Devil's Own

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ポルノはポルノであるというトートロジーに基いた田中登映画の作家性・普遍性に関する考察

 先週は一応作品の上映なんかもやって、概ね好評を博す。やはり新入生は「よくわからなかった」的な意見が多く世代ギャップを感じた。その後、精神的ショックの大きい出来事があって、その衝撃を半ば引きずる形で実家長崎に帰省する。20歳年下の妹にまたも泣かれるが、今回は数時間でボール遊びを付き合うまでに打ち解ける。
 特に真新しいこともないが、とりあえず先日レジュメしていたネタの中から改めて書けるようなもので場を繋いでいこうかなと思う。
 で、今日はラピュタ阿佐ヶ谷での田中登特集の話をば。
 僕自身は日活ロマンポルノにそう明るい方でもないので、やはり6月のシネマヴェーラ特集「ロマンポルノ再入門」は死ぬほど通い詰める予定ではあるが、その前の取っ掛かりとしてはあまりに衝撃の大きすぎる作品群で、特に「発禁本「美人乱舞」より 責める!」、「人妻集団暴行致死事件」、「(秘)色情めす市場」の3本を連続で観た後は、息もつく間もなかったせいで、暫く放心状態から抜け出すことができなかったほどだ。
 

 僕が最初に触れた田中登作品は「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」で、乱歩繋がりで偶然手にしたこの映画にやられてからというもの「実録・阿部定」「夜汽車の女」などの傑作群に触れ、映像作家・田中登は僕にとって重要な存在となった。そのため絶好のタイミングで追悼特集で、この作品を観ることができて幸福な気持ちがした。*1作品自体に言及すれば、本編中には探偵役の明智小五郎すら登場せず、ラストは関東大震災デウス・エクス・マキナ的に収束をさせるという大胆すぎる演出のせいで、乱歩ファンからすれば評価が分かれる作品かもしれない。しかし、徹底的な厭世観の結果それぞれが殺人の業を背負うことになる石橋蓮司宮下順子の精神的な結びつきの構図、同じく乱歩原作の「人間椅子」を元ネタとしたマゾヒスティックな執事の設定、全編に漂う昭和の退廃的ムードの素晴らしさなどその魅力は語りつくすことができない。何よりもあのフィルムそのものから撒き散らされる凶暴性乃至は変態性の、インパクトは強烈で、その破壊力は「個性」などという生半可なレトリックを用いて表現するにはあまりに「ヘン」な類のものである。逆に言えばその「ヘン」が、この映画がどうしようもなく僕を惹きつけて止まない所以でもあり、上映終了後前方に着席していた爺さんが「ヘンな映画ぁ〜」と嘯くのを耳にしてとても痛快な気持ちがした。田中登の監督作の多くはテーマ的にもストーリー的にも至ってシリアスなもので、そういう意味では人を食ったような遊び心満載の「屋根裏の散歩者」は異端に位置するものと言えるかもしれない。とは言え、この作品で貫徹される「遊び心」というか奇想天外なストーリー展開が端的に示す、アトランダムの美意識は田中登の典型的ドラマツルギーでもある。どこかのインタビューで田中登シュールレアリストのゲームとして知られる「優美なる死体」を例に引いて、自身の演出を説明していたのを読んだことがある。要するに田中登の諸作品に散見される脈絡のないストーリー展開や演出の数々は、彼の演出法の本質的魅力に直結するもので、そうした演出によって偶発的に産出される劇的効果の素晴らしさが田中登の美学だったのかもしれない。それが「(秘)色情めす市場」におけるモノクロからカラーへの唐突な変化だとか、作品のトーンとヒロインのキャラクターが目まぐるしく移り変わる「天使のはらわた・名美」におけるストーリー展開だとかに如実に表出される。「屋根裏の散歩者」が孕んでいる「ヘン」もそういった田中登の美学に起因するものだろうから、別に「ヘンな映画」で当たり前じゃないか。原作から大きく逸脱していたとしても、原作、というよりも江戸川乱歩という作家の持つデカダンスや偏執的な空気は作品中に確かに息づいているし、江戸川乱歩の諸作品の魅力だってそういうキッチュさにあるのだ。
 ただ、ここで念を押して言っておかなくてはいけないのが、田中登の作品群が素晴らしいのは、やはりどの作品も猥雑で下劣なポルノグラフィティーであるからだ。僕は、彼の作品におけるの前衛的で奇抜な映像や演出だけを評価する気はさらさらなくて、彼の作品がエロでなかったら、やはり幾分退屈なものになっていたに違いないのである。タイトルに冠したトートロジーとはそういう意味だ。文学や音楽にしてもそうだが、映画は所詮映画で、娯楽で暇つぶしなのだ。不必要に敬虔でありがたいものにされても困る。僕は「田中登の作品はポルノにも関わらずこんなに実験的だ!」という逆説的修辞によって彼の諸作品を擁護するつもりはなく、田中登の映画の「美しさ」「面白さ」とほぼ並列的に「エロさ」も伝えなくてはならないと思っている。それは「ポルノ映画が通常の映画よりも劣っている」という一般的認識に対する僕なりのレジスタンスである。「女の子でも楽しめるポルノ映画」だとか「大人でも楽しめる特撮」だとかのコピーは一見好意的なようで実に冒涜的だとは思いませんか?ポルノは男に向けて、特撮は子どもに向けて制作されているという前提がある。その条件下で普遍性が生まれてくるから素晴らしいのだ。あ、「お洒落エロ」とかね。アホかっつう。
(秘)色情めす市場 [DVD]

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 個人的ベストが「(秘)色情めす市場」という印象は変わらないが、これは作品としてだけではなく、ポルノとしても最も魅力的だと断言できるからだ。「人妻集団暴行致死事件」も「夜汽車の女」も好きだが、詩情や美しさと猥褻さのバランス感覚において、やはりこの作品、それから「実録・阿部定」に軍配が上がる。本編中、カラーで描かれるのは濡れ場とは全く関係のないシーンであり、要するにポルノ映画にも関わらずそういうシーンがモノクロームで描かれている。だからといって作家性が先行して「ポルノ」としての機能性を失っているということは全くなく、劇中におけるあっけらかんで奔放なセックスを貪る芹明香も、だんだんと自暴自棄になりオッサンの愛人へと堕落していく宮下順子も、モノクロームにも関わらず匂いが立つほどエロいし猥褻だ。実験的手法よりも、重要なことはやはりそこなのだ。「(秘)色情めす市場」は美しく面白くそしてヌケる。それは男と女が交わる単純な構図の中に潜むエロスがフィルムにしっかり焼きついているからだ。だから、僕はこの映画を感性も性欲も旺盛な中学生に見せまくりたいのだが。

*1:まぁ比較的メジャーな作品であるから今後そんな機会は沢山あるかもしれないが。