Devil's Own

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ハロー、マーロウ―清水俊二の訳出は今もって新鮮

 チャンドラーのフィリップ・マーロウシリーズを今更読み返している。「長いお別れ」を初めて読んだのが確か中2のときで、当時から翻訳物はあまり頭に入らないために敬遠していたのだが、夢中になってシリーズをディグしていく気になったのは、清水氏の訳のお陰だと思う。多分初めて触れた訳が最近出た村上春樹のものだったら僕はそれ以降チャンドラーを読まなくなっただろう。春樹版マーロウは自意識が強すぎる。シリーズものは大体1作目のクオリティーに連なる作品がついていけずに、作を重ねるごとに悪くなっていくものだが、マーロウものはそういったこともなく一作一作が実に魅力的だったのも、このシリーズにのめり込んだ一因だと思う。シリーズ化している海外ミステリだと、他にはジェフリー・ディーヴァーによるリンカーン・ライムシリーズも結構ハマったが、やはり1作目の「ボーン・コレクター」と次作の「コフィン・ダンサー」が出色の出来であると思う。
 当時読んだときは、気がつかなかった魅力があってとても面白い。第一ミステリー小説なのに犯人や動機などは殆ど覚えていなくて、キャラクターの細かい心理描写とか言動ばかりが印象に残っているから、やはり異質だ。中学生のときはマーロウはただのダメ男だと思っていたし(実際ダメな奴なんだけれど)、物語のアウトラインもダメ男マーロウがなぜか面倒な事件に巻き込まれるパターンだなとなんとなく理解していたが、再読するとマーロウは割と積極的に面倒ごとに首を突っ込んでいるのがわかる。マーロウがどうしてテリー・レノックスや大鹿マロイのために面倒ごとを背負い込むのかも今はなんとなくわかる。マーロウは、アントワーヌ・ドワネルのような男なのだ。
 しっかりと読んだわけでもないが春樹版のマーロウには、道化っぽさが希薄な印象を持った。村上春樹の「ロング・グッドバイ」にしっくり来なかった方々はやはり清水俊二を読むべきだと思う。「ライ麦」か「ギャツビー」かどちらだったか忘れたが、村上氏があとがきで「翻訳には賞味期限がある」というようなことを述べていて、僕はその意見には半分賛成で半分反対といった感じだ。第一清水氏の訳は未だ古びていないと思うし、硬質で瑞々しい。強いて言うならキスを接吻と訳しているところに多少の古めかしさがあるかなという程度だろうか。
 当時はあまり気に入らなかったが、今読み返すと意外と面白かったのが「湖中の女」。清水氏によるあとがきで、戦時下のネガティブなムードがこの作品に影を落としていたことを知り納得した。
ロング・グッドバイ

ロング・グッドバイ