Devil's Own

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『バッド・ルーテナント』(ヴェルナー・ヘルツォーク)


 今年見た映画の中でも屈指のお気に入りなのだが、なかなかその魅力を言葉できなかったので、DVDで再見した機会にいくつか書いておきたい。ニコラス・ケイジ演じるテレンス・マクドノーは、表向きは優秀な警官だが重度の薬物常用者でもあり、証拠品を横領したり、高級娼婦としてはたらく愛人のフランキー(エヴァ・メンデス)の客を恐喝したりしてドラッグをかき集めている。ギャングの抗争に起因する不法移民一家の虐殺事件を捜査するようすを軸として、些細なトラブルが徐々にエスカレートしマクドノーを追い詰めていく。ヘルツォークは、宗教的な問題に切り込んだアベルフェラーラのオリジナルからタイトルだけを拝借し、チープな暴力と欲望がほとばしるジム・トンプソンばりのパルプ・ノワールへ大胆に書きかえた。ハリケーン直撃後のニューオーリンズにおける暑苦しく乾いた風景がムードを盛り上げてくれる。私にとって、アメリカンノワールの典型的な風景といえば闇夜にじっとりとした雨がふるようすよりもむしろ、燦燦と照りつける太陽と青空だったりする。興味深いのは、ワーカホリックなまでに捜査に打ち込む「警官」としての側面とドラッグや暴力に手を染める「犯罪者」としての側面がマクドノーの中でまったく矛盾なく同居しているというところである。一見して破綻して見える主人公の性格だが、法やモラルといった既存の枠組みでは説明することのできない一貫性のようなものがあり、他人には容易に揺るがすことができない。私は、テレンス・マクドノーのなかにハリー・キャラハンと似たものを感じてしまう。ニコラス・ケイジはその複雑な二面性をうまく汲み取っており、そこにドラッグをキメたハイテンションな演技があわせることで重層的なキャラクターができあがっている。エヴァ・メンデスに少年時代の思い出を語るところも唐突だが、どこか胸をうたれてしまうのだ。次第に疲弊していくマクドノーを疎外して、事件はほとんど勝手に解決し浄化されていく。まるでマクドノーが周りの罪や穢れを吸い取ってしまったようでもあり、聖と俗の隠されたテーマが見えてきそうな気もする。が、この映画の語り口はどこまでも自由かつ軽妙であり、そのへんがこの映画を魅力的なものにしているとおもう。サウンドトラックもかっこいいし、必見ですよ。

バッド・ルーテナント [DVD]

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