Devil's Own

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『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』(ルパート・ワイアット)

"Rise of the Planet of the Apes"2011/US

 『猿の惑星』シリーズの第7作。公開前のリーフレットには「まさかこんなに泣ける『猿の惑星』が見られるとは」とか「最初から最後まで泣き通しでした!」という正気とは思えない惹句が踊っていたが、ふたを開けてみると男気に満ちあふれた熱い革命映画だった。ちなみにアメリカ本国のキャッチコピーは「Evolution Becomes Revolution」。『ステイ・フレンズ』では情けないくらいめそめそ泣いていた私だが、いざ『猿の惑星』を見ればひとりの男・・・いや漢として拳を突き上げ咆吼していますよ。うおー。
 本作はシリーズ第4作『猿の惑星・征服』のリメイクと言ってしまっていいだろう。『征服』では人類と猿類の関係が人種差別/奴隷制度のアナロジーとして描かれていたがこうした政治色は本作では鳴りをひそめている。旧5部作の通底音としてあった核戦争への恐怖もなくなった。遺伝子操作への警鐘をあえて読み取ることは可能だがいずれにせよメッセージ性は低い。しかしシリーズの特長でもあった風刺性を排したことが本作の弱点だとはおもわない。言葉や思想を排した高純度の肉体とアクションがここにはある。むしろ革命映画として見れば本作の方が『征服』よりも要点を押さえているのではないか。諸説はあるとおもうが革命映画の重要なプロセスとして「迫害」「団結」「蜂起」「勝利」の4つがある。前半では、ある事情から高い知能を持ったチンパンジー・シーザーが失意から革命への意志を固めていく様子が丁寧に描かれている。収容された動物保護施設(監獄を思わせる美術や空間設計が見事だ)で、シーザーはほかの猿やオランウータン、ゴリラを仲間に引き入れて革命の準備を整えていく。「団結」のプロセスでは牙を研ぐような演出が光る。機が熟したそのとき『猿の惑星』シリーズにおける最も象徴的な言葉を合図に革命が幕を開ける。この瞬間のカタルシスは筆舌尽くしがたい。ここから先、映画は加速度的に疾走していく。『征服』ではやや間延びした印象も受けた猿たちの蜂起(あれはあれで収拾がつかない暴力の恐ろしさがあったが)は動物パニック的な狂騒を伴ってアドレナリンたっぷりに描かれている。政治的な風刺やメッセージ性はひとまず置いておいておこう。スパイダーマンを思わせる縦横無尽な運動に素直に身を任せればいい。前進と跳躍を操り返す猿たちの肉体がなんと輝かしいことか。ゴリラが跳び上がりヘリコプターを墜落させる一連のシーケンスを見てみよう。ここには無駄なショットや奇をてらったスローモーションは一切ない。確かな重みと速さを伴って衝突するこの感覚。猿側の4幹部(と言っていいのか)が路面電車の上に並んで進んでいく冗談みたいなショットも私の心をとらえて離さないのだった。ルパート・ワイアット監督は本作が2作目の商業映画とのことだが驚くべき運動神経とB級精神で早くも傑作をものにした。次作があるとすれば『グレムリン』のストライプをほうふつとさせる凶悪な面構えの猿コバを中心に猿側の政治や衝突がさらに深く描かれることになるのだろうか。ぜひワイアット監督に続投してほしい。