Devil's Own

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『全裸監督』(武正晴、河合隼人、内田英治)

"The Naked Director"2019/JP

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  話題のNetflixドラマ、『全裸監督』(全8話)を見ました。「ハメ撮りの帝王」として90年代に一世を風靡したアダルトビデオ監督、村西とおるの半生を基にしたフィクションです。自他共に認めるAV好きの私ですが、残念ながらリアルタイムでの村西監督の全盛期はよく知りません。「ナイスですねえ」に代表される独特の"村西トーク"や顔射、駅弁といった現在のAVにまで連なる表現を編み出した史実を知っている程度。とはいえ、先日ここでも書いた通り、私はポルノ・AVカルチャーに対して並々ならぬ思い入れを持っています。やはりこの作品については書いておかなくてはなるまいとおもうのです。

 物語は、北海道で英会話教材のセールスマンだった村西が、「ビニ本」でポルノカルチャーと出会い、警察や業界と対立しながらも新時代のAV監督として成り上がっていくさまを、バブル時代の狂騒を背景にエネルギッシュに描いている。さすがはNetflix制作とあって、性描写や暴力表現に手抜きはなく、主人公を演じる山田孝之をはじめ、玉山鉄二満島真之介ら一線の俳優陣が、エロに情熱を傾ける若者たちをのびのびと、過激に演じている。

 特殊な業界を舞台としているが、野心と創意工夫に満ちた若者たちが、大人たちと対峙しながら、時代をサバイブしていく正統派の青春群像劇だ。劇伴音楽の雰囲気からは『ソーシャル・ネットワーク』(2010)の影響もかいまみえる。業界最大手、ヤクザ、警察とそれぞれの立場で主人公チームに立ちはだかる石橋凌國村隼(『オーディション』のコンビ!)、リリー・フランキーら「大人側」陣営も、手練れの演技力で迎え撃つ。

 わけても手ごわいラスボスに設定されているのが、業界最大手ポセイドン企画の社長・池沢(石橋)だ。ポセイドン企画(宇宙企画がモデル?)は、女優たちを契約で占有し、美少女路線で売り出しつつ、実際には搾取している。さらには自主規制団体を立ち上げて、表現を縛り、業界の支配者としても君臨する。これに対して村西は、女性のセックス解放を体現するAV女優・黒木香(森田望智)とコンビを組み、「本番あり」のドキュメント路線で挑んでいく。

 本作では、村西たちがもたらすAV業界の変革が、昭和から平成への転換期と重ねて描かれる。じっさいこの時期は、AVに限らず、映画、音楽、お笑いとあらゆる分野でフィクションからドキュメントへの移行が進んだ。「昭和の終わり」は「ファンタジーの終わり」だったのだ。

 時代の趨勢が村西の側に付いたことを「未来」を生きる私たちは知っている。本作の真骨頂は、劇中の村西たちの姿が、現代のエンターテインメント業界における『全裸監督』じたいのポジションと一致している点だろう。既得権益と自主規制ですっかり退屈になってしまったテレビ業界の枠組みから、本作は完全に解放されている。まさに村西たちと同じく業界を破壊し、新時代のスタンダードとなりうる可能性を秘めている。

 劇中、村西たちに「逆転」の契機をもたらす人物を演じているのが、現状テレビから干されているピエール瀧というのも痛快だ。偶然というにはあまりにできすぎなキャスティングのマジック。これこそ本作が時代に愛されている証左かもしれない。昭和から平成のコンテンツの変革を切り取った作品が、 令和の始まりにテレビコンテンツにとどめを刺した、と言えばうがち過ぎか。

 最後にひとつ。本作には女優への出演強要や中傷被害など現代的な問題も織り交ぜることで、村西の立場が巧妙にロンダリングされていることは指摘しておきたい。黒木香のキャラクターによって女性のセックス解放とすり替えられた感があるが、じっさいの村西は女優にとってリスクも負担も大きい「本番行為」の主流化を後押ししたのであり、女性たちを傷つけ、搾取する今日的なAV制作の構造に加担した側面はある。劇中でも、村西が「本番」をそそのかしたことが引き金となり、破滅していくAV女優(川上奈々美)のエピソードが描かれている。すでにシーズン2の制作も決まっている。この後、AVの表現がさらに過激化していくことは周知の事実だし、インターネットの台頭によりエロをとりまく環境も激変していく。女優、男優双方の労働環境や尊厳について、いまも多くの課題を抱える日本のAV業界と、作り手がどのように向き合っていくのか。作品の面白さとはべつに、注目していきたいです。