Devil's Own

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『精神』


 ナレーションやテロップなど言葉による「脚注」を廃した想田和弘の観察映画第2作。前作『選挙』は、半ばスケープゴートされる形で市議会選挙に立候補することになった平凡な切手コイン商が、次第に疲弊し人間性を失っていくさまを容赦なく映し出した、ユーモラスかつショッキングな傑作だった。次に想田がカメラを向けたのは、岡山の小さな精神科診療所であるが、一般的にタブー視されることの多い「精神病」というモチーフも、実は『選挙』において既に言及されていた。それは、アルバイトの中年女性たちが選挙活動に使用するビラを折り込む場面で登場する。連絡所の外に立っている(らしい)女性をちらちらと見つめながら、「あそこに立っている人、気が触れちゃったんだって」と下世話な噂話に花を咲かせるのだ。このシークエンスは、映画全体にとってはさして重要ではないが、それゆえに奇妙なインパクトを残す。「こころの病」を抱えた人々に対する「健常者」たちの一般的な偏見が端的に示されているといえるだろう。ではその内実はどうなのか、という問題意識のもと、想田は精神病患者たちの生活へと入り込む。カメラの存在を徹底的に滅却しようする方法論から、前作ではフレデリック・ワイズマンの存在が引き合いに出されたりもしていたが、『精神』において想田は、患者たちへ積極的に話しかけるなどして、彼らの生活へより親密に寄り添うことを選んだ。ゆえに、ローアングル撮影やロングショットを多用することで、被写体に対してどこかよそよそしい距離を感じさせた前作と比べ、リラックスした空間が画面に収まっている。虐待で子どもを死なせてしまったり、生計を立てるために身体を売ったりと、患者たちが凄惨な過去を語る場面もあるが、その大半は、地域のサークル活動に参加しようと思っているがどうしようかと仲間に相談する様子や、ホームヘルパーにせかされながら料理や掃除を不器用に進めていく日常の風景を描出することに割かれている。街を行き交う動物や子どもたち、女子高生、老人などの姿をインサートしながら、精神病患者たちの感情の機微を丁寧に綴っていく手つきには感心する。平素から世間の厳しい眼差しに晒されるためか、患者たちの多くが自分自身への偏見やコンプレックスにすっかり絡めとられてしまっているが、社会との関わりに臆病になった人々が、もがきながらも困難を克服しようとする姿には身につまされる。こうした人々に、想田が向ける眼差しは憐憫や哀痛というよりも、畏敬の念であるようにおもう。
 後半へ進むに連れて、病歴も長く精神疾患との付き合い方にある程度慣れたポジティヴな人々も登場する。特に、カメラの前で妙に深遠な話をした後に「はい、カット!!」と茶化してみせる菅野氏はチャーミングだ。菅野氏は、聖書の一節を引用してみせたりするなかなかのインテリであり、手帳に自分で撮った写真を貼り付けては短いポエムを書き添える粋な詩人でもある。彼の書いた詩は、相田みつをのそれのようで少し照れくさいが、狭い座敷で患者たちが肩を寄せ合いながら菅野氏の詩を大事そうに読み上げる場面は微笑ましく、忘れがたい。
 もっとも映画全体としては、少々長すぎて散漫な印象もある。おそらく想田としてはあくまでワイズマンのように禁欲的なドキュメンタリー映画が念頭にあったのだろうし、その試みは失敗してしまったのかもしれない。しかし、冷酷な観察者に徹することが出来なかった点に、むしろこの映画の優しさと温かさがある。