Devil's Own

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『マレフィセント』(ロバート・ストロンバーグ)―英雄なんかになりたくない

Maleficent/2014/US

 ディズニーヴィランの中でも個人的に最も好きなマレフィセントが主役の映画と聞いて期待が高まった。そもそも『眠れる森の美女』じたいが謎めいた作品である。マレフィセントはなぜ城に招待されなかったのか。国王や妖精たちとは顔見知りらしく、劇中で何らかの確執をにおわせてはいるが、背景は十分に説明されないまま終わってしまう。王子がドラゴンを退治し、オーロラにキスをして目覚めさせる一連のくだりも駆け足なうえにせりふらしいせりふもなく、シナリオが洗練された現在のディズニー映画に見慣れていると、かなり面食らう。もちろんアニメ映画として傑作であることに変わりないが(くわえてBlu-rayはセル画アニメのソフトとしては最高水準の商品)。余白が多いからこそ、スピンオフ向きの作品だとおもったし、予告編を見るとアンジェリーナ・ジョリーマレフィセントエル・ファニングのオーロラもビジュアル的に申し分ない。これは傑作になる、とほとんど確信していた…していたのだが。もう私はただただ悲しいです…。以下、ネタバレフィセント。
 『キャリー』(ブライアン・デ・パルマ)のクライマックスが好きだ。学校ではいつもいじめられてばかりで特別扱いされたことなんて一度もない。家では狂信的なキリスト教原理主義者の母親と息が詰まりそうな生活を送っている…。誰からも愛されたことがなかったキャリーが一瞬だけつかみかけたささやかな青春の輝きすらも、クラスメートの心無いいたずらで無残に奪われてしまう。キャリーは封じ込めていた力を解放し、世界に復讐するのだった。
 世界は自分を見捨てた。そんなふうに感じる瞬間が誰にでもあるとおもう。何もかもうまくいかず、誰にも気持ちを理解してもらえない。自己憐憫すら通り越して、ただみじめで、やるせないだけの日があっただろう。私にはあった。だから『キャリー』のクライマックスは、すごく悲しくもあるのだけれど、同時にあの日のみじめな自分をなぐさめられているような癒やしを感じる。
別に特別鬱屈した人生を送ったとは思わないが、小さい頃から「悪者」に惹かれた。ヴィランというのも気が引けるくらい醜くて、弱いやつらが好きだ。見捨てられ、蔑まれ、誰からも愛されない孤独な魂が、復讐の刃を抜くときのカタルシスが好きだ。強くなくてもいい。ヒーローの前に無残に敗れ去ってもいい。今でも『ウルトラセブン』で一番好きな宇宙人はペガッサ星人だったりして。アメコミヒーローの映画のなかでも『バットマン・リターンズ』がいまだに最高峰だ。
最近では『アメイジングスパイダーマン2』で、エレクトロとグリーン・ゴブリンが手を取り合う場面もあまりの感動に震えた。『アナと雪の女王』における例の「Let it go」のシーンも、孤独でゆがんだ魂が解放されるエモーションにあふれているから名シーンたりえたのだとおもう。

 『マレフィセント』はどうか。まず冒頭、マレフィセントの生い立ちからすでに違和感があった。りっぱで美しいツバサを持った妖精の国の特別な存在。誰からも祝福され、愛されている最強の妖精なのだという。心の清らかなマレフィセントは人間の国の少年と心を通わせ、やがて愛し合うようになる。しかし少年の心は人間界の野望にむしばまれ、離れていき、ついには決定的な決裂を迎えるのだった…。昨年の『オズ』における西の魔女のあつかいでも同様のことをおもったのだけれど、ヴィランがダークサイドの堕ちる理由が特定の男に裏切られたという個人的な恨みではたしていいのだろうか。それなら、その人に復讐すれば、ある程度解決してしまうではないか(実際それで、解決してしまうわけだが)。私はあんなに冷酷で、傲慢で、だからこそ大好きだったマレフィセントが、そんな矮小な理由で魔女になったなんて知りたくなかった。というか、信じたくないです。これって誰からも祝福されていたビューティフルピープルが、一瞬いやな男に引っ掛かってグレたけど、結局ビューティフルピープルでしたーって話じゃないですか?そんなの、もうヴィランじゃないよ!あんまりだ!わーん!
 私の主張がいくぶん独り善がりだということもわかっている。ただ、私が気になるのは、マレフィセントを英雄化するために、別の存在を「悪」に仕立ててしまっている点だ。これね、現実の社会でもじゅうぶんありうる物語の危険性だとおもうんですよ。日本、アメリカ、中国で全く別の戦争史観があって、それぞれ多少なりとも「神話化」「物語化」しているわけでしょう。そしてたがいの戦争史観にかんしては捏造だと固く信じて疑わない。『マレフィセント』ではヴィランの視点から物語を再構成することでせっかく「悪」のあり方に想像力を働かせることができたはずなのに、結局「いいやつと悪いやつ」に単純化してしまっている。いずれにしてもあまり上品なやり方ではないとおもう。
 久しぶりのブログなのにただ悪口を言っただけになってしまったので一応フォローしておくと、アンジーのマレフィセント像じたいはよかった。製作総指揮に入っているだけあって思い入れが感じられた。特にオーロラに呪いをかける場面は本作の白眉だろう。ダーク系を基調とした照明と色彩設計は見事。城の美術もよくできているし、マレフィセントが繰り出すグリーンの魔法もうつくしい。アンジーの演技の驚異的な完コピぶりもあいまってアニメ版のほぼ忠実な再現。図抜けた完成度を誇っている。冒頭から違和感でぐらぐらになっていたが、この場面は素直に感動した。あとサム・ライリーが演じるおつきのカラス、ディアバルもよかった。アニメ版のカラスはなかなか優秀で魅力的なのだ。苛立ったマレフィセントが部下に当たり散らした後に「まったく悪の軍団の風上にも置けないよ。やっぱりあんたが頼りだ」みたいなことを言うシーンがすごく好きだったので、カラスとのつながりがていねいに描かれていたのはうれしかった。『アナと雪の女王』と本作によって「魔女との共生」というディズニー映画の新たな軌道が示されたことも大きいとはおもう。クルエラを主人公にした映画企画もあるが、はたしてどうか。