Devil's Own

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10月に見た映画(『クロニクル』『パッション』など)

 10月に見た映画は『ダイアナ』を除けば総じておもしろく、高水準の映画でした。『そして父になる』『凶悪』『地獄でなぜ悪い』にも大満足したが取り急ぎ洋画について書いておく。

『クロニクル』(ジョシュ・トランク

"Chronicle"2012/US

 昨年から熱烈な支持を受けていたのは知っていたが、まさか地元にまで上映拡大するとは。首都圏の皆さんが熱心に足を運んでくれたおかげです。ありがとうございました。すでに絶賛が集まった作品を、あらためてほめるのは気恥ずかしいが、実際に前評判にたがわぬ傑作だとおもった。よく練られた脚本に的確な演出力、主演のデイン・デハーンを始めキャスト陣の演技も申し分ない。超能力を身に付けた高校生たちの日常をPOV形式で描く語り口も巧みかつ新鮮。その鮮烈なデビューは、3年前の『第9地区』を思い起こさせる。ヒーローのオリジンものとしても、ティーンエイジャーを描いた青春ものとしても今後も繰り返し言及されるであろう画期的な作品です。トランク監督はこの映画の参照点としてブライアン・デ・パルマの『キャリー』『フューリー』、そして大友克洋の『AKIRA』をあげているという。いずれも超能力を題材としながら、思春期の不安定で制御不能な心理を描いた名作だ。抑圧された日常から逃げるために、超能力というファンタジーにどんどんのめり込んでいくアンドリュー(デハーン)の姿から『フューリー』のロビンや『AKIRA』の鉄雄を想起できる。くわえて、『クロニクル』が突出しているのは、もはや手法としては飽和状態とおもわれたPOV形式の語り口である。アンドリューが自分自身の挙動の一切をカメラに収めようとする「自画撮り」への執着が作劇に生かされている。アンドリューの超能力がエスカレートするのに比例して、カメラも彼の手を離れ、飛躍し、その映像は「劇的」になっていく。カメラの視線はアンドリューの自意識とシンクロするように増幅していき、やがてすべての視線を強制的に自分に集めるという、やるせないクライマックスへと突き進んでいく。もう一人の自画撮り少女、ケイシー(アシュレイ・ヒンショウ)の存在も効いている。自己を対象化し、視線をコントロールできるキャラクターと対比させることでアンドリューの歪んだ自意識がより醜く、哀しい。同時に後半ではアンドリューの暴走に巻き込まれる客観視点として機能しているのも見事だ。最後に『クロニクル』はいったい誰が編集したのかという問題がある。私はむしろその不可能性にこそ惹かれた。『クロニクル』は本来絶対に完成するはずのない、見ることのできない映像である。劇中の登場人物たちは決して『クロニクル』を見ることができない。つまり本当の意味でわかり合うことはできない。その切なさ。この世界中にごまんとあるカメラのすべてを編集し、物語化することなど不可能だ。私たちは所詮、自分のカメラ(視点)でしか物語を見ることができない。しかし、すれちがう視線の一つ一つをつなぎ合わせたとき、なんと豊かな物語が生まれることか。それは映画を見る快楽そのものでもあるのだ。

『パッション』(ブライアン・デ・パルマ

"Passion"2012/FR-DE

 一方、そんな『クロニクル』に多大な影響を与えた巨匠デ・パルマの新作はどうか。例によってブロンド(レイチェル・マクアダムス)と黒髪(ノオミ・ラパス)の美女が登場するが、今回はその対決に赤毛カロリーネ・ヘルフルト)が絡んでいく。くしくも、この映画でもまたカメラが重要な役割を占めている。嫉妬と欲望、覇権争いがうずまく女たちのパワーゲームを征する強力な武器としてカメラが利用されているが、まあそんなことはこの際どうでもいい。
 トレードマークといえる分割画面(コンテンポラリーバレエと殺人!)を皮切りに、麻薬的、魔術的な映像美が爆発。その迷いのなさ、ためらいのなさにあきれつつも、ふるえる。窃視、階段、仮面、双子…つぎつぎと噴出するデ・パルマ的意匠にピノ・ドナッジオの甘美な旋律が重なる多幸感。「嗚呼、デ・パルマの映画を見ている」とよだれをたらし、白目をむきながら、陶然とするほかない。興味のない人には何言ってるのかわからないでしょうが、われわれデパルマ・ジャンキーがここまで興奮するのにはそれなりの理由があるんですよ。「どうせ、いつものデ・パルマでしょう」って、その「いつもの」を与えられるまでにこっちは何年待たされたんだって話である。近作でもっともデパルマ成分の強い『ファム・ファタール』ですら10年以上前である。そして『ファム・ファタール』に欠けていたドナッジオの音楽が『パッション』には、ある。実に20年ぶりである。その一方、初めて組むホセ・ルイス・アルカイネの撮影もすばらしい。前半がおとなしいという意見もあるが、「前戯」があるからこその後半のエクスタシーでしょう。現実と悪夢が混濁する後半戦は高いテンションでエンドマークまで走りきる。まあ、客観的に見れば「デ・パルマ監督作としては中の下」という品田雄吉氏の評価が妥当とはおもうが、デパルマ・ジャンキーにとって今年ベストクラスの映画体験になるのは間違いない。

ペーパーボーイ 真夏の引力』(リー・ダニエルズ

"The Paperboy"2012/US

 『プレシャス』のリー・ダニエルズ監督新作。正直、『プレシャス』の印象をあまり覚えていない。こういうとき何か1行でも感想を書きとめておくべきだったと悔やむ。保安官殺しの冤罪疑惑をめぐって展開する濃密な人間関係。べっとりとまとわりつくように蒸し暑いフロリダの風土(行ったこのないけど)が、登場人物たちのぎらついた欲望とマッチしている。劇中の時代に合わせたのか、70年代の映画を思わせるざらついた質感もいい。ニコール・キッドマンマシュー・マコノヒージョン・キューザック、スコット・グレンらアクの強い俳優陣に囲まれて、ザック・エフロンの清潔感が徐々に疲弊していく。適切なキャスティングだとはおもうが、田舎町の屈折した青年役にはいまひとつ弱い気も。なにせほかの怪演が強烈すぎる。キッドマンのビッチぶりはほとんど殿堂入りだが、圧巻は粗暴な死刑囚を演じるジョン・キューザックだろう。面会室でのキッドマンと興じる長距離セックス(?)もインパクト大だが、その後のセックスシーンで見せる凶暴性は花岡じったも顔負けである。プアホワイトである死刑囚が住む「沼地」はトビー・フーパーの映画に出てきそうなまがまがしさだ。屠られるワニの異様な迫力!動物的なキャスト陣の中にあって黒人家政婦役のメイシー・グレイの美しさも忘れがたい。

『ムード・インディゴ うたかたの日々』(ミシェル・ゴンドリー

"L'Écume des jours"2012/FR

 デューク・エリントンの軽快な音楽にのせて、タイプライターが移動するふしぎな職場で働く人々が映し出される。ああ、これ見たことある!いや見たことないはずだけど、でもなんか見たことある!目の前に広がっているのは確かに、かつて読んだボリス・ヴィアンの世界そのものなのだった。ふかしぎでキュートで、アイロニカルでおそろしいヴィアンの小説世界の映像化にゴンドリーがこれほど適役だったとは。いや驚くことはない。思えば彼が手がけたビョークフー・ファイターズ、ベックのミュージッククリップが、すでにどうしようもなくヴィアン的なイマジネーションにあふれていたではないか。忠実に映像化されたカクテルピアノ、動くドアベル、暴れるネクタイ、スケート場の狂騒などを見るとあらためてヴィアンの想像力に舌を巻く。そのビジュアルのひとつひとつが新鮮で楽しいのだけど、同時に強烈な既視感も覚えるという稀有な映像体験だった。ヴィアンの小説を初めて読んだ時から、何度も何度も心の中に映した映像とほぼ同じだったから。小説の映画化は何度も見てきましたが、ここまで自分の想像したとおりの作品は初めてかもしれない。強いて言うならアリーズとニコラが黒人に設定されているという点(二人が黒人という記述はたぶん原作にはなかったとおもう)に驚きはしたが、今となっては二人は黒人でしかありえないという気すらしてくる。ゴンドリーらしい鮮やかな色彩感覚で表現された若者たちの青春は、クロエの奇病をきっかけに少しずつ彩度を落としほとんど後半はほとんどモノクロ映像になってしまう。楽しかった日々との落差をよけいに際立たせ、つらい。そうだった。『日々の泡』はとてもつらい物語だった…。わかっていたはずなのに、こうも胸が押しつぶされるとは。そんな感情の流れまで追体験させてくれる理想の映画化作品。ディレクターズカットは都市部でしか見られない(まさか『クロニクル』のように大ヒットにつき上映エリア拡大ということにはならないだろう)。ソフトに収録されるだろうから、待ち遠しいところだ。繰り返し見て、細部まで堪能したい。