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同時代人としての新たなギャツビー像―村上春樹訳「グレート・ギャツビー」レヴュー

グレート・ギャツビー」というフィッツジェラルドの名作があるが、この作品に心惹かれてやまない作家の一人である村上春樹の新訳がリリースされた。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

詩的で美しい、村上春樹的な訳だった。孤独と希望、そして悲しみが交差するラストの素晴らしさは筆舌尽くしがたい。まぁこれは原作における白眉でもあるので至極当然のことではあるが。
村上春樹自身も、あとがきで原作への思い入れについて熱烈な調子で語っているし、実際和訳の随所に彼のオリジンへの深い愛情を感じ取ることが出来る。
と、偉そうなことを言いつつ僕が読んだことがあるのは新潮社から刊行されている野崎孝の訳だけだったりするのだが・・。
グレート・ギャツビー (新潮文庫)

グレート・ギャツビー (新潮文庫)

僕は野崎訳を読んだときも、「グレート・ギャツビー」は素晴らしい作品だと思ったが、今回新訳を読んでみて作品に対する印象はかなり変わった。
作品、というより作中の登場人物ジェイ・ギャツビーの印象といった方が正確かも知れない。
僕が作品中のギャツビーという人物に対して持っているイメージは紳士的ではあるがどこか作りもの臭く、言ってしまえば現実味に欠ける人物だった。
だが、本来ジェイ・ギャツビーという人間は野心に燃えるジェームズ・ギャッツという名の一文無しの青年が、自らの理想をストイックに追求することによって生まれたキャラクターのようなものだ。そのためにギャツビー特有の「作り物臭さ」という要素はある意味で、彼の本質でもあるし、その現実感のないとっつきにくさが、ギャツビーにミステリアスな魅力を与えるこのに大きく貢献してもいる。
ただ、その「作り物臭さ」がフィクションとしてのギャツビーのリアリティーにどう折り合いを付けていくかは、殆ど訳者の手腕に依存することになる。元々「作り物臭い」キャラクターであるが故に、野崎訳のギャツビーは、やはり現実味溢れる人間だとは言いがたかったと思う。
その点で、村上春樹はペルソナを演じることでしか生きていくことの出来ないギャツビーという悲しくも魅力的な人物像に息を吹き込むことに成功している。村上春樹自身もあとがきで言及しているが、登場人物が読者にとって親しい存在として「同じ空気で呼吸している同時代人」として描くことに訳者は意識的だったようだ。なにしろ時代設定は80年も昔である。世代も大きく異なる異国の若者達が、ここまで生き生きと現実味を帯びて描き出されているのだから、訳者の尽力は相当のものだったに違いない。
村上春樹訳のギャツビーのリアリティーを見る上で最も特筆すべき点は、ギャツビーの口癖である「old sport」の訳だろう。「old sport」いわば「my friend」的なニュアンスを持つ独特の言い回しらしいのだが、村上訳では忠実に「オールド・スポート」とカタカナで訳出されている。村上はこのように直訳することが苦肉の策であったと説明しているが、野崎訳ではその大半が、全くなかったものとしてオミットされていたり、「親友」というちょっと不自然な訳出をされていたりして、一貫性はない。僕自身、ギャツビーに「old sport」という口癖があることなんて全く知らなかった。
これは大きな違いである。

「あのね親友。あなたはいったいぼくをどう思います?」(野崎訳)

「ところでねオールド・スポート」彼はだしぬけに切り出した。「私のことをどう思っているか聞かせてもらえないかな」(村上訳)

まるで別人だ。まぁ「オールド・スポート」という表現を抜きにしても野崎訳のギャツビーはいささか紳士的過ぎる傾向があるのだが、それにしても村上訳のギャツビーは、「オールド・スポート」という奇妙な口癖を繰り返すことによって独特な毒素を含むようになり、結果非常にケレン味溢れる人間像として描くことに成功している。

それから村上春樹が全訳において最も心を砕いたとされる冒頭部分と結末部分もかなり印象が違った。特に結末部の訳出は、フィッツジェラルドの原文が持つ独特のリズム感を、日本語的に再構築することで非常に詩情溢れる文章になっている。この辺は、もう「作家」としての村上春樹の仕事だなと感じた。
ラストの一人称複数は「僕ら」ではなく「我々」となっている。恐らくここをどう訳すかについては、かなりの試行錯誤があったのではないだろうか。「我々」と訳出することで、語り手であるニックが、「あの夏の日」よりも少しだけ大人になったことが伺える。どちらの訳がよかったかは、僕自身わからないが、それにしても結末部におけるシークエンスは息も詰まる美しさだと感じた。

そういえば、光文社の古典新訳文庫の11月のラインナップにも「グレート・ギャツビー」が入っていたが、あれはどうなったんだろう。何事もなかったかのようになくなっていたが。。

あ、全然関係ないんやけど、

後輩が自身のブログに貼っていた素人作成によるコーネリアス「Gum」のヴィデオ。これは素晴らしいですねー。