Devil's Own

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ピンク・エレファントが見えるよ−『ダンボ』


 ちびっ子がいるので最近はディズニーとジブリの映画ばかり観て暮らしている。幼少時に夢中になってみたものをひねくれきった今の感性で見返してみて色々思うところがあるが、大抵は優れたジュブナイルの真っ直ぐな姿勢に心打たれる。『となりのトトロ』なんか十年ぶりに再見して泣いてしまった*1が、心が疲弊しているということなのだろうか。
 『ダンボ』は、大まかなアウトラインと断片的ないくつかのシーン以外は殆ど記憶に残っておらずかなり新鮮な驚きを持って見ることが出来た。この作品の公開は1941年。『市民ケーン』の公開と同じ年であり、太平洋戦争開戦の年でもある。60年以上も前にこんなに豊穣で美しいアニメーションが確立されていたことに驚嘆した。テントを建てるシーンで降りしきる雨粒のするりとした質感や7頭の象で組んだ矢倉がダンボの失態で突き崩れていくシーンの躍動感にも度肝を抜かれるが、やはり特筆すべきは泥酔したダンボとティモシーが見る夢の場面だ。ピンクの象*2たちが踊り狂う極彩色でサイケデリックな映像表現はディズニー的ファンタジーというよりもサマー・オブ・ラヴなどのドラッグカルチャーのノリだ。*3

 こうした表現は、『ピノキオ』や『ファンタジア』など黎明期のディズニー映画の多くを手掛けた監督ベン・シャープスティーンの手腕に拠るところも大きいかもしれない。夢の場面でのどぎつい色の洪水と歪んだ曲線のイメージは、同じく彼の監督作である『ふしぎの国のアリス』を彷彿させる。
 しかし、ストーリーの主軸から激しく逸脱したこの愉快なシークエンス以降、『ダンボ』の物語は予定調和な構成に回収され、そのまま幕となる。カラスたちとティモシーに説得されたダンボが初めて空を飛ぶシーンはあまりに呆気なくてカタルシスが希薄だし、サーカスの人気者になったダンボとティモシーのサクセスストーリーは新聞記事によって淡々と語られる。ゆえにどうにも肩透かしな印象だ。上映時間の短さも含めた物足りなさは前作『ファンタジア』の商業的不振を受けた低予算映画であることも関係しているかもしれない。戦時下という特殊な状況に加えてアニメーター達による大規模なストライキが起こったのもこの時期であった。ディズニー・ストライキと呼ばれるこの運動は「資本主義の権化」としてのディズニーのイメージが広がり始めるきっかけともなったが、このような時代背景はサーカスの団員たちが給料の安さに不平をもらす場面にも反映されている。母親から無理矢理に引き離されるダンボと同様、この映画自体も激動の時代の中で引き裂かれそうになっていたのかもしれない。先述したダンボとティモシーのサクセスストーリーを紹介する記事の中にはダンボに似せた戦闘機集団(その名もDumbombers!!)が防衛に向かったと伝えるものがさりげなく入っている。素朴で牧歌的な物語の中、戦意高揚の意図がごく当たり前のように織り交ぜられていることに戦慄した。
 別に僕はディズニーの企業精神を批判するつもりはないし刻印された戦争の影をあげつらう気もない。そんなこと実ははどうでもよくて、小さい頃『ダンボ』を見た僕には「親との別離」の不安と滑空するダンボの楽しさだけが重要な印象だったのだから。懐古的に昔はよかったと主張したりもしない。今のディズニーも好きだよ。『カーズ』とか傑作だと思うし。

ダンボ [DVD]

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*1:あのコマに乗って飛行するシーン。メイに続くことができずに躊躇っていたさつきが思い切ってトトロの胸に飛びついた瞬間。

*2:アルコールやドラッグによる幻覚症状の婉曲表現。

*3:余談だがセカンド・サマー・オブ・ラブの代表格とも言えるバンド、ストーン・ローゼスの名曲『エレファント・ストーン』もドラッグ体験の幻覚を想起させる。英国人にとって象は幻想をかきたてる存在なのだろうか。