Devil's Own

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『進撃の巨人』(荒木哲郎)―ジャパニーズ・カイジュウ・カルチャーの最新型

"Attack on Titan"2013/JP

 2クールにわたり放映されたアニメ『進撃の巨人』が終了した。陰惨かつ過酷な世界観、謎が謎を呼ぶストーリー展開、そして血湧き肉躍る活劇性でぐいぐいと引っ張り、半年間本当に楽しませてくれました。ちなみに連載中の諫山創氏の原作に関しては数年前に3巻まで読んでやめてしまったのですが、このアニメは日本が世界に誇れるジャパニーズ・カイジュウ・カルチャーの最新型にして金字塔だと確信しています。『パシフィック・リム』にとどめを刺され、「日本の怪獣映画は終わった」と皮肉まじりにうそぶく人たちもいますが、いやいや私にとっては『進撃の巨人』こそが見たかった世界なのだった。
 まずは巨人がちゃんと怖い。薄ら笑いを浮かべつつ緩慢な動きで人間を襲い、むさぼり食う巨人たち。ゾンビものの亜流と見る向きもあるが、もっとも近いのは『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のモンスター描写だろう。巨人同士の戦闘に転じていく後半の展開は『新世紀エヴァンゲリオン』を経由して『ウルトラマン』の残響が聞こえてくる。いずれも『進撃の巨人』が怪獣映画の正統な後継者であることの証左だ。
 巨人に食われる人間たちの恐怖表現も卓抜だ。たとえば第1話終盤、主人公のエレンが目の前で母親を食われてしまう場面。巨人の襲撃で瓦礫の下敷きになった母親が「自分を置いて逃げろ」と息子に訴える。言うことを聞かずに母親を助けようとするエレンのもとに兵士が登場。一瞬、巨人に立ち向かうかに見えたが、すぐに怯んでしまいエレンを抱きかかえて逃げる。遠くなっていくエレンの後ろ姿を見ながら、母親の口から思わず「行かないで」という言葉がもれる。この場面は本当にすごい。『進撃の巨人』では圧倒的な暴力を前に、人間の誇りや勇気が崩れさっていく瞬間が執拗に描かれる。人間がいかに脆弱で頼りない存在であるかを、ときにシリアスに、ときにコミカルに暴いていく。エレンたちは巨人を介して、世界の不条理、理不尽と対峙してもいる。だからこそこの物語には単なるフィクションを超えた迫真性がある。
 そのほか『スパイダーマン』的なアクションを可能にする「立体起動装置」というガジェット、巨人の侵入を防ぐ「壁」じたいを信仰対象とする怪しげな宗教の存在など、『進撃の巨人』はとにかくディテールが優れているんですよね。これは諫山氏の創造性のたまものだとおもう。原作漫画を読んでもらえばわかるが、まだ若く(私より1歳年下だった!)キャリアも浅い諫山氏の技術力は決して高くない。しかし、粗削りな絵には独特の魅力があるし、次々とあふれてくるアイディアを大学ノートにびっしりと書き込むような初期衝動にあふれている。作者がストーリーやキャラクターに心底ほれ込み、全身全霊で描いていることが伝わってくるのだ。だからこそ、この漫画は多くの人々の心をつかめたんだとおもう。昼休みに自由帳にオリジナル漫画を書きまくっていた全ての子どもたちの夢の結晶なのですよ。
 一方で、その豊かなイマジネーションを語りきるのに、諫山氏の技量は明らかに追いついていない面もあった。私自身、原作漫画はかなり読みづらく途中でやめてしまった。そういう人はけっこう多いのではないか。技術面を補完し、より洗練した形で原作者のイマジネーションを具現化してみせたところにこのアニメの達成がある。極端にいうとアニメというメディアを得て、初めて『進撃の巨人』は「完成」されたように感じる。なにしろ諫山氏自身が「アニメこそが自分のやりたかったこと」と公言しているし、彼の進言によって改変された箇所もあるという。改変に賛否はあるとおもいますが、私は理想的なアニメ化だとおもいますね。原作では描ききれていなかった、細かな背景、登場人物の心理、巨人との戦闘シーンも高いクオリティで再現されている。メーンライターは小林靖子。複数のキャラクターの動かし方やストーリー構成などで、戦隊ヒーローで培った手腕を存分に発揮している。第1話を見たときの「え?ええええ!こんなに面白かったっけ?」という衝撃は本当に忘れがたい。「作品の世界観には惹かれるものの、何となくノレなかった」という人にもぜひ見てほしいです。ほかにもハンジさん最高とか、ジャン成長したなあとか、個々のキャラクターに関して語りたいことはいろいろありますが、このあたりで。シーズン2は作られるのか。はたまた劇場用アニメなのか。今後の展開に興味が尽きないが、個人的には「アニメこそが決定版」とする諫山氏の意見を信じてこのまま原作を読まずに次期製作を待とうと思う。