Devil's Own

cinema, music, book, trash and so on...

ファックオフ!ノスタルジック69−『GSワンダーランド』


 さてと。今更ではあるが、この世で1番美しい女性が栗山千明であることに異論を挟む余地はないだろう。この場でも繰り返し述べてきたことである。そういえば魔法の鏡もそう言っていた。世界中の女性の顔を集めて、その平均値をとると*1、最も美しい顔になるという話を聞いたことがある。まぁ、十中八九栗山千明の顔になるだろうから、その実験は徒労だろう。
 同級生の股間にナイフを突き立てたり、鎖鎌振り回した挙句目から血を流して死んだりと、一時期は他の追随を許さない危ない美しさを放っていた彼女だが、某芸能事務所との仕事が増えてからはそうしたゴス要素を少しずつ削ぎ落していき、今や見事に没個性的な「人気女優」となってしまった。彼女の中に森野夜を幻視していた僕としては、その仕事は園子温『エクステ』(2007)で終わってしまっている。*2「あー、また始まったよダイシックスの過剰で気持ち悪い愛情吐露、及びそれ故の現実逃避」と思うなかれ、いや、否定はしないけれど。とにかく久しぶりの栗山千明である。
 可愛い。これは栗山千明の独壇場アイドル映画だと言えるだろう。ゴスでサイコな栗山千明を見ることは出来ないが、久しぶりに映画女優として輝く彼女を見ることは出来る。本田隆一はセクシー系Vシネを中心に活躍していた監督だそうだが、女の子の撮り方がわかってる。栗山千明マナカナ、その他と言って差し支えない。マナカナは、GSバンドを追いかけるグルーピー二人組を無邪気に演じていてなかなかハマっている。これは良いステレオタイプ。どうでもいいけど、よく似た女の子二人組というグルーピーのステレオタイプはいつから出来たのだろうか。
 とはいえ、映画としては、残念ながら駄作といわざるをえない。岸部一徳大杉漣杉本哲太武田真治温水洋一、などベテラン勢が脇を固めるがどいつもこいつも完全にテレビ仕様の大芝居をかましてしまっている。脱力したボケに別の人間が小声でツッコミというコントめいた会話は楽しいが、ほとんど深夜ドラマのノリだ。舞台はあの狂騒の69年、なのに登場人物のノリはどこまでも「今日的」であることが決定的な違和感を残してしまっている。だって「あの」69年だぜ?もっと、やばいパッションやエネルギーが漲っているはずじゃないか。どいつもこいつもすっかり脱力、というか去勢しちゃって、セックスレスでお上品なムード全開である。これはいただけない。予算の都合だとは思うが、映画の中の風景もとてもじゃないけど69年に見えない。監督は70年代の日本映画を繰り返し見て、しっかりロケハンをして撮影に臨むべきだった。当時の風景があんなに整然としているわけがない。
 このフェイク感。完全な「ごっこ遊び」である。でも、それはそれでかまわないのかもしれない。なぜなら、この「ごっこ遊び」の薄ら寒さや軽さこそがGSブームの本質でもあったからだ。レコード会社に言われるままバンドを組まされ、奇妙な衣装を着せられ、演奏するザ・タイツメンの4人には明確な意志も希望もない。ただなんとなく時代の流れに乗って、無我夢中で歌って踊って、気がつけばなにも残っていない。サウンドやファッションはビートルズをパクり、しかしメロディーセンスからは甘ったるい歌謡曲が抜けきれない、そんな「借り物」のカルチャーがGSブームだった。
 一過性のカルチャーだからこそはかない。流行の狂騒と軽薄さ、それに振り回される若者の哀切と滑稽味を、フェティシズムに走ることなくきっちりと描ききれば、この映画は傑作になったかもしれない。しかし、残念ながらこの映画も完全にノスタルジアの罠に引っかかってしまっている。成功への階段を昇りかけたザ・タイツメンだが、メンバーである栗山千明が女性であることが露呈することで挫折する。その後、ある種の自己実現を経て物語が決着を見るという、青春映画の王道を踏襲してはいる。「挫折」のプロセスにおいて、サビ前で演奏をやめざるをえなくなるというもどかしさ、そしてクライマックスではフルコーラス歌い切ることの出来る喜びが、そのままドラマのカタルシスへとつながっているという構成もうまいとは思う。ただ、栗山千明が自らの性別をカミングアウトする場面でのグダグダした愁嘆場は長すぎるし、それは許すとしても、クライマックスの日劇での「解散ライヴ」における予定調和な結末はどうにかならなかったのか。この「解散ライヴ」は、自分達の挫折の原因にもなったライバル、ザ・ナックルズから半ば強制的に出番を奪う形で実現する。正直、やってることが結局ザ・ナックルズと変わらない。例えば、リンクレイターの『スクール・オブ・ロック』で同じような状況があるが、バンドの復活は物語上必然的なものとしてきっちりと演出されていた。最初は呆然としていた観客が、結局一緒にシンガロングして拍手喝采という結末にしても同様で、やはりザ・タイツメンは最後に観客に罵声を浴びせられモノを投げつけられるべきだった。自分がやりたいことをやろうとして、それでも残酷な時代の流れに呑み込まれてしまった若者達の実存として、観客に罵られ虐げられながらも声を涸らして歌い続けるべきだったのだ。そうすれば、この映画は陳腐な懐古趣味に回収されない力強い青春映画となったに違いない。というわけで、ひとまずはこの映画の魅力を栗山千明のキュートさに落ち着けてしまうことになるだろう。ザ・タイツメンのデビュー曲であり、映画のメインテーマである「海岸線のホテル」を筆頭に、挿入歌の数々がいちいち素敵なので、歌謡映画として本作を擁護したい気持ちもある。筒美京平と橋本淳最強タッグが書き下ろした楽曲群は、当時のグループサウンズのチープでスウィートな質感を見事再現している。ザ・タイツメンの楽曲は勿論、奥村チヨばりのセクシーな熱唱を見せる栗山千明のソロ楽曲や、恐らくキングトーンズをモデルにしたと思しき温水洋一率いるザ・フレッシュフォーが歌うエンディングテーマ「あなたのフリをして」なども印象深く、製作者の意気込みを感じる。ただ、それもやはり観客の懐古趣味やフェティシズムに訴えかけたものであり、映画としてあまり上品な手法とは言えないだろう。
 全然関係ないが、そういえば、ロード・オブ・メジャーという死ぬほど胸糞悪いグループがいた。あいつらや青春パンクブームが映画の題材になることもあるのかしら。ファック。でも、僕は彼らを罵りながら、ギターを握ろうともしなかったよ。そんな僕にとって、酔っ払った武田真治が呟く科白はなかなか刺さるものがあった。どんな科白かは、まぁ自分で確かめてください。

*1:どうやるのかは謎だ。

*2:スカイ・クロラ』とかはさすがにな。メタミステリーの傑作『GOTH』もついに映画化する。森野夜は栗山千明以外考えられないから勿論見ない。