Devil's Own

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『ステイ・フレンズ』(ウィル・グラック)

"Friends with Benefits"2011/US

 片道2時間かけて一人いそいそとハリウッドラブコメを見に行き、ハンカチをぐしょぐしょにしながら劇場を出て行く26歳メガネ男子が私である。軽妙な会話とポップミュージック、多幸感あふれるダンスとキス。それ以外は何も要らないという気にさせてくれる。加えてこの映画はニューヨークとロサンゼルスの両方を満喫することができる。完璧ですよ。私はこの手のアメリカ製ラブコメが大好きだがあまり感想を書かない。なにしろプロットは決まりきっているのだ。決まりきったプロットの中に散りばめられたジョークや小道具を効果的に用いて、いかにクールに、いかにキュートに、いかにロマンチックにハッピーエンドへ収束させていくかが生命線だ。ただ出来のいいラブコメを見るといちいちそんなことを説明するのがどうでもよくなってしまうのだな。
 『ステイ・フレンズ』はラブコメ映画を定石を抑えつつ明らかに映画史的な自己言及がなされている。冒頭、携帯電話で会話する二人の執拗なクロスカッティングは気の利いたオチも含めてハワード・ホークススクリューボールコメディを意識している。じっさい監督自身、主役二人の躁病的な会話劇にはスペンサー・トレイシーキャサリン・ヘプバーンのコメディ映画を雛形にしたと語っている…のだが、こうした映画史的な解説など正直どうでもいい。キャサリン・ハイグルアダム・サンドラーのラブコメには見向きもしなかったくせに『ステイ・フレンズ』!とかいきなり言い出すシネフィルはまじで信用なりませんからね。『ステイ・フレンズ』は劇中に登場する架空のラブコメ映画が象徴するようにジャンルそのものへの目配せをしつつも、最終的にはジャンルの王道へ帰結させている。アメコミ映画における『キック・アス』のように映画自体がすぐれたジャンル賛歌になっているのだった。ジェイソン・シーゲルラシダ・ジョーンズが演じる架空のラブコメ映画を見ながら、主人公のジャスティン・ティンバーレイクミラ・クニスが諦念にも似た互いの恋愛観について口にする。この時点で二人は自分たちが「ラブコメ映画」の主人公であることに気がついていない。『ステイ・フレンズ』は恋愛に対してもセックスに対してもドライな価値観を表明しながら、心の中では劇的な「ラブコメ展開」を求める男女の物語である。この映画を見に来ている観客はだいたいそういう人間なのだからまっとうなキャラクター設定ではある。主役二人が「観客側」から「主人公側」へといかにして逸脱していくかが物語の見所だ。ラブコメ映画を見て互いのドライな恋愛観を確認しあった二人は割り切ったセックスフレンドとしての付き合いをスタートさせる。有能な美男美女がセックスフレンドから恋人に至るまでのストーリーなんて割りとどうでもいい感じがするが、主役二人の掛け合いがあまりにうまくて引き込まれる。あれこれと指示を出し合いながらスポーツ的なセックスに興じる描写も楽しいし、後半のぬくもりのあるベッドシーンとの対比が際立つ。ティンバーレイクとクニスが公園へナンパをしに行く場面はどうだろう。初めて淡い恋心を自覚しながらもその視線がぶつかり合うことはない。このもどかしさ。このあたりから『ステイ・フレンズ』はいよいよオーソドックスなラブコメの軌道に乗り始めるが、あくまで「観客側」に軸足を置いた描写が続く。いったいどうなるのー?いやわかってるんだけど、でもどうなるのー?
 アルツハイマーを患ったティンバーレイクの父親が恋愛における挫折と後悔を口にする場面が特にすばらしい。ラブコメ映画において主人公の背中を押すキャラクターは主人公と同じくらい重要だが、この場面はティンバーレイク個人の成長も伴っているところが絶妙だ。ズボンを脱ぐところで私は泣いてしまいましたね。描き方によってはメロドラマにもなるがやはり軽快に撮られているのも好感が持てる。この先からはたずなを緩めずラストまで全速力だ。キスの前のダンスもラブコメの鉄則だがしっかりと物語上の必然性が用意されている。ここでも私はぼろぼろ泣いてました。うまい。うますぎる。ウィル・グラックの映画は初めて見たがこんなにうまい人がいたのか。エマ・ストーン主演の前作『Easy A』もぜひ見てみたいと思った。