Devil's Own

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『スーパー!』(ジェームズ・ガン)

"Super"2011/US

 『キック・アス』はアメコミヒーローというジャンルを批評しつつ、最終的にはジャンルの王道そのものへと着地してみせた傑作だ。自警活動の狂気や薄ら寒さをさらりと描きながら最後までエンターテインメントに徹する。今見返してもかなり高度なことをやっていると思う。一方『キック・アス』の原作コミックは映画とは正反対と言っていいほど結末が異なる。どちらも傑作だがヒーロー論としてしっかりとした落とし前をつけたのは原作だろう。終盤ヒットガールが敵の本拠地に殴り込む場面で「Bad Reputation」をかけてしまうある種の無神経さ、能天気さ(イギリス人らしいセンスではあるが)は原作コミックにはない。正義を免罪符に暴力を遂行した者たちの業が描かれている。
 さてプロットからして既に『キック・アス』をほうふつとさせる『スーパー!』だが、どちらかといえば原作コミックのニヒリズムに肉迫している。『キック・アス』の原作では映画で描かれなかったビッグ・ダディの過去と罪悪がはっきりと示されているのだが、これが『スーパー!』のプロットそっくりなんですよ。私は『スーパー!』をビッグ・ダディの前日譚と見た。
 主人公フランクのキャラクターや自警活動の動機づけにキリスト教が深く関わっていることは指摘しておかねばならない。『スーパー!』を評するとき『キック・アス』と並んで『タクシードライバー』が挙げられるが、私はトラヴィスの狂気には感情移入できてもフランクの感覚はちょっと理解できない。画的にはすごく面白かったが、神が脳に触れてくるようなあんな経験普通ないしっていう・・・。フランクが犯罪(自警活動)に走るきっかけとなるテレビ番組もヒーローものというよりはキリスト教の教育ビデオに近いし、彼のセックス観もかなり保守的だ。アメリカ映画を見ていると「天命」を受けて暴力行為に走る殺人鬼やテロリストがしばしば登場する。保守的なキリスト教徒であるフランクの鬱屈や独善性はわれわれ日本人が感じる以上に、アメリカ人にとってリアリティを帯びているのではないか*1
 本作もうひとつの本領は、押しかけ女房的にフランクにつきまとうエキセントリックな相棒Bolty(エレン・ペイジ)の存在だろう。エレン・ペイジのコメディエンヌぶりは見ているだけで幸せになれるし、だからこそ終盤の展開に絶句するほかない。この映画が『キック・アス』のエピゴーネン扱いを受けることを監督は当然予想をしていたかとは思うが、この一点において勝算を確信していたのだと思う。そして見事に成功している。

*1:トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン』との類似を指摘したid:heartdarkさんの論考は必見。