Devil's Own

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耽美と愛憎の学園メロドラマ『おにいさまへ…』を見よ

"Dear Brother"1991-1992/JP

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©NHK・NEP・池田理代子プロ・手塚プロダクション

 最近、妹からの強いレコメンドを受けて、『おにいさまへ…』というアニメに見はまってしまった。原作は、『ベルサイユのばら』の池田理代子さんが1970年代に「週刊マーガレット」に連載した少女まんが。手塚プロダクションの製作で、1991〜92年にNHK-BSで全39話が放映された。監督は『あしたのジョー』、『エースをねらえ!』などで知られ、『ベルばら』のアニメ化も手掛けた出崎統さん。作画監督とキャラクターデザインはもちろん、出崎監督とのコンビで多くの作品を送り出した杉野昭夫さんが手掛けている。アニメ好きにとっては、知る人ぞ知る隠れた傑作らしいのだが、その方面に明るくない私は、原作も、アニメも寡聞にして知らなかった。これねえ、すっごくおもしろいんですよ。

 主人公は、平凡な(といってもそこそこ上流家庭の)女子高生、御苑生奈々子。受験期に塾講師だった大学生、辺見武彦に対して恋とも、憧れともつかない不思議な親愛の念を感じ、「お兄様になってください!」と頼み込んで以来、文通している。タイトルの「おにいさまへ」はここからきていて、アニメの語りも、奈々子が辺見に宛てた手紙という形式で展開していく。

 物語は、奈々子が親友の有倉智子と入学した青蘭学園の登校初日から始まります。青蘭には選ばれし生徒だけが入会を許された社交クラブ「ソロリティー」があり、学校運営にも絶大な力を握っている。メンバーには、豪華絢爛なパーティーや優秀な先輩たちによる勉学指導、卒業後の進路や縁談などさまざまな「特典」が用意されていて、多くの生徒の憧れの的なのだ。わけても、美貌と知性、カリスマ性を兼ね備えた会長、一の宮蕗子は「宮様」と崇拝されている。「一般層」の奈々子には関係のない世界に思われたが、なぜかメンバーに選ばれてしまったことで、他生徒の嫉妬と嫌がらせ、さらには愛憎渦巻くソロリティーメンバーの人間関係へと巻き込まれていく。

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主人公の奈々子(左)と親友の智子 ©NHK・NEP・池田理代子プロ・手塚プロダクション

 序盤から濃すぎるキャラクターが次々と登場。劇画調の止め絵を用いた「出崎演出」が続出し、羽田健太郎氏による流麗なスコアが「華麗なる人々」(第1話のサブタイトル)をこれでもかと盛り立てる。耽美に振り切った世界観とカロリー高めの語り口に、頭がくらくらしてくる。あまり集中して見ていると、どっと疲れるので注意が必要だ。小椋桂、原田真二両氏が手掛けたオープニング、エンディングの主題歌もうつくしい。

おにいさまへ…』の魅力① 濃すぎる登場人物

 本作の魅力を説明するとき、個性的な登場人物たちは外すわけにはいかない。主人公を取り巻くメインキャラクターを一人ずつ紹介していこう。

美と誇りに尽くす完璧主義者 一の宮蕗子

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©NHK・NEP・池田理代子プロ・手塚プロダクション

 ソロリティーの会長である一の宮蕗子は、「〜でしてよ」「〜でなくって?」などやんごとなき言葉づかいで振る舞う誇り高きリーダーだ。奈々子のソロリティー入会を強く推し、学園に混乱を招いた張本人だが、そこには意外な、しかし切実な理由が隠されていた。完璧主義者で、成績不振の1年生会員に「自主退会」を迫るなど冷徹な面を見せたことから、奈々子は不信感を抱く。反発はしだいに周囲にも広がっていき、終盤は孤立していく。

耽美と退廃の麗人 朝霞レイ

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©NHK・NEP・池田理代子プロ・手塚プロダクション

 一見、男に見間違えられる男装の麗人。薔薇をくわえながら優雅にピアノを弾いたかとおもえば、バスケットでも卓抜した才覚を発揮し、女生徒たちには「サン・ジュストさま」と持てはやされる。未成年なのにタバコをたしなみ、正体不明の錠剤を持ち歩いて服用している破滅型ジャンキー。蕗子とは実は異母姉妹で、姉である蕗子を崇拝。だが当の蕗子はレイに冷たく当たり、その愛憎入り混じる関係が彼女をますますデカダンな生き方へと駆り立てていく。

いのちを燃やす華麗なアスリート 折原薫

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©NHK・NEP・池田理代子プロ・手塚プロダクション

 レイの親友で、バスケットが得意なスポーツウーマン。男勝りな性格でレイと並んで女性ファンが多く、「薫の君」と持てはやされている。病気で休学していたため、1学年下の奈々子と同じクラスにいる。生徒を選別し、特権化するソロリティー制度に強い不信感を持っていて、終盤はソロリティー廃止運動の先頭に立つ。強烈なキャラクターぞろいの本作にあっていちばんの常識人で、頼り甲斐もあり、見ている側も薫が出てくると安心感がある…のだが、終盤は胸の奥底に深い悲しみと死への恐怖を抱えていることがあきらかに。

愛を求め、愛に生きる黒髪の乙女 信夫マリ子

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©NHK・NEP・池田理代子プロ・手塚プロダクション

 奈々子と同じクラスからソロリティーに選ばれた1年生。学園に多額の寄付金をしているため周囲から一目置かれているが、裏では「ポルノ作家の娘」と蔑まれている。父は仕事と愛人を理由にほとんど家には帰らず、大きな屋敷に母と二人で暮らす。奈々子に異常な執着心を見せ、智子との仲を引き裂こうとする典型的な愛着障害

 物語は、主にこれらの登場人物と奈々子とが織りなす、時には同性愛的な友情と衝突を描いていくわけだが、正直読んでいて「すでにお腹いっぱいだな…」って思ってませんか。でもこの作品が描こうとするのは、濃すぎる登場人物や絢爛華麗な世界観とはむしろ正反対の、普遍的で地に足の着いたメッセージだったりするのです。

 

おにいさまへ…』の魅力② 思春期の葛藤と成長を描く普遍的ドラマ

 紹介してきたように『おにいさまへ…』の登場人物は、どれも極端なキャラ付けされ、いかにも「少女漫画的」なキャラクターのパロディーにも見える。だが物語が進むにつれ、彼女たちが抱えるコンプレックスや苦悩が明かされ、キャラクターの根幹をなしていることがわかってくる。多くが理想を追い求め、理想通りにいかない現実にもがきながらも、やがては自分を、家族を、友達を、許し、受け入れていく。その葛藤と相克こそが本作のテーマといっていいだろう。だから、一見して現実離れした登場人物であっても、最終的にはすっかり感情移入し、その成長に涙してしまうのだ。

 たとえば、信夫マリ子はどうだろう。シリーズ序盤は、病的なまでに奈々子に執着するヤンデレだが、孤独を分かち合い、奈々子や智子と真の友情を結んでからは、ストレートな性格がむしろポジティブなものとして受け止められていく。さらに中盤以降では、彼女のパーソナリティに深い影響を及ぼす父との関係も描かれる。

私はね、マリ子。お前の目から見れば、きっとどうにも許せない人間だ。

きっと私を知っている誰もが、私をくだらないやつだと言うだろう。

でもね、そんな私でもほんの少しでもいいところがあると自分では思っている。

誰にも見えないが、私だけが知っているいいところが、少しはあると思っている。

私はそれを大事にしている。ひそやかだが愛してさえいる。

それがないと生きられないからだよ。いや、それさえあれば、どんなことがあっても生きられると思うからだよ。

自分を愛さなくて、誰が君を愛することがある。

         ―檜川信夫第28話「クリスマスキャンドル」より)

         ©NHK・NEP・池田理代子プロ・手塚プロダクション

  第28話「クリスマスキャンドル」で、マリ子の父、檜川が娘に語り掛ける言葉は、本作全体のテーマを言い表すほどの名台詞だ。これまで顔すらもろくに画面に映らず、ひたすら感情移入しづらい人物として扱われていた男の口から、感動的な言葉が引き出すことで、見る者の意表を突き、驚くべき効果を上げている。大人の不完全さを許し、受け入れることで、マリ子は自分自身も許し、愛せる人間へと成長していく。不完全さを許し、きびしい理想から解放されることで、本当の意味での自尊心を獲得するプロセスは、ほかの登場人物でも繰り返し変奏される。

奈々子だって、鍵のひとつやふたつ、実はもう持っているんじゃないのかね。

そんなことは分かった上で、人は愛しあったり、信じあったりするんじゃないのかな。

              ―奈々子の父(第37話「回転木馬」より)

         ©NHK・NEP・池田理代子プロ・手塚プロダクション

 マリ子の父に限らず、作り手はむしろ周辺に位置する「大人」にこそ重要なメッセージを託しているように見える。最終話近くで、奈々子の父が語る台詞も、テーマにかかわるせりふだ。主人公の奈々子にも実は複雑な家庭の事情があるのだが、マリ子の成長に立ち会ったことで、すんなりと受け入れるようになっている。

 

おにいさまへ…』の魅力③ 「モブキャラ」がいない重層的な作品世界

 このように本作は、一見浮世離れした舞台設定やキャラクターを用いつつ、実は普遍的な少女たちの成長譚を描いている。電車とバスを乗り継ぐディテールに富んだ通学描写や、奈々子と智子とナチュラルな日常会話もリアリティーを生んでいる。

 しかし私が度肝を抜かれたのは、キャラクターに対する深い理解と洞察が、ささいな登場人物に至るまで、すみずみに行き届いている点でした。通常ならおろそかになりがちな「モブキャラ」にも多角的なエピソードを盛り込み、作品世界をさらに奥深いものにしているのです。

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©NHK・NEP・池田理代子プロ・手塚プロダクション

 たとえば、奈々子に嫉妬し、陰湿な嫌がらせを繰り返す三咲綾、園部みゆき、古田めぐみの3人組。序盤は奈々子の体操服を隠したり、授業中に嫌味を言ったりして、絵に描いたようなヒールぶりを発揮。中盤には、まり子の家庭問題を暴露して、トラブルの引き金となる。通常なら、憎まれ役に徹し、主人公たちを引き立てて退場してもいいものだが、物語は意外にも「主人公になれなかった」彼女たちの苦悩へとフォーカスしていくのだ。三咲とマリ子との確執も明らかになり、序盤では想像もしなかったエモーショナルな結末を迎える。

 このほか、1話限りのゲストキャラクターと思われた人物が意外な形で物語に絡んできたり、「宮様」の取り巻きでしかなかったソロリティー幹部たちがスリリングな政治劇を演じたりと主要人物以外でも、重層的な人間ドラマが展開する。「主人公の物語」に奉仕するだけの書き割り的なキャラクターは、ほとんど登場しない。それぞれの背景や行動原理を描きこむことで、主人公に多角的な視点を与え、「不完全さを許す」という作品のテーマをより強固にしている。

 

まとめ 理想と現実のはざまで

 たえず理想を追い求め、きびしく自らを高める生き方にもまた、敬意が払われてる。作中で最も「理想」にとらわれたキャラクターは「宮様」=一の宮蕗子だろう。完璧主義者ゆえに孤立し、すべてを失ったかに見えた彼女が、誰のためでもなく、自らを鼓舞するためのスピーチを披露する場面は圧巻だ。

誇りは持とうと思わない限り持てません

しかしながら私は、その私が誇りを持てるだけの者かどうかは、いつも疑っています。

迷っています。

時には…時には捨ててしまいたいと思うときさえあります。

でも、持とうと思わない限り、持てないことを、私は知っています。

        ―一の宮蕗子(第32話「誇り、ラストミーティング」)

          ©NHK・NEP・池田理代子プロ・手塚プロダクション

 蕗子は、幼いころの「夏の日」に執着し、思い出が詰まった部屋をそのまま保管している。「きみを夏の日にたとえよう」で始まるシェイクスピアソネット18章が効果的に引用され、神格化された記憶を表現する。奈々子をソロリティーに引き入れたのも、自らの完璧な思い出を侵させないためだった。そんな蕗子も最終話には、ほとんど呪いですらあった思い出から解放される。

 それぞれが自らの理想と現実に折り合いをつけ、ほんの少しのさみしさを抱えながら、前に進もうとするとき、全編を通して描いてきた人間賛歌が浮かび上がる。 人生も、人間も、完璧ではない。それでもうつくしく、愛する価値がある。