Devil's Own

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『3時10分、決断のとき』


 ジェームズ・マンゴールドの新作は57年の名作西部劇のリメイク。あのダンディズム溢れる主題歌がなくなったことは少しだけ寂しいが、アクションシーンの大幅追加と綿密な人物描写を積み重ねることで、『3:10 to Yuma』、というよりも西部劇というジャンルそのものを蘇生させたとすらいえる堂々の傑作となった。
 ラッセル・クロウ演じるベン・ウェイドは聖書の文言をたびたび引用しながら、人々の偽善を暴き、暴力と欲望の世界へ誘惑する。ラッセル・クロウなんて軽薄さが売りの役者だろう、くらいに思っていたが今回の悪役はナチュラルに狂っていて実におそろしい。彼をユマ行きの汽車に乗せるため護送する貧困な牧場主ダン・エヴァンスをクリスチャン・ベイルが演じているが、そのことも手伝ってか、どうしても『ダークナイト』を連想してしまった。ラッセル・クロウ演じるベン・ウェイドは知性と残虐性を併せ持つ、それこそジョーカーに勝るとも劣らない魅力的なヴィランたりえている。個人的にマンゴールドは顔の作家だ思っているが、今回もクロウとベイルの顔面クローズアップが緊密な会話劇を演出するのに効果を上げている。道中の会話を通じて、ふたりが少しずつ互いのことを理解し、奇妙な連帯感が生まれるのもおもしろい。汽車を待つホテルの一室でふたりの「対決」はピークを迎える。本気で魂をぶつけあった男同士、もはやバディも同然である。
 オリジナルではヴァン・ヘフリンとレオラ・ダナの夫婦愛に重きが置かれていたが、今回は父と息子という関係にフォーカスしていたのもよかった。主人公ダンがもっとも畏怖しているのは、金や仕事や食料の枯渇ではなく息子からの軽蔑なのだ。終盤で、ベン・ウェイドは大金をちらつかせてダンを買収しようとするが、この申し出を断固拒絶する拠りしろとして彼の父としての尊厳がある。戦争で足を失っているという設定もダンの悲哀を浮き立たせており効果的だった。こうした肉体的特徴も含めて、細部まで考え抜かれた人物描写には本当にうならされる。ウェイドが度々聖書を引用したり絵を描いたりするといった一見悪党らしからぬ言動の数々も、作劇上重要な意味もっていた。こうした細部の積み重ねによって初めてキャラクターに魂が宿り、物語が躍動するのだ。
 夫婦愛の主題をオミットすることで物語がより骨太で男臭い魅力を増したようにおもう。終盤の血肉湧き踊る展開はまるでアルドリッチかペキンパーの映画のようだ。弁当男子の僕ですら心臓がばくばくだったのだが、『許されざる者』以後にこのような大文字のウェスタンが作られたことにこそ興奮すべきかもしれない。ジェームズ・マンゴールドは、どんなジャンルの映画であってもモノにする優れた作家であることがまたも証明された。『ニューヨークの恋人』と本作、同時に作れる監督が世界に何人いるか、という話。