Devil's Own

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『ローラーガールズ・ダイアリー』(ドリュー・バリモア)

"Whip It"2009/US

 昨年公開された映画の中でも、傑作として推す人も多かった『ローラーガールズ・ダイアリー』をDVDで再見した。私も大好きな映画で、年間ベストとしても挙げていたのだけれど、公開以来見返してちょっと尋常じゃないくらいぼろ泣きしてしまいました。この映画、見れば見るほど本当によく出来てるんだよね。公開当時にはこのブログでも感想を述べたが、書き足りない部分も多いので、振り返りつつ整理しておきたいとおもいます。ネタバレ前提です。

ヘアカラーを落とすことができず、青い髪のまま美人コンテストに出場する羽目になる主人公ブリス(エレン・ペイジ)。エレン・ペイジの気まずい表情が笑いを誘うこの導入部だけで、彼女が身をおいている状況が端的に示されている。母親が推奨する50年代的な女性観に少なからず違和感を抱いてはいるが、かといってほかにしたいこともないので母親の期待する従順な娘を演じている。たとえば『ヒックとドラゴン』では、主人公の少年ヒックが、前時代的なマチズモを体現する父親への疑問と承認欲求の間で思い悩むすがたが描かれていた。その意味で、『ローラーガールズ・ダイアリー』は『ヒックとドラゴン』の少女版ということもできるし、それ以前にここで描かれる悩みは男女問わない普遍的な問題ともいえる。

俳優たちの生身のアクションで演じられるローラーゲームのシーケンスが本作最大の魅力ではある。しかし今回見返してみて、監督としてのバリモアの資質はむしろ何気ない日常を描く手つきに発揮されているのではないかと感じた。人生において真にドラマチックな瞬間というのは往々にして地味でそっけなかったりするが、味気ない日常の中で不意に光輝く一瞬がこの映画にはいくつもある。ローラーゲームに興味を抱いたブリスが、しまい込んでいたスケート靴を引っ張り出し、滑ってみる場面は本作最初のハイライトではないか。ここでは、よろよろと危なっかしい滑りから徐々にバランス感覚をつかみ、次第に笑顔がこぼれてくるブリスの様子がワンカットで収められている。この「あ、滑れた!」という確かな手応え。この短くて地味な瞬間に、どうして胸が熱くなってしまうのだろう。それまで母親に従順だった少女が初めて自分の意志で、未知の世界へ踏み出していく。危なげな足取りで進んでいく様子は、初めて自力で歩く赤ん坊のすがたを思わせもする。ドリュー・バリモアは、イニシエーションともいえる青春の一コマをローラースケートというアイテムを効果的に用いながら、見事に描破してる。

あまり言及している人がいなかったようにおもうが、父親(ダニエル・スターン)のキャラクターも興味深い。私の実家は祖母ふたり、母親、妹ふたりそして父親が暮らしている完全な女系一家なので、彼のような父親の立ち位置がよくわかる。後ろで隣の家の親子がキャッチボールをしているところにも注目してほしい。

隣人一家は、息子がふたりいて、どうやらフットボールをやっているらしい。男の子らしくすくすくと育っているわけだ。息子たちの背番号を書いたプラカードを得意げに庭に打ち立てている隣人。アメリカ人にはこういうばかばかしい風習があるのだろうか。それをブリスの父親がちょっと羨ましそうに見つめるカットもある。彼にも息子がいればキャッチボールしたり、フットボールの試合を一緒に見れたりできたかもしれない。見逃してはならないのは、父親もこの時点ではブリスに対して「女の子らしい生き方」をほとんど無自覚的に要請している点だ。「自分の子供は女の子だからフットボールなんて過激なスポーツをやらせることができない」と始めから諦めているのである。その意味で本質的には母親と同じく無理解な存在でもある。このプラカードは思わずにやりとする形で終盤に反復されている。

ひょんなことからブリスは父親がバンのなかでこっそりフットボールを見ていたことを知る。ふたりは一緒にビールを飲みながらフットボールを観戦。この場面大好き。地味ではあるが、かけがえのない瞬間を切り取った名場面ではないだろうか。ブリスが父親にある種の「弱さ」を見つける重要な箇所でもある。何か決定的な会話があるわけではないが、こういうひとときこそ人はいつまでも忘れずに覚えているのではないか。


もちろん、青春映画としてのドラマチックな描写も、みずみずしいポップミュージックを添えて随所に盛り込まれている。ローラー選手として頭角を現し始め、恋愛も絶好調のブリスの生活を描く際には、あくまでベタで甘酸っぱい青春トーンが堂々と貫かれている。女子のパーティームードあふれる食べ物合戦、文字通り息も出来ないくらい真っ直ぐな初恋を表現したプールでのキスシーン。全速力で走り抜けるような青春の眩しさと疾走感を完璧に真空パックしている。しかし、めくるめく多幸感にはほろ苦い喪失と挫折が当たり前のようについてまわる。これはごく自然なことなのだが、最近のダメな青春ドラマのほとんどが「一番美味しいところ」を描くのみで終わっているような気がする。ブリスは自由に振る舞うための責任と犠牲を余儀なくされ、「若さ」と表裏一体にある「未熟さ」が強調される。ここに青春映画としての本作の強かさと誠実さがあるのではないか。ローラーゲームのことを頭ごなし反対する両親との衝突、飲酒で補導されてしまった親友との軋轢、徐々に浅薄なプレイボーイ気質を顕わにしていく恋人への失望、そしてブリスの成功が才能や努力によるものではなく特権的な「若さ」によるものだと容赦なく暴き立てるライバル選手の辛辣な指摘。すべての問題がれっきとした「真実」としてのしかかってくる。こうしたひとつひとつの問題に向き合う主人公の様子は、切り返しによる会話劇という正攻法によって描かれている。チーム内の姉貴分的存在であり、シングルマザーでもあるマギー(クリスティン・ウィグ)がブリスを諭す展開もスムーズだし、隠れて煙草を吸っていた母親が初めて娘の前で煙草を吸い互いに本音をぶつけあうという描写も素晴らしいとおもう。それまでどちらかといえばフィジカルな映像表現が中心だっただけに、ここでの繊細な描写の巧さにも驚かされるし、再び身体的運動へと回帰するクライマックスの快楽を増幅させる。

終盤、ブリスはローラーゲームの決勝戦を諦めて美人コンテストに出場することになる。ここにきてブリスのために一大決心するのが、それまで完全に去勢されていたかにみえた父親というところがポイント。ホームページでブリスの活躍と満面の笑顔を目にして、喜びながらふと考え込む身振りだけで、彼の心の動きが饒舌に表現されている。コンテストの控え室までやってくるチームのメンバーたち。美人コンテスト出場者の清楚な面々とローラーゲーム出場者の粗野な面々が邂逅している画面がまた面白い。

劇中ほとんど初めて妻(マーシャ・ゲイ・ハーデン)に面と向かって意見を述べる父親。いやほんと、こういう父親でありたいよね。

没収されていたローラースケートを差し出され、MGMTの音楽も最高潮。この一連のシーケンスはMGMTの音楽の起伏と登場人物のエモーショナルな起伏がシンクロするように巧みに編集されている。もう私は涙でぐしゃぐしゃになってしまっているわけだが、間髪いれず生身のアクションへと回帰していくのだった。決勝戦のシーケンスでももちろん手抜きやごまかしの一切ない出色のアクションである。この試合の結果が勝利であるか敗北であるかはあまり重要ではない。どちらにせよ、既にアメリカ映画で繰り返し描かれてきた類型的な物語ではある。が、女の子の女の子による女の子のための映画として撮られたことにこの映画のかけがえのなさがあるのではないか。

ローラーガールズ・ダイアリー [DVD]

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