Devil's Own

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『スペル』


 サム・ライミ久々のホラー映画。すぐれたホラー映画を見ているときになぜだか笑いが洩れてしまうという経験は多くの人が持っているとおもう。ホラーをホラーたらしめている「こわい」という感覚についてストイックに突き詰めていく黒沢清のような作家もいるが、恐怖と笑いとがほとんど近似値であるという実感は漠然と共有されてはいる。こうした恐怖と笑いのふしぎな漸近線の極北にライミの鮮烈なデビュー作『死霊のはらわた』があったのではないだろうか。『スペル』は、いくつかの商業映画を手がけることによって体得した知性や運動神経を、自らのオリジンに落とし込んだいわば原点回帰作品である。冒頭にデビュー当時のユニバーサルピクチュアのロゴマーク*1を使用しているのも、彼なりのステートメントであろう。実際、この映画に目新しい要素は皆無といっていい。威勢のいい人体破壊こそ抑えられているものの、どろどろとした液体表現、不吉の前兆としての蝿の存在、ケレン味溢れる墓地のセット、そこに降り注ぐ豪雨など、デビュー作以降連綿と紡がれてきたライミ的記号が随所に散見される。あからさまなショッカー効果、風や影による不吉さの表現などはライミの作品に限らず既に幾多のホラー映画で使い古された手法である。しかし、氾濫するステレオタイプにもかかわらず物語は常に推進しており、一瞬たりとも目が離せない。いびつな野心と愛情こそが何よりも映画をドライヴさせていた『死霊のはらわた』と違い、『スペル』は明らかに熟練された演出テクニックに裏打ちされている。ほとんどスラップスティックなアクション場面には勿論瞠目するが、対照的にフィックスと切り返しで手堅くまとめた日常のシーケンスも油断できない。あれ?なんでこんなの紛れ込んでるのかなと引っかかるようなショットも後で必ず活きてくる。一方で、カーテンやドアなどの遮蔽物を使用した「幽霊っぽい」魔物の表現など、Jホラーへの目配せも忘れない。ここには清水崇と仕事した経験も関係しているのかもしれない。ジャンル映画への溢れんばかりの愛情とごつごつとした初期衝動が確かな演出力の上で結実した総決算ともいえる作品だ。それにしても、インディペンデント映画青年からハリウッドのメジャー監督に成り上がってもなお、血液や汚物をどばどばと噴出させる映画を作りつづけているのは何だかとんでもない。『スパイダーマン』シリーズの続投も決まっているようだが、この人は定期的にこういう映画を作らないと均衡を保てないのかもしれない。

*1:イーストウッドチェンジリング』よりもすこし新しいバージョン。