Devil's Own

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『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(本多猪四郎)

"The War of the Gargantuas"1966/JP-US

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 先日、『フランケンシュタイン対地底怪獣』の感想をアップしましたが、その後に洋泉社から「東宝フランケンシュタインの怪獣完全資料集成」という書籍が刊行されましたね。『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965)と『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966)の2部作の資料をまとめた本なのですが、これがねー、すでにAmazonにレビューが並んでいますが、ファンとしては非常に物足りない内容だったんですよ。フランケンシュタインやバラゴン、サンダ、ガイラの雄姿を大判のスチールで拝めるのはいいのですが、「完全資料集成」をうたうからにはスタッフ、キャストのインタビューやコンテ画、宣材などももれなく網羅してほしいじゃないですか。2016年刊行の「特撮秘宝 Vol.3」で出し尽くしたということなのかもしれませんが、それならあの特集をそのまま再録してくれたってよかった。昨年、同じく洋泉社から刊行された「市川崑悪魔の手毬唄』完全資料集成」が決定版といえる出来ばえだっただけに、不満が残りました。

東宝版フランケンシュタインの怪獣完全資料集成

東宝版フランケンシュタインの怪獣完全資料集成

 

 のっけから文句ばかり言い募ってしまいましたが、先日につづき、東宝特撮映画の大傑作『サンダ対ガイラ』を取り上げようとおもいます。クエンティン・タランティーノブラッド・ピットら多くの映画人がファンを公言し、最近では諫山創の漫画「進撃の巨人」に影響を与えた映画としても有名です。日本のみならず、世界のポップカルチャー史においても特別な地位を占めている作品といっていい。『フランケンシュタイン対地底怪獣』の厳密な続編ではないが、基本的な世界観を引き継ぎつつ、メッセージ性よりもエンターテインメント性に舵を切った「続編映画の王道」といえる作品になっている。東宝怪獣随一の凶暴性を誇るガイラ、サンダとガイラが繰り広げるスピーディーかつダイナミックなバトルシーン、メーサー殺獣光線車が初登場する「L作戦」の血湧き肉躍る展開など見どころが満載で、私も年に少なくとも1回はかならず見返すお気に入りの映画です。以下、便宜上『フランケンシュタイン対地底怪獣』を「前作」と表記します。

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 なにしろこの映画がすばらしいのは、開巻から景気よく怪獣が登場するところだ。ていねいな語り口で徐々にドラマを盛り上げる前作と好対照をなしている。洋上で漁船が大ダコに襲われ、すぐさまガイラが登場。危機を脱したかと思われたのも束の間、今度は大ダコを追い払ったガイラが漁船にのしかかる。前作で人間のために怪獣と戦ったフランケンシュタインが、この瞬間に敵対する存在へと反転するわけだ。前作のテレビ放映版でラストに大ダコとの格闘シーンが追加されていることを踏まえれば、その反転はより鮮明といえよう。
 場面が病室に切り替わり、生き残った乗組員の回想という形で「その後」が語られる構成もうまい。必死で泳ぐ乗組員たちにガイラが迫り、次々と殺されていく。子どものころ本作をVHSで見たとき、人間を視認し、執拗に追いかけるガイラの描写に戦慄したことを覚えている。「進撃の巨人」にもはっきりと影響を及ぼしている要素といえるのではないか。小型漁船が前に進まずに不審に思った漁民が海を見下ろすと、水の中からガイラがこちら側を見つめているというショットはガイラの「視線」の恐怖を、強烈に印象づけた。スーツアクター(ガイラ役は中島春雄)の眼光や視線の動きが見えるマスクも効果を上げている。続いて砂浜で網を引っ張る漁民たちの前に、ガイラが出現する場面の異物感にもドキリとする。

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 前作は本編と特撮シーンのシームレスな受け渡しが魅力だったが、本作では一見乱暴な合成や編集を多く取り入れ、人間の日常を侵す怪物の野蛮な暴力性を際立たせている。ガイラの空港襲撃シーンは、「特撮」と「本編」の境界が破壊され、壮絶なカタストロフがあふれだす名場面だ。前作でフランケンシュタインと戸上季子(水野久美)が演じた繊細な別れの場面と対になっているといっていい。
 ガイラが水平線からぬっと姿を現す緊迫感、悲鳴を上げて逃げ惑う人々の後ろにガイラが迫る合成シーンの豪快さ、空港の精緻なミニチュアワーク、捕まえた人間を片手でむさぼり、まるでガムか何かのように衣服を吐き捨てる酷薄な食人描写、そして日光を恐れたガイラがコンテナを蹴散らし、海へと逃げ帰る際の「走るのか!」という驚きと衝撃。すべてがパーフェクトで、見るたびにぞくぞくする。学生時代、一度だけこの映画をスクリーンで見たことがあるのですが、ビデオやDVDでくり返し見た私でも、このシークエンスには度肝を抜かれた。やはり怪獣映画は大スクリーンで見るとまったく違うんだな、と。ちなみにシナリオ決定稿では、ガイラが衣服を吐き出した後に「地面にベッタリ落ちる女事務服」というシーンの記述がある。本編に入っていれば、さらに伝説的なシーンになったとおもうのだけど

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 自衛隊とガイラの攻防戦が描かれる「L作戦」のシークエンスは第2のヤマ場だ。前作ではずいぶんと間抜けな描かれ方をしていた東宝自衛隊が名誉挽回とばかりに活躍する。「爾後の命令は移動司令部より発令する」というせりふを皮切りに、歯切れのいい命令、報告と整然とした団体行動によるガイラ殲滅作戦が展開していく。軍隊経験者でもあった本多ならではのリアリズムと、メーサー殺獣光線車をはじめとする東宝自衛隊のけれん味が結実したこの場面を、評論家の切通利作は「ドキュメンタリー・タッチの<東宝自衛隊>の、一つの達成」と評している。山林を逃げ回るガイラを、レーザー光線が追いかけ、周囲の樹木を次々と切断していく気持ちよさ。伊福部昭の勇壮なスコア。サンダの出現で作戦が中断されるまで、ほとんど勝利寸前にまでガイラを追い詰めた胸躍るシーケンスだ。

 ここまで全く説明していなかったけれど一応、この映画には主人公がいて、アメリカ人男性、日本人男性、日本人女性の研究者トリオという設定は前作を踏襲している。ただキャラクターは、一新されていて、キャストはニック・アダムスがラス・タンブリンに、高島忠夫佐原健二に変わり、水野久美はアケミという別人格になっている。劇中では、アケミがかつてフランケンシュタインを育てたことがあり、「私のアパートまで別れを告げに来た」など前作の物語をほうふつとさせるせりふもあるが、回想シーンも新たに撮影され、幼少期のフランケンシュタインも前作と異なる外見をしている。前作でみられた三者三様の思想信条や葛藤といったキャラクターの掘り下げは、本作ではあまり見られない。むしろサンダの登場以降、映画は細胞を分かつ双子のフランケンシュタインのドラマへとフォーカスしていく。

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 サンダに救出され、湖のそばにかくまってもらったガイラだったが、育ちが悪いのでサンダの目を盗んでハイキングに来た若者を食べてしまう。全員で「ふるさと」を歌いながらハイキングをする若者グループの描写には面食らうが、空港襲撃シーンでの直接的な食人描写からは一転、空になったボートという間接表現にとどめているのもメリハリがきいている。ガイラの人食をとがめ、樹木をつかんで威嚇するサンダに対し、意に介する様子もなく寝そべっているガイラのなめ腐った態度もいい。そんなわけで、2匹のフランケンシュタインは早々に決裂。ガイラが湖から走って逃げ去るすがたにそこはかとない悲哀を感じるのは私だけだろうか。

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 そして物語は、第3のヤマ場であるサンダとガイラの対決へとなだれ込んでいく。タランティーノが『キル・ビル Vol.2』で再現したことで知られる二匹のバトルシーンは、人型怪獣同士ならではの切れ味のあるアクションに加え、銀座のビル街から波止場、海へと移動していくスケールの大きさも魅力だ。建物を乱暴になぎ倒したり、タンカーをつかんで投げつけたりと、なりふり構わぬ死闘に、メーサー殺獣光線車が絡み、スリルと興奮に満ちている。

 この映画はガイラの極悪非道ぶりが注目されがちだけど、ガイラを説得しようとするサンダのやるせない表情もいい。ガイラさえ現れなければ、おとなしくしてくれていれば、サンダはこれからも静かに山の中で暮らしていたかもしれないのに…。足の負傷をかばいながら、義理もない人間を守るためにガイラと対峙するサンダ。そのすがたは英雄と呼ぶには、醜い。でも、だからこそ彼の悲壮な義俠心には、ほんものの英雄を感じずにはいられない。前作で人間(本編)側と怪獣(特撮)側のドラマの融合がひとつの完成形にまで達したが、本作では着ぐるみ怪獣たちの仮面劇が、俳優たちのドラマをしのぐまで発展している。戦争や天災を背負った「脅威」のメタファーとして生まれた怪獣たちは、フランケンシュタイン2部作で独自の人格と社会性を獲得したのだとおもう。