしてバスチアンがファンタジーに逃避し、ファンタジーの力を借りていじめっ子たちに逆襲する映画の「オチ」は原作の精神と真っ向から反している。このシーンにエンデが激怒したという話にもなんとなく納得できる。原作が持つ(そして映画中盤までは表現されている)壮大かつ深遠なテーマやイマジネーションに対して、あの結末はあまりにお粗末なのである。それでも私は今も、この映画が好きだ。ブライアン・ジョンソンらが技術の粋を集めて作り上げた特殊効果やクリーチャーたちには、物語の欠点を補ってあまりある魅力がある。CG全盛の今だからこそ、その表現はまったく古びない。もし『ネバーエンディング・ストーリー』の企画があと5年も遅れていたら、彼らのうちいくつかはCGによって表現されていたかもしれない。5年後には『アビス』が、10年後には『ジュラシック・パーク』がやってくる。いまや『スター・ウォーズ』だって本来のかたちで見ることができないが、この作品にはアナログ特撮全盛期の輝きを目にすることができる。いとしいクリーチャーたち。みないきいきとした生命力に満ちている。私の愛する怪物たちは、いまだって変わらずここにいる。劇中で物語を蝕んでいく虚無の存在は、あまりに抽象的過ぎて当時はよくわからなかったが、ようするにファンタジーや前向きな想像力を失うニヒリズムのことだろう。28歳のいい大人がいつまでもこの映画に魅かれてしまうことに、自分でもあきれもする。しかし、私はこの映画を見るたびに、物語に胸を高鳴らせることの原点に立ち返ることができる。ニヒリズムに抗うことができる。それはまさしくエンデが原作で伝えようとしてきた精神なのだ。