Devil's Own

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『DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?』(高橋栄樹)

"Documentary of AKB48(No Flower without Rain)"JP/2013

 プレス向けのメールには「ドキュメンタリー映画第3弾という表記はNG。新たな作品として紹介して」と書いてあって「UZA!!!」とおもったのですが、ここで書くぶんには問題ないでしょう。AKB48の舞台裏に迫るドキュメンタリーの第3弾です。
 AKBプロジェクトに関しては、みなさんいろいろなスタンスがあるとおもいますが、今の日本に住んでいて彼女たちを意識せずに過ごすことはかなり難しい。アンチですら、もはや現象の中に取り込まれている。私はといえば、彼女たちのニューシングルがいつ出るかとかどこでコンサートをするのかについては率直に言ってあまり興味が湧かない。けど、スキャンダラスでスリリングな共同体の動向についてはいつも興味をそそられます。要するにひどく俗物的な好奇心なんですけどね。ほんとすみません。そんな私が見た新作なので、正直前作ほどは楽しめなかったです。ただ「一見さんお断りのつくり」という意見もちらほら見かけますが、そういうことではないとおもう。私がこの映画に期待していることといえば、年ごろの美少女たちが追い詰められ、ずたぼろになっていくさまを楽しむというサディスティックな欲求なので、その意味ではじゅうぶんに楽しめました。見た直後、前作と今作は『アウトレイジ』と『アウトレイジ ビヨンド』みたいな関係かなとおもったのですが、カトキチさん(id:katokitiz)がブログでまったく同じこと書かれていて驚いた。そして今作を『アウトレイジ ビヨンド』になぞらえたときに、決定的に欠落している箇所がある。北野武がラストカットでとるある行動です。多分、そこが私がこの映画に感じた欠点だとおもう。
 戦場映画の様相を呈した前作と比べ、今作は政治劇としての側面が強い。恋愛禁止のルールや総選挙という無慈悲なシステムなど過剰なコードの中で少しずつ疲弊し、脱落していく少女たちのパワーゲームを前作同様、クールな視点で写し取っていく。総選挙前はノリノリでふざけていた光宗さん(でしたっけ?違ってたらすみません)が選挙結果に打ちのめされて卒倒とか、指原さんが移籍先のHKT48(フレッシュ感が半端なくて存在自体が残酷)と初めて顔を合わせるときの何とも気まずい雰囲気とか、何の前触れもなく解散させられるチーム4の面々とか、増田さんの謝罪あいさつに誰も興味を持っていないかのように見せる演出とか、今回も露悪的とすらいえる鬼畜編集が冴え渡る。どんどんシステムと一体化していき、ついには「総監督」というよくわからない座にまで登り詰めた高橋みなみさんもおそろしいです。一方で脱退してしまったメンバーのインタビューで「AKB以外の世界」にまで踏み込んだことも評価していいとおもう。ただ、それだけにやはり巧みに隠蔽、回避されてしまったシステム側の欺瞞が浮き彫りになってもいる。今回のテーマはセンターポジションと恋愛禁止ですが、結局その両方が想定内の結論に納まっている。恋愛がらみのスキャンダル話とかは劇中で幾度となく反復されるので、最後はさすがに苦笑してしまいました。そんな大まじめに語られても、そのルールあなたたちの世界だけだから!と。センターポジションと重圧と苦悩についても、つらつら言葉で説明されても、それあなたたちのシステムでしょ?とどうしてもおもっちゃう。前作には前田敦子さんが壁に向かってぶつぶつ歌うところとか過呼吸でダウン寸前で歌う「フライングゲット」の迫真のステージなど、システム側の論理を突き破るような圧倒的な「画」があった。それが今作にはないのでプロパガンダの域を出ていないんですよね。
 過酷な状況の中、アイドルを続ける少女たちに「なんでそこまで」という疑問は当然湧いてくる。それに対する答えが、前作における前田敦子さんの存在や被災地訪問の場面だったとおもうんです。あそこには大人が捏造した欺瞞や偽善が、本当に気高い何かに昇華する瞬間が確かに写っていた。今作ではそれが宙づりのままというか、その宙づり自体を「よし」として商品化してしまっているふしがあるので、「筋書き通り」感がいなめなかったです。誰かがシステムに銃弾を撃ち込む瞬間が訪れるかも、というのはさすがに無理な期待なのでしょうか。そして私の気に入っているHKT48兒玉遥さんは来年にはもっと画面に映っているのか。次作も楽しみです。